見えている事実と見えない真実
「なるほど、分からなくもないけど、その発想はあくまでも深沢寄りの発想だよね。あまりにも突飛すぎる発想を、いかに正当性に近づけようかと考えた時に出てくる発想。それが今の君の意見ではないかと思える。一種の妄想に近いものではないかな? でも、そういう意見をわざわざ警察に言いに来ている以上、そのウラも取らないといけないだろうから、二人にはご足労を掛けるが、一つこちらの信憑性についても確認してくれたまえ:
と言った。
「でも、私も少し不思議には思っていたんですよ。今の清水さんの話を聞いても感じたんですが、深沢という男が大久保を犯人だという、まったく根拠がないとも思えなかったんです。たとえば、動機があるとかですね。ひょっとしたら、本当にストーカーだったのかも知れないですよね。私は今の段階で、どうにも事件が分からなくなってきたような気がしてきました」
と辰巳刑事が言った。
辰巳刑事のように勧善懲悪の男にとって、今回のような何ひとつとしてハッキリとした事実のない事件は、もっとも苦手なものであっただろう。一つでも分かっていることがあれば、それをきっかけにまわりをどんどん広げていき、そして、真実に辿り着く。その執念に掛けては、清水刑事も門倉刑事も舌を巻くほどであった。辰巳刑事が、
「分からなくなった」
という気持ちも分からなくもないが、少なからず、門倉刑事も清水刑事も気持ちは同じだった。
だが、露骨に辰巳刑事ほど意気消沈することはない。それが今まで培ってきた経験であり、その経験を生かして捜査を進めればいいという、誰かに教えられたわけではない自分で身に着けたノウハウが彼ら二人を支えていると言ってもいいだろう。
門倉刑事は、もう一度鑑識に問い合わせてみた。
「あくまでも可能性の話なんですが、あの死体が、他から運ばれてきたというような可能性はないでしょうか?」
と聞いてみると、
「絶対にないとは言えないと思います。ただ、限りなくゼロに近いと思いますが。状況から見て自殺と考えるとすべてが状況に当て嵌まるというのが一番大きな理由です。そこを百パーセントとして見るのであれば、例えば何かの疑惑が十パーセントあったとします。すると全体的な可能性が百から十を引いて、九十になるというそんな単純計算ではないんです。表に見える部分が十であっても、隣の事案と綺麗に結びついている線が壊れることで、その壊れた線が五であれば、全体的には八十五になってしまう。つまり、百というのは、全体、つまり表に見えているものを百とするならば、実際には百五十なのか二百なのかという発想ですね。でも、実際には百までしかないので、百と言っているだけなんですよ。すべてが完璧にできあがっているものを崩そうとするなら、そこに信憑性はどんどん崩れていくと思った方がいい。そういう意味で、今回は私は自殺であり、死体を他から運びこんだなどということは、妄想の類に近いのではないかと思うんですが、いかがでしょう?」
という返事が返ってきた。
実に分かりやすくてハッキリとした回答である。
門倉刑事は、この話に加算法と、減算法という考えを思い出した。
何もないところから発想をどんどん積み重ねていくやり方が加算法、それは絵を描いていくような感覚であろうか。もう一つの減算法は、実際に目に見えているものの中で必要なものだけを取り出して、そこから真実を探求するというものである。どちらかというと、減算法の方が、世の中では圧倒的に多いのではないかと思えたが、そんな中で発想したのが、将棋や囲碁の世界のことだった。
これはテレビの何かの番組で見た記憶のあるものだが、そこには将棋の名人のような人がトーク番組のゲストとしてきていて、インタビュアーに回答していた内容で、逆に相手に面白いことを聞いていたのが、印象に残っていた。
「将棋の布陣の中で、一番隙のない布陣というのは、どういうものかご存じですか?」
と訊かれて、
「ちょっと分かりませんが」
と答えると、棋士は言った。
「それは最初に並べた形なんです。つまり一コマ動かすことに、そこに隙ができるということですね」
と言っていたのを思い出した。
これはまさしく今回の鑑識の人が言った話にそのまま当てはまるではないか。最初に見えている形がすべてを表しているのであれば、無理にそこから不要なものを削る必要などない、すべてが必要なのだという考えである。
そして門倉は今自分で感じた、加算法と減算法の考えだが、それは囲碁と将棋にそのまま当てはめることができるのではないかとも思った。将棋は知っているが、囲碁をまったく知らない門倉刑事ではあったが、最初から隙のない布陣の将棋と、盤面に何もないところからどんどん石を積んでいく囲碁はまったく違うものであり、対照的だと思える加算法と減算法の考え方に当て嵌めることのできる一番身近な発想に違いないと思うのだった。
「やっぱり、鑑識のいうとおり、この事件はどこをどう切り取っても、自殺としてしか見ることができないんだろうか?」
と考えていた。
刑事課に戻ると、清水刑事が戻ってきていて、机の上に一台のノートパソコンが用意されていて、そのすぐ横に小さな何かが置かれていた。
よく見ると、それはデータ保存などに使うUSBメモリーであり、どうやら門倉刑事が帰ってくるのを待っているようだった。
「どうかしたのかね?」
と門倉刑事に訊かれた清水刑事は、
「私は、深沢の証言にあった。死体を動かしたのではないかという証言を元に、防犯カメラの映像を管理人から入手してきたのですが、そこには、犯行の日の夜、不審な人物が数人写っているのを見つけました。それがこの映像です」
と言って、USBメモリーをセットして、その中の営巣ファイルをクリックすると、再生ソフトが起動し、映像を移し始めた。
映像は、入り口から正面のエレベータに向かって全体が映るようになっている。これだとよほど死角になっているごく狭い部分を忍者のように壁にへばりついてうまく移動しないと、顔までは分からなくともその存在は見逃すことはないという作りになっている。そんな中で、最初はまったく微動だにしなかった映像の中に、数人の怪しい連中が玄関のロックがかかっているはずの扉を開いて入ってきた。何か大きな袋のようなものに包まれたものを皆がまわりから持っているという様子である。運搬している人たちは帽子を目深にかぶりマスクをしている。マスクに関しては時代が時代なので、まったく不審でもないのだが、目深にかぶった帽子のおかげで目も見ることができない。その袋も透明ではないので、何が入っているのか分からないが、そんなに小さなものでもなければ、三人で重たそうに持っていることから、それなりの重量があることは分かるというものだ。
エレベータに乗り、三階で降りたのは分かったのだが、三階の踊り場には監視カメラはあるが、一階のロビーのような視界の広さはない。降りてしまえば、その後はどこに行ったのか分からない世界だ。
作品名:見えている事実と見えない真実 作家名:森本晃次