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短編集108(過去作品)

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 三十歳を過ぎた頃からであろうか。部署替えになった。営業職をしていたのだが、システムの方で人手が足らないという話が持ち上がったのだ。
「今さらシステムですか?」
「ああ、向こうは営業のノウハウと、現場が分かっている人をほしがっているようなんだ。君が適任ではないかということになって、君を推薦したのは、かくいうこの私なんだよ」
 その日の営業部は皆ちょうど出払っていて、課長と二人であった。
「坂石君、ちょっと」
 と応接室に招かれた時は、それが何を意味するのか分からないまでも、身構えてしまったのは、虫の知らせのようなものがあったからかも知れない。
 応接室には西日が差し掛かる時間帯で、まともに差し込んでくる西日をブラインドが半分は防いでくれたが、半分はその間を縫って入ってくる。それが異様な雰囲気を演出しているようで、虫の知らせとは、異様な雰囲気を思い出した時に後から感じるものだったようにも思える。不思議な感覚だった。
「君は今まで営業部でしっかりとやってくれたが、今度はシステムの方でその手腕を生かしてもらいたい」
 目の前に鎮座している課長とは、以前よく食事に誘ってくれた先輩であった。そういえば面と向って二人きりになるのも久しぶりだった。それなのに、話の内容が配置転換であるとは、寝耳に水とはこのことだ。
 しかし、不思議と気持ちは前向きだった。
――新しい部署で頑張るというのも一興か――
 とさえ思えたくらいで、今までにいくつもの現場を経験し、現在はまた本部に戻って久しい自分に、新しい風を与えてくれたような気がしたからだ。決して左遷のようなものとは趣旨は違っている。
「会社幹部になるには、いろいろな部署を歴任するというのも大切なことだからな」
 入社当時に部長が話していた。新入社員への訓示のつもりで軽い気持ちで話したのかも知れないが、坂石の気持ちの中では次第に大きくなっていった言葉でもあった。
「分かりました。それでは頑張ってまいります」
「そうか、営業部から君のような優秀な部下が一人減るのは大きな損失だが、システム部との架け橋ができたことはそれ以上にありがたいことだ。ぜひともこれからもよろしく頼むよ」
 お馴染みのセリフであるが、課長の言葉には重みがある。新入社員の頃から面倒を見てきてもらったというのもあるが、課長は会社でもエリートコースをまっしぐらに歩んでいる人である。課長昇進も歴代の課長の中でももっとも早く、上層部の信頼も絶対である。そんな課長が話す言葉に重みを感じるのも当然で、いずれはシステムの代表として課長と対等に話ができるようになるだろうと真剣に考えていた。もちろん、先輩としての尊敬の念はいつまでも抱いていての話であるが……。
 システム部というのは、会社でも独特の部署で、営業部、管理部とそれぞれの部とは独立していて、ある意味社長直下の部署でもある。どちらかというと管理部に近いというイメージがあるが、それぞれの部署の間に立って話を進めていくことができる数少ない部署でもある。何しろシステム的にできないことであれば、いくら企画しても実現が不可能であるので当たり前のことである。
「システムって何をするところなんですか?」
 何しろ営業しか知らない坂石なので、恥を忍んで聞いてみた。
――聞くことは一時の恥だが、聞かぬは一生の恥――
 という言葉は、営業の時に嫌というほど味わってきたことではなかったか。まだ若い社員に聞いてみたところでおかしな光景ではないだろう。
 しかし、若い社員の表情は少し訝っていた。確かに年上で、役職待遇で営業部からやってきた先輩社員なので、いくら仕事を知らないからといって、後輩に聞くということへのプライドを訝しがっているのかも知れない。
――彼はまだ本当のプライドというものを知らないのだろうか――
 とも感じたが、システムという部署が分かってくるにしたがって、そうではないことに気付いてきた。
 芸術には造詣の深い坂石のことである。専門職にはそれなりに敬意を表していた。それはシステム部という部署に対しても同じである。だが、実際には何をするところなのか分からない。だから、どんな考えを持った人がいるのかも分からない。それを知りたいと思っていたのだ。
 システム部には、同期入社の友達がいた。システム部に転属になるということで、友達に話をすると、
「そうか、じゃあ、一度酒でも呑みながら話をしようか」
 と言ってくれ、転属前に話をすることになった。
 システム部には夜勤がある。一週間続くという話なのだが、友達もずっと夜勤を続けている。何しろ会社の人員がギリギリで業務をこなしているため、夜勤を外れることはできないのだそうだ。
「俺も夜勤を始めて、そろそろ七年になるな」
「だけど、そろそろ抜けられるんじゃないか? そろそろ係長昇進も近いことだし、係長になれば夜勤だってすることないんじゃないか?」
「そんなことはないさ。何しろ人員がギリギリだからな。新人でも入ってくれば話は別だが、そんなことは今のところないからな」
「じゃあ、俺も夜勤の中に組み込まれるのかな?」
「そういうことになるだろうな。お前は夜勤をした経験はないんだろう?」
「ないね。一度、営業で得意先が倒産した時、大変だったことがあるくらいだね。あの時はさすがに大変だった」
 取引先の在庫で、自分の会社から仕入れている商品を抑えるために仕事が終わってからの作業があったこともあったが、それも数日だけだった。夜勤が一週間続くと言われても、その時のことから比べれば楽な気はするが、ただ継続してずっと続けなければならないというのは、きついに決まっている。
「継続してないというのは確かにきついかも知れないな。どうしても昼夜が逆転してしまうと、なかなか生活を戻すのに大変だったりするぞ」
「慣れているお前でもか?」
「そうだな。慣れというのとは少し違うのかも知れないな。生活が不規則になるので、精神的にも少し違ってくるからな」
「夜勤も覚えてくれば一人になるので、それが大変だ。最初はもちろん覚えるために、必ず誰かと一緒なんだけどな」
「俺にできるだろうか?」
 話を聞いているうちに次第に不安になってきた。営業職であれば大抵のことは何とかできるという自信はあるが、まったく違う職種で、しかも生活のリズムが狂うというのは予想外の出来事である。もちろん、先輩である営業課長もそこまでのことは知らなかったであろう。夜勤があるということくらいは知っていただろうが、営業でバリバリやっていた人間が、夜勤を続けなければならないようになるなど、想定外だったに違いない。
 システム部に転属になって、覚えなければならないことはたくさんあった。さすがにプログラム言語と呼ばれるものまで覚えることはなかったが、営業として本当に最低限のパソコン操作しか知らなかった坂石にとって、それだけで済むはずはなかった。
「もう少しパソコン操作も覚えてもらって、データ加工くらいできるようになってもらわないと困りますね」
 というのは、システム部長の話である。
作品名:短編集108(過去作品) 作家名:森本晃次