短編集109(過去作品
兄は優しい性格ではあるが、ハッキリとモノをいう性格である。恵美に対しても、普通であればハッキリと言わないようなことも口にしてきた。
「恵美は慌て者」
と言っていたのもそんな性格の現われである。
「可愛い妹だからな」
とすぐにフォローするのがうまいのか、兄から言われても怒ったことは一度もない。ショックに感じたことはないわけではないが、それも、必ず後で兄のフォローを聞くと納得させられる。本当に優しい人というのは、兄のような人のことを言うのかも知れない。
いつも間にか、恵美には兄に対する愛情が芽生えてきていた。それは兄弟愛ではなく、男女の恋愛感情のようなものだ。もちろん、中学に入ったばかりの恵美にそんな感情が分かるわけないが、後から考えると、
――あれが初恋だったのかも知れないわ――
と思い、一人ほくそ笑むこともあった。
都会に出てきての母親が、近所の奥さんたちの間で結構人気があったようだ。普通、田舎から出てきた人は田舎者扱いにされるのがオチだと思っていたのに、不思議な現象だと思っていたが、よく見るとおだてに乗っていろいろなことを任されているようでもある。
しかし、それでも生き生きとしている母親を見ると、
「お母さん、おだてに乗っているだけよ」
と助言などできるはずもない。そこにあるのは、今までに見たことのない母親の楽しそうな顔だったからである。
思わず見て見ぬふりをして、目を合わさないようにしている自分に気付く。母親を見ていてかわいそうになるのだが、そんな母親に助言できずに目を逸らさなければならない自分の方がよほど可愛そうに感じられる。
だが、そんな母親が時々薬を飲んでいるのを見かけた。何の薬なのか分からないが、黙ってこっそりと飲んでいる。田舎にいる時、薬を飲むこともあったが、そんな時は堂々と飲んでいた。都会に出てきてこっそりと薬を飲んでいるのを見かけるのは、こっそりとしているから却って目立つように思えてならなかった。
外出する回数も増えてきた。化粧も厚くなってきたことに気付いたのは、自分が大人になってきた証拠であろうか。まだ化粧もロクにしたこともないが、人が綺麗にしているのに気付くのは、それだけお洒落に興味を示し始めているからであろう。
その頃から恵美は男性を意識し始めた。
クラスメイトで気になる男の子もいる。
――もし、田舎の中学校に行っていたら、好きになる男の子っていたかしら――
小学生の頃の友達の顔を思い出す。ほとんどが無骨な感じの男の子が多く、垢抜けした男の子というには程遠い。恵美は心のどこかで垢抜けした男の子をイメージしていたのかも知れない。それはいつも兄を見ていたからであろう。
兄は、田舎育ちのわりには、垢抜けしていた。いつ見ても大人の雰囲気があった。
「兄妹はいつまで経っても追いつかないさ。三つ違いのままずっと行くのさ」
という兄の言葉が印象的だった。ずっと忘れられない言葉だといっても過言ではない。その言葉に意味がどれほど大きなものかは田舎にいる時には分からなかったが、都会に出てくることで分かるようになった。
――都会に出てくることで分かるようになったのかしら――
都会に出てきたタイミングは、ちょうど中学に上がる時、タイミングとしては、むしろ中学に上がるという環境の違いの方が大きいのかも知れない。そういえば、中学に上がる時一番身体に変調があったように思える。
――女性は男性よりも急激に成長するっていうけど、本当かも知れないわ――
中学のクラスで男の子の大半は、まだ子供に見えた。中にはまだ声変わりしていない男の子もいるくらいで、それに比べれば、女の子の平均身長は、男の子に近くなっているくらいであった。
そのことについて口にする人は誰もいなかったが、
――そこが都会なのね――
垢抜けて落ち着いた雰囲気にも感じるが、どこか寂しさも拭い取れない。都会の生活への一つの関門だったことに間違いはない。
――お母さんは、いつもどこに行っているのだろう――
買い物に出かけているのには違いないが、時々帰りが恵美よりも遅いことがあった。
といっても夕食に間に合うように帰ってきているので、別に悪いわけではないが、時々疲れていることがある。頭を抑えて台所の椅子に座り込んでいる。
「お母さん、大丈夫?」
学校から帰ってくる恵美に気がつかないこともあるくらいで、
「ええ、大丈夫よ。お薬飲んだから」
という返事がいつも返ってきていた。
――薬ばっかり飲んで大丈夫なのかしら――
という心配が頭をよぎる。
しかし、確かに薬の効き目は抜群なようで、恵美が二階にある自室で着替えて下に下りてくると、水道の音が聞こえ、元気に母親は家事をしていた。
「もう大丈夫なの?」
「お薬を飲むと三十分もしないうちに治るのよ。心配かけてごめんね」
常備薬でなくなっているのは、やはり頭痛薬、減りが多いのは気になっていたのは、飲むとすれば母しかいないからである。
それでも母が外出する回数は減らなかった。買いだめしているはずなのに買い物に出かけるのだ。兄もそのことを知っているようだが、あえて口にしない。どこに出かけているのか知っているのだろうか?
家ではそのことを口にするのはタブーだった。そこに暗黙の了解があるのか、最初の頃は家族揃って食事をしていたのだが、父の仕事が遅くなるにつれて団欒の時間がなくなってきたが、団欒があった頃でも最後は、どこかぎこちなさを感じていた。
――別にみんな揃って食事しなくてもいいのに――
とそう感じていたのは恵美だけではあるまい。
本当は団欒の食事を一番希望していたのは、父だった。その父が死語おtの都合とはいえ、なかなか早く帰ってこれなくなったのだから、自然と食事の時間も皆バラバラとなる。時間的には一番最初が恵美、そして兄、そして、後片付けを済ませて母親の順番である。
父が食事をしているところを恵美はあまり見たことがない。食事を済ませ、お風呂に入ると自室に篭ることがほとんどだからだ。
もちろん勉強していることもあるが、一人でボーっとしていることもある。そんな時間は、手持ち無沙汰を解消するために本を読んだりしていた。
ミステリーを結構読んでいた。テレビ化された作品が多かったりするが、あまりミステリードラマを見ることもなく、小説を読みながら自分の中での創造を楽しんでいる。
一度読んだ小説がドラマ化されたのを見たことがあるのだが、
――何よ、これ――
自分がイメージしていたものが一気に崩れていくのを感じた。配役に問題があるのか、それとも役者の演技が大袈裟なのか、どこか興ざめした目でテレビを見ていた。
――こんなものを楽しみに見ている人たちがいるんだわ――
確かに活字離れが進んでいる。小説を知らずにドラマだけを見て満足している人がほとんどだろう。
――こんな現場を作者はどう感じているのかしら――
自室に篭って編集者の締め切りに追われながら作品を書き続けている作家のイメージが頭の中に湧いてくる。缶詰状態で書き続けているのを想像するのは、中学生の恵美の発想では限界があるが、それでも結構な厳しさを感じる。
作品名:短編集109(過去作品 作家名:森本晃次