短編集109(過去作品
恵美が彼と会ってデートしているのは、一日中である。朝から出かけて、夕方に帰ってくる。普通の中学生がするデートと何ら変わりのないものである。
――少し不満があるのかしら――
不安を感じるということが不満に繋がるというのは、乱暴な考えかも知れないが、成長過程の精神状態であれば、それもありえないことではない。
しかし、不満は具体的には見つからない。見つかれば却って手の打ちようもあって気が楽なのかも知れないが、モヤモヤしたものが存在するだけだった。
存在していることは意識としてある。モヤモヤの正体を知りたいが、知るのが怖いという意識もある。それがもし彼に対してのことであればまだいいが、自分に対してであれば、切実な問題であるからだ。それすらもおぼろげにしか分からないだけに、恵美にはどうしようもなかった。
彼とはプラトニックのまま、別れてしまった。正確に言えば自然消滅のような感じで、きっとお互いがぎこちなくなったからかも知れない。連絡をしなくなると、相手からも来なくなる。男性にはそれなりのプライドがあるようで、女性の方は、
――自分からするのははしたない――
と思うようになる。それが、自然消滅のパターンではなかろうか。
疎遠になるにはいろいろ理由があるだろうが、お互いに気を遣いすぎというのが、案外多いのではないだろうか。
恵美も人に気を遣いすぎるところがあると思っている。田舎から出てきて、最初はどうしても人に馴染めず、自分から
――気を遣わなくてはいけない――
と思い込んでいたようだ。それも悪いことではないが、自分の殻に閉じこもってしまうことになってしまっては、意味がない。
人に気を遣うことは自分が疲れるだけだと思えればいいのだが、意外と気付かないものだ。
別れたことに関しては悔いはないが、心のどこかに無性に寂しさが残ってしまった。寂しさが残ることも覚悟はしていたはずだが、自分の感じていた寂しさとは少し違っていた。
どこか上の空で、見える光景もいつもと違っている。黄色掛かったところがやけに目立つように思え、見え方もそれまでよりも狭い範囲に見えるようになる。
まるで望遠鏡を逆さから見たようなといえば大袈裟であろうか。すべてが遠くに見えてくる。
しかし、それでいて、細部まで見えてくるように感じてもいる。
――視力がよくなったのでは――
と感じるくらいで、特に夜など、ハッキリと見えてくるようだった。
信号の色が鮮やかに見える。ネオンサインのカラフルさが普段にも増して綺麗に見える。
夜、出歩くことなどなかったが、受験が近づいてくると、塾通いを始めるようになった。塾は商店街へ入ったところにあるので、駅にも近く、駅前のネオンサインをいつも見ることになる。
ネオンサインが遠ざかっていくのを、それまで感じたことはなかった。むしろ近づいてくるのを感じていたくらいである。
しかし、それまでもネオンサインを見ていて唯一距離感がつかめないと思っていたことがあった。
駅の近くに川が流れていて、その向こうにネオンが広がっているのだが、国道を中心に大きな橋が掛かっているのだが、そこから見下ろしたネオンサインの光景が綺麗であった。
風もないのに、水面は小刻みに揺れている。微妙な波紋はネオンサインをいくつものカクテル光線に浮かび上がらせる。
ネオンサインを見下ろしながら、
――よくこのまま飛び込んでいく衝動に駆られないわね――
と感じている自分もいた。遠近感が取れないと、そのまま飛び込んでいきそうに感じるのは、田舎にいる頃の小学生時代の自分に感じていたことだった。あの頃は、自分の中にある未熟な目が、艶やかなものに惑わされていると思っていたが、中学に入ると、さらにその思いは強くなった。
水面に写るネオンサインを見ながら歩くのも好きだった。違う角度から見ていて、しかも距離が縮まっていくはずなのに、だんだん遠くに感じられるような錯覚に陥るからであった。
――どうしてなのかしら――
最初は分からなかったが、カクテル光線の影響によるものだと分かったのは、彼と別れた寂しさが何であるかが分かり始めた頃だった。
――彼がいないことが寂しいんじゃないのかも知れないわ――
心の中に隙間風が吹き抜けるというのを本で読んだことがあるが、
――そんなことあるわけないわ――
と思っていた、風には冷たさがあるはずで、心の中を冷たさを含んだ風が通り抜けるはずはないと思っていた。しかし、どこかで寒気を感じる。元々あった寒さではない。そこかからやってきた寒さである。
寒さが冷たさに変わる。冷たさが身体の中に篭るのだ。
――ということは、寒さはやっぱりどこかからやってくるんだわ――
と感じる。それが風だということに気付くまでに、しばらく時間が掛かった。
心を吹き抜ける風が、水面に写る波紋に似ていると感じるまでにも時間が掛かったが、分かってから風を感じるようになると、思い出すのが水面に写ったネオンサインだった。
時期も冬、マフラーをして歩いていると、肩をすぼめながら歩いてくる人とすれ違い、ふとマフラーがその人に触れるか触れないかの瞬間、相手のことが分かったような気がした。
それと同時に自分のことも曝け出しているような錯覚にも襲われた。
橋の上を歩きながら考えること、一体何を考えていたのだろう? 寒い中歩いていると暖かいものを想像している。
特に食べもの、蓋を開けると煙とともにおいしい香りが漂ってくる鍋などを想像していたに違いない。
――早くうちに帰ろう――
漠然と考えた。暖かい家が待っていることがその時は一番嬉しかった。
「ささやかな幸せ」
それを感じることのできた時期でもあった。
ネオンサインが煌びやかに見え、普段が黄色掛かって見える時期が鬱状態だと思っていた。鬱状態は自分が感じている時期を通りこえるまでに一定の期間を必要とする。それは短くも長くもない。ちょうど二週間くらいであろうか。中途半端な期間にも感じるが、後から考えればちょうどいい長さなのではないかと思える。
最初は、何をやっていても上の空の間が少しだけある。二、三日も続けば長い方だ。それから少し気持ちに余裕ができるのだろうか、音楽が気になってくる。気がつけば思わず何か音楽を口ずさんでいたりする。
それから少しすると、人の話が耳に入ってくる。相槌を打てるようになる。そして、また少しすると、ささやかな幸せに気付く時期がやってくる。
そうなると、出口はまもなくだ。黄色く見ていたものに色がつき始め、ネオンサインの汗や傘が次第にぼやけて感じられるようになる。鬱状態を抜けることが楽しみで仕方がないのに、どこか一抹の寂しさを感じる。自分の中で欲というものがよみがえってくるからなのかも知れない。
――鬱状態を抜けても、楽しさが戻ってくるのだろうか――
結局前と変わりない。
鬱状態を抜ければ、今度は何をしても面白くて仕方がない躁状態になれればそれがいいのかも知れないが、そこまで極端にはなりきれない自分がいるのだろう。
作品名:短編集109(過去作品 作家名:森本晃次