見えている事実と見えない真実
というのは、かおりとの関係という意味で、その性格や風貌からではないことは、誰の目にも明らかなことだろう。
「この事件に真犯人なんているんだろうか?」
という、根拠のない当てずっぽうな考えが、頭をよぎった。
この場合の真犯人が誰を意味するかによって、事件の全貌が明らかになってくることだろう。あくまでも真犯人と、実行犯が同じ人物なのかどうか、怪しい三人の出現で、そんな雰囲気を感じていた辰巳刑事であった。
辰巳刑事は、入っていく場面と出ていく場面を入念に見てみた。すると、少し前と後で何かが違っていることに気が付いた。
まず気になったのが、三人の運び人の様子であった。
最初に運び込んだ時は冷静に、一糸乱れぬ雰囲気で、最初からの計画通りに動いているというイメージしかなかったのに、数十分してからエレベータから現れた三人は、どうも足並みが揃っていないように見えた。落ち着いている人もいれば、気が動転しているのか、自分で思っている以上に身体が動かないと思っている人、中で何をしたのか分からないが、疲労困憊なのだろう。さらには大げさな動きをしている人、この人は完全に気が動転しているようだ。
そんな風に三人を分析して見ていると、手に持っている袋の中身も、最初に持ち込んだものと明らかに違うことは分かった。
もっとも、最初に持ち込まれたのが、被害者の水島かおりだとすれば、出てくる時は、本当であれば、中身は空のはずである。それなのに、何か重たいものを抱えているというのは、彼らの計算にあったことだろうか。三人目の気が動転している男性の様子を見ていると、やはり何かがあると思わざる負えなかった。
出てきた時の袋の中身は、最初持ち込んだ時に比べて、却って大きくなっているように思えた。二人目の男性が疲労困憊しているのは、上での作業だけではなく、この中身の重たさに必死に耐えて持っているのではないかと思えたのだ。
「そうだ、中身は人間が入っていたのではないだろうか。これも微動だにしない。睡眠薬で眠らされているのか、それとも、殺害されたのか」
あまり考えたくはない突飛すぎる発想ではあったが、十分に考えられるものであった。
だが、そのわりに、髪の毛は被害者のものしか落ちていなくて、袋を調べたところ、もう一人の痕跡は残っていないような話だった。もっとも、睡眠屋のようなもので眠らされ、動けなくされて、最初の被害者を運び込んだと思われる状況で運び出したとすれば、不可能なことではない。
この時、辰巳刑事は気付いていなかったが、二人目の男性が疲労困憊しながら、必死になって運んでいるのだが、最初に入ってきた時は、まったくそんな素振りをこの男は見せていない。いくら中でいろいろ細工を行ったとはいえ、ここまで疲労困憊しているのに、最初はあんなに平然としていられるのが、不自然だということ。帰りの様子があまりにも三人が違いすぎたので、そこまで気付かなかったようだ。
それにしても、この三人は一体何なのだろう? まるで芝居に出てくる黒子のようではないか。決して目立つことをせず、むしろ観客に意識させてはいけない存在で、芝居を成立させるためには必須であり、欠かすことのできない存在、それが黒子というものではないだろうか。
もちろん、彼らの存在を意識されてはいけないのだが、実際には見えているので、いかに意識させないかというのは、一種のテクニックである。まるで忍者のように気配を消すことが要求される。最初に入ってきた時は、いかにも黒子のように一糸乱れず、呼吸もしているのかどうか分からないほど、その分、動きは目立つものではなかった。防犯カメラに収められたということで、その場にあまりにもふさわしくないので目立って見えるのだが、その場ではたぶん気配は消されていたに違いない。
誰にも会わなかったのは偶然だったのか、それともしっかり、エレベータの動きを見計らってのことなのか、きっとここまで落ち着いて行動していた黒子連中を見ていると、最初の計画では一糸乱れぬものがあったのだろう。ひょっとすると、彼ら三人はただのアルバイトではなく、どの道に当たるのか分からないが、
「その道のエキスパート」
と呼ばれる人たちだったのではないだろうか。
彼ら三人が、三階に上がってから、降りてくるまでに何かがあったのだろう。
これもちなみにであるが、辰巳刑事は気付いていなかったことであるが、彼らが最初にエレベータで降りた階は確かに、被害者の部屋がある三階だった。しかし、今度降りてきた時に彼らが何階から乗ってきたのかというと四階だった。四階にしばらく止まっていて、四階から下に降りてきた。その時途中で三階に止まるということはなかったので、明らかに四階から乗ってきたということは間違いないのだ。
しかし、彼らを発見し、その手に持たれた袋に何かが入っていると感じた時、どこの階から乗ってきたのかということ、そんなところまで目が行かなかったのは無理もないことだ。これは清水刑事であっても、門倉刑事であっても同じことだったかも知れないが、このことが事件に大きな影響を与えたということは確かであった。
この三人組に関しては、清水刑事が調べるということになっていたが、辰巳刑事も彼らが何者なのか、実際には気になっていた。ただ、直接事件に関係しているのかどうか、そのあたりがハッキリとしない。この事件に共犯はいるのかも知れないが、三人というのは、ちょっと考えにくい。
「共犯者というのは、犯行を確実にするために、必要な場合もあるが、共犯を持つということは、それだけ犯人にとってリスクの大きなものであることは、間違いのない事実である」
というのが、辰巳刑事の考え方だ。
いあ、辰巳刑事だけではなく、犯罪捜査に携わっている人皆が感じていることだろう。特に探偵小説などでは、結構な割合で共犯者というものが出てくる。その共犯者というのは、実際に手を下すわけではなく、犯罪の片棒を担ぐという程度のものから、主犯が犯罪の計画を立てるが、実行犯は共犯が行う。つまり、主犯には絶対のアリバイを作っておいて、共犯が実行することで主犯は容疑から外されるが、共犯にも殺害の動機がないという理由から、捜査線上に浮かぶことはなく、安全だということなのだが、実際に捜査していくうちに、犯人と共犯者の関係が分かってきて、共犯者が、犯人に弱みを握られていて、犯罪に手を染まざる負えなくなってしまうというパターンもある。
そんな時の主犯は、本当の悪党なのだろう。実行犯を自分の脅迫相手にやらせて、自分は蚊帳の外に置く。共犯はまったくの自分の手足、下手をすれば、共犯がどうなろうとも目的が達成されて、自分が無事であれば、それで何ら問題はないという考えだ。
そうなると、実行犯が犯罪を実行してくれれば、その後は完全な邪魔者でしかない。いくら脅迫をしていたと言っても、実行犯として働いてくれたのだから、それなりの報酬は与えただろう。そうして、自分がただの駒でしかないという考えを少しでも薄くして、相手を油断させる。自分のことを、少しでも味方だと思わせてことで、犯罪の後始末、いや、最終計画へと向かいやすくする。
作品名:見えている事実と見えない真実 作家名:森本晃次