見えている事実と見えない真実
「確かあれば、『返すべきものは返さないとな』と呟いたんじゃないでしょうか? それを聞いてかおりちゃん、相当同様しているような気がしたわ」
「ということは、ひょっとするとかおりさんは、最初からそのお客さんの正体を知らなかったかも知れないということになるのかな?」
と清水刑事がいうと、
「そうそう、私もそう思ったんですよ。その男の人の呟くようなその言葉で、この男性がどういう人で、どういう目的を持って自分のところに現れたのかを知ったんじゃないかしら? そう思うと、その前後のかおりちゃんの態度が分かるような気がするのよ」
とママは話してくれた。
「帰すべきものというのは何なんでしょうね? パッと考えると、お金なのか、それとも何か返さなければいけないものを借りていて、不当に占有しているか何かの高価なものだったりするのかな?」
と清水刑事がいうと、
「お金というのなら分かるけど、そんな高価なもので占有と言われると、土地か建物を想像するけど、とてもそんなものを持っているとは思えなかったですよ。かおりちゃんは普通の女の子という雰囲気だったし、ただ、少し陰のある子で、雰囲気も暗めだったような気がするわ。賑やかなことが好きな人にはあまり人気がなかったけど、一人で寂しく飲んでいるような客とは、結構話が合ったようで、そういうお客さんには彼女は人気があったわ」
と、ママが言った。
「水島かおりって、どういう人だったんですか? ここにどうして入ってきたんでしょう?」
と清水は聞いた。
「彼女が入ってくれるようになったのは、三年くらい前からだったかしら? 最初から暗めの女の子だったんだけど、何しろ若い子はこんな場末で勤めるようなことはないでしょう? だから理由ありでもそれは仕方がないと思っていたの。たとえば、失恋してすぐの傷心状態だったりね。一瞬迷ったんだけど、彼女なら集客に一役買ってくれると思って雇ったのね。それは間違いではなかったと思うわ。実際に彼女を目当てに来てくれる人も増えて、そんな人が常連になってくれたんだから、それだけでも十分に貢献してくれていると思ったわ。実際に彼女を好きになるというよりも、癒しを求めてきてくれる人が多くて、彼女と二人きりになるよりも、このお店で癒される方がいいというお客様も少なくなかったわ。私にとっては、これほどありがたいことはない。いい人を雇ったと思ったわ。それに暗いと言っても、そんな言葉が出ないほどの暗さではなく、影があるという雰囲気だけだったので、それが却って、男性には魅力的に見えたんでしょうね。女の私には分からないんだけど、そんなかおりちゃんは、すでにお店にとってはなくてはならない存在になったの」
とママがいうと、
「じゃあ、かおりちゃんが亡くなって、ママとしては経営の面でもきついでしょう?」
と清水に言われて。
「それがそんなことはないのよ。最近、お客さんが減ってきているの。それは、どうもかおりさんの性質にあるようで、性格ではないのね。それがさっき話題に出ていた、似た人が話したことが、曖昧な記憶としてしか残らないから、時々間違えてしまうということが原因で、お客さんが減ってきたの」
というママに対して、
「でも、それが原因だってどうして分かるの?」
「かおりちゃんが自分で言っていたんです。私のこんな曖昧なところがお客さんを白けさせてしまうんじゃないかってね。私は、そんなことはないと慰めてあげたんだけど、どうも慰めが効かないみたいで、でも、言われてみれば、彼女の言う通り、客が減ったのは、彼女のそんなところが原因だという話を、他のお客さんからも聞かれたの。客は客の気持ちが分かるということなのかしらね?」
とママは言った。
「あまり死んだ人の悪口などいいたくはないんだけど、このことが事件の真相に辿り着いてくれて、そして彼女の供養になるんだったら、私はそれでいいと思っているんですよね」
と、ママは続けた。
「まさしくその通りです。今度の事件は結構おかしなことが最初からあったと聞きました。考えてみれば、おかしなことというのは、犯人側からすれば、こんなに厄介なことはないんです。本当であれば、このまま自殺で片付いてくれればよかったものが、実は殺人だった。これが分かってしまったことは犯人にとっては、大きな計算外でしょうからね」
と清水刑事は言った。
「そうなのかしら?」
と、ママはおかしなことを言い出した。
「ごめんなさい。私、探偵小説を暇な時に結構読んでいるので、どうしても探偵小説のような考え方になるんだけど、これだけいろいろおかしなことだったり、すぐにバレそうなことを平気でする犯人は、実は頭がよくて、一つのことがうまく行かなくても、その先には二重、三重の罠が潜んでいるんじゃないかとも思えるんです。そう考えてくると、本当に犯人がこの事件を最初から殺人にせずに自殺に見せかけたというのも、何かの考えがあってのことではないでしょうかね?」
と、ママは突然探偵小説談義に入った。
「たとえば?」
「そうですね、最初自殺だと思っていたことが、実は殺人だったとして、最初から殺人だと思って捜査するのと、いきなり殺人だと言われて捜査するのとでは、何か違いませんか? たとえば、殺人捜査のいろはなどのマニュアルのようなものが皆さんの頭の中に入っているとすれば、調子が狂ってしまって、普段であれば基本中の基本として行っていることを怠ってしまったりするんじゃないですかね? それは人間だから仕方のないことですが、でも、これはあくまでも精神的なことなので、皆が皆どうだとは言いませんが、特にいろはを重視する人には陥りがちなミスに繋がるんじゃないかと思うのは私だけなんでしょうか?」
清水刑事は、このママの洞察力と同じで、冷静な分析力にもビックリしている。
いくら、探偵小説マニアとはいえ、こんな発想は聞いたこともなかった。だが、言われてみればもっともなところがある、実際に清水刑事は、この事件の犯人を甘く見ているところがあった。そもそも自殺に見せかけようとして、それがバレるなど、犯罪者としては、正直これほど間抜けなことはないとさえ感じたほどだった。
大団円
ママが清水刑事と話をしている時、開店時間でもないのに、また誰かが表の扉を叩く音がした。ママが出てみると、そこには辰巳刑事がいたのだ。
「あら、いらっしゃい。お二人はここで待ち合わせでもしていらしたの?」
と、若い辰巳刑事に半分皮肉交じりでニコニコしながら、ママは言った。
「いえ、清水刑事がおられるとは思っていませんでしたが、よかったら、私もお話を聞かせてもらいたいものですね」
と、辰巳刑事は言った。
「そうだね、辰巳君も探偵小説をよく読んでいたということだから、ママさんとは論議を戦わせることができるかも知れない。どうも私は本当の刑事畑の人間なので、なかなかママさんの発想についていくのは、難しいかも知れないですね」
と、これも若干、棘のあるような言い方をした清水刑事であった。
そこで、ママの今の意見を説明したところで、辰巳刑事は考え込んでいた。
作品名:見えている事実と見えない真実 作家名:森本晃次