見えている事実と見えない真実
「はい、遺書はなかったんですよ。まあ、遺書を書かない人も中にはいるかと思うんですが、少し気になってですね」
「確かに、そうだけど、一人で思い悩むタイプだったら、そういう人もいるんじゃないか?」
と門倉刑事がいうと、
「ええ、でも、ストーカーに狙われているという悩みは、店のママに打ち明けたりはしているんですよ。そんな人が遺書を書かないというのが、どうも気になってですね」
というと、辰巳刑事が口を開いた。
「この報告書を見ると、どうやら自殺を図ったのは一度や二度のことではないようですね。リストカットの痕がいくつも残っているということが書かれています。かなり前のことのようですが、自殺未遂の常習者だったという可能性もあるんじゃないでしょうか? もしそうだとすれば、遺書をいちいち残すということはしないんじゃないでしょうか? 失敗した時のことを考えると思うんですよね」
と、彼なりの意見を述べた。
「それはそうかも知れないね。私も辰巳刑事の意見に賛成です」
と、清水刑事も即座に三星側に回った。
「過去に自殺の経験があったということは、警察にも届けがあったかお知れないね。その足りも調べてみる必要があるんじゃないか? その時に受けた事情聴取の内容も含めてね」
と門倉刑事は言った。
すると、辰巳刑事がまた別の意見を言った。
「これはちょっと飛躍しすぎているような気がするんですけど」
という前置きに、
「というと?」
と清水刑事が相槌を打った。
「ええ、どうも部屋の中が整理性とされすぎているような気がするんですよ。もちろん、自殺をする人の心境なので、なるべく身辺を綺麗にと思うのかも知れないんですが、だ、寝室の布団をきちんと畳んでいるのは分かるんですが、台所の食器などが全部棚に片づけられているでしょう? 普通は食事をした後の食器は水切りの容器の中に置かれて、しばらくしてから片づけるものじゃないですか。亡くなった女性の意の内容物の消化具合から考えると、死亡したのは、食後、一時間か二時間くらいということです。そんなにすぐに片づけるでしょうかね?」
と恐縮した面持ちで語った。
「なるほど、辰巳君の目の付け所は少し変わっているね。言われてみればそんな気もするけど、やはり考えすぎなのでは?」
と、言ったのは、清水刑事である。
門倉刑事は、それを聞きながら、腕を組んで、静かに考えていた。
「辰巳刑事の目の付け所は、私は間違っていないと思うんだ。確かに何か作為のようなものが感じられなくもない」
と門倉刑事はしばらくしてから言った。
「そうですね。事件はあらゆる線から考えてみないといけませんからね。でもですね、今の辰巳刑事の話の内容を考えて、門倉刑事の今の言葉を悔い合わせてみると、おのずとそこに一つの疑念が出てくる気がするんです」
と清水刑事がいうと、
「それはどういうことかね?」
と、実は分かっているのに、わざと聞いてみるのが癖の門倉刑事が、優しそうな目で言った。
「皆さんご察しだとは思いますが、これは実は自殺ではなく、他殺だという考え方ですね」
と言った。
「確かに、状況的なもの、そして自殺を疑うとすれば、あまりにも部屋が片付いていたということと、遺書がなかったということくらいだよね。総合的に考えれば、普通であれば自殺でしかありえないように思う。でも、少しでも変だと思う部分を掘り下げていって、そこを納得のいく回答を見つけることで、初めて自殺だったと言い切れるんじゃないかな?」
と、門倉刑事は言った。
さらに続ける。
「だけど、これだけ自殺としての状況が揃っているから、そう長くはこの事件に首を突っ込んでいるわけにはいかない。早急にこの事件を自殺ではないという確証めいたものを見つけないと捜査が打ち切られてしまうことになるよ」
ということである。
それは二人にも分かっていた。だが、どうも二人とも簡単に自殺として片づけられない思いがあるようだ。特に若い辰巳刑事の思いは強いようで、今も、目を凝らすように鑑識の捜査報告を読み込んでいるようだった。
実は辰巳刑事は、探偵小説を読むのが好きで、非番の日などは、結構朝から晩まで読んでいることが多い、最近読んでいる小説でお気に入りの小説家がいるのだが、その作家が得意とする小説の中で、
「自殺が発見されたが、実は他殺で、まずは他殺を証明するところから始まって、事件を解き明かしていく」
というパターンが好きだった。
その意識が強いこともあり、どうしても自殺した人をただの自殺だと思えないという意識が強くあるようだ。もちろん、そんなことは他の同僚や先輩には言えるはずもないが、自分もいつかは、この小説の主人公のような活躍ができればいいと思っていたが、ひょっとすると今回の事件がその口火となるかも知れないと思い、燃えていたのだ。
そんなこととは知る由もない二人の先輩刑事だったが、もし、辰巳刑事の考え方を知っていたとしても、それで怒るようなことはないだろう。むしろ、犯罪捜査では、
「皆が一致したような意見を述べられるほど、怪しいものはない」
という考えがあるくらいで、天邪鬼なのかも知れないが、そもそも刑事というのは、
「疑うことが商売」
と言われるではないか。
それを思うと、一つでも奇抜な意見があれば、なるべくそっちを尊重したいと思うのも無理もないことで、しかし、そちらにだけ突っ走ってしまっては、本当に関係のないことであれば、取り返しのつかないことになってしまう。それを防ぐのが我々のような熟練の刑事であり、部下には逆にそういう発想をたくさん出させる雰囲気を作り上げることが大切だと思っていた。
だから、基本的には当たり前のことを認めているだけのように見せているのは、ある意味上司としての
「表情」
であって、本当の心の中の表情は、部下にさせるくらいの気持ちを抱いていたのだ。
それが上司としての心得であり、部下との接し方。ひいてはグループを一つに纏めるための秘訣なのだと思っているのだ。
清水刑事は、その気持ちを門倉刑事からハッキリと聞かされたわけではないが、清水刑事も門倉刑事を尊敬し、その背中を見ながら刑事を続けていたのだ。言わなくとも分かり合える部分は十分にあるというものだ。
実際に今の状態で、
「自殺ではなく、実は他殺かも知れない」
と思わせる部分は、ちょっとしたことから、ふと感じるような偶然とも言えるような発想からだった。いわゆる。
「考えようによっては」
という程度のもので、説得力も信憑性もあったものではない。
組織を動かすだけの力はなかった。
「門倉刑事は、ぶっちゃけ、今度の事件をどう思われますか?」
と清水刑事が聞いた。
「何とも言えないんだけど、二人は、自殺とは簡単に決められない何かがあると思っているんだろう?」
と聞いた。
辰巳刑事の考えは、先ほどのようなものであったが、さすがに口にできるはずもなく、
「ええ、根拠はないので、大きな声でいえないと思ってはいるんですが、どうもただの自殺だとすれば、疑おうと思うといくらでも疑える部分があると思うんですよ」
というと、門倉刑事は苦笑いをしながら、
作品名:見えている事実と見えない真実 作家名:森本晃次