短編集109(過去作品
自分の想像力が豊かであるにも関わらず、得られた結果だけを見てそう感じた。やはりビジュアルよりも小説の方が落ち着いて考えることができて、何よりも大人の雰囲気を感じさせる。喫茶店や電車の中で、漫画を読んでいる人よりも文庫本を読んでいる人の方が断然知的ではないか。
しかし、どうしても想像の世界から抜けられない運命にあるようで、想像していると、現実の世界が分からなくなることも多い。人に関わることを避けてみたり、何も考えていなかったりするのだが、時々おせっかいな自分が顔を出すことがあった。
やはりヒーロー物に憧れていた名残りなのだろうか。会話を聞いていても、最後に一言多くなってしまうこともあった。なるべく話さないようにとは思っていても、何か一言でも喋っておかないと気がすまない性格なのだろう。天邪鬼なので、誰も話さなくなる最後に喋りたくなるのだ。
ただ、まわりの話を最後まで聞いての発言なので、しっかり会話を締めればそれでいいのだろうが、そこまでの聞き上手でもない。
――無責任な一言になるかも――
と思いながら呟くように話すのだ。そう、まるで救急車で運ばれた友達に対して大声で叫んだ藤堂の横で、ぼやくように呟いたあの一言を思い出させる。あのインパクトが頭から離れず、一番強烈なインパクトを与えるのは、言葉ではなく、シチュエーションであることを思い知らされたのだ。
だが、内容は無責任である。何も考えているわけでもなく、締まりかかっている会話に水を差しかねない。 だが、不思議なことに、そんな藤堂を諌める人は誰もいない。誰もが藤堂の一言に一瞬固まってしまって、反論する人はいない。
その場の雰囲気は凍り付いてしまって誰も言葉を発しないばかりか、それから何度も同じシチュエーションになっているにも関わらず、会話が締まる直前まで誰も藤堂を意識していない。呟きをするようになる前は、何も話さなくとも会話に参加することがなくとも、藤堂の存在は皆の熟知するところだったはずだ。しかし、最後に会話が締まるはずの瞬間まで、誰も藤堂を意識する人がいないのは不思議だった。
しかも、会話が終わった後、誰も藤堂に対して何も言おうとしない。藤堂も会話を思い返すようなこともしないし、まるで、藤堂の最後の瞬間を誰も意識していないようにすら思える。
――何を言っても大丈夫なのかな――
と感じ、めちゃくちゃな発言をしてみようとも考えたが、藤堂はさすがにそこまで勇気のある人間ではない。
高校の頃からそんな傾向はあったが、大学に入ると、さすがにそんなことはなくなった。なぜなら、大学に入ると、最初から会話の中心に入っていたからである。
中心といっても、自分から会話を始めるわけではなく、誰かが始めた会話に参加するだけだ。それでも中心に入っているのは、必ず最初の話のアンチテーゼだからである。
誰かがテーマを定時すると、同じ意見の人間の賛同だけでは、どうしても会話に膨らみがない。確かに大学生の考え方は、人それぞれなのだが、根本的なところでは同じであろう。何が良くなく、何が正しいか、ハッキリと分かっている年代である。
それだけに、友達も自分の意見に賛同してくれる人を無意識に選んでいるだろう。類は友を呼ぶのだ。それで会話が弾むのならそれでいいのだが、どうしても逆らいたい気分になってしまって、一言言いたくなってくる。それも藤堂が、大学に入学し、まわりの人間の考え方に触れて自分の考え方がおぼろげであるが、分かってきた証拠ではないだろうか。
時々高校の頃までの会話を思い出すことがある。何か反対意見を述べると、まわりが固まってしまうのではないかと思うことで、それは大学になってからは、一度もない。反対意見を述べるからまわりが固まってしまうのではないようだ。最後に締まりかけた会話を不必要な一言で締めようとするから、その場が固まってしまうのかも知れない。
「藤堂さんの意見って、どこか無理があるわね」
女性の中にはそんなことをいう人がいた。それまでであれば、もう何もいえなくなってしまうのだろうが、感覚が麻痺しているのか、あまり気にならなかった。ただ、彼女に対してその場で言い返せないのは、何を言っても言い訳にしかならないことが、自分なりに分かっているからだろう。
藤堂の意見が的を得ていると女性の間で噂になった。無責任なことでも、話をしなければ何も伝わらないと感じたからで、それは小説を書くようになって変わった自分の性格を反映しているようだった。
アニメ作家を夢見ていた頃と心境は似ているのだが、芸術的なセンスがないことに気付いてからは、小説に興味を持ち始めた。最初に読み始めた文庫本は、ミステリーだったのだが、ミステリーも現代の小説ではじゃなくて、クラシックと呼べるような伝説的な話である。
少年向けの本が小学生の頃図書館にあり、一度読んだことがあったが、その時は面白さが分からなかった。少しでも面白いと思わなければいくらまわりが騒いだものであったとしても、まったく興味を示さない藤堂にとって、ミステリーはブラックボックスになりつつあった。だが、文庫本になると、どうして違うのか、読んでいてストーリーに引き込まれていく自分を感じていた。
――アニメにはない興奮――
原作が映像化されて感じる物足りなさを感じてから、余計に活字に対しての興味が深くなっていった時期でもあったことが、ミステリーを読み耽る要因になったことは間違いない。
小説の中で自分を主人公へと置き換えることが容易にできるからだ。映像になってしまうと、どうしても主人公のイメージを主演の俳優が演じているので、なかなか自分に置き換えることなどできっこない。どれができるのは、限りなく想像することを許される小説の中だけのことなのだ。
読んでいるだけでは満足できなくなるのも、成長期だった証拠だろうか。
――こんな小説を書けるようになりたいな――
と思うようになって、何度も原稿用紙を目の前に、捻り鉢巻で気合を入れたものだった。しかし、気合を入れれば入れるほど小説が浮かんで来ない。描写すら浮かんで来ないのはなぜなのか、最初は分からなかった。
さすがにミステリーのようなトリックを必要とするものはなかなか難しい。読んだ人がそれぞれに違った印象を受けるような幻想的な小説を書いてみたいという願望がそこから生まれてきたのである。
元来があまり集中してできるタイプでない藤堂は、文庫本を読んでいて、気がつけばセリフの部分だけを読んでいることに気付くことが多かった。
――ビジュアル世代だからかな――
とも考えたが、それはあくまで言い訳である。自分でも分かっているつもりだが、読んでいて最初の方の内容を忘れてくるのだ。
――まだ十歳代なのに、一体どうしたことだろう――
単純に集中できない性格だということになかなかきづかなかった。気付かないこと自体が落ち着きのない証拠なのだと思って苦笑いをしたのもかなり後になってからのこと、自分なりに工夫を凝らしたものだった。
作品名:短編集109(過去作品 作家名:森本晃次