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短編集108(過去作品)

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 卒業できないまま、仕事をしなければならず、仕事をしながら、卒業を目指さなければならないというジレンマに入り込んでいる。
 卒業にはさして問題がなかったのに、その時期の記憶は就職が困難を極めたことだけが大きく残っている。だが、心の中ではそんな単純な葛藤だけではなかった。確かに辛い時期ではあったが、それなりに友達もできたし、就職活動中に彼女がいた時期もあった。
 初めて女性と身体を重ねたのもこの時期だった。そのくせに、記憶としては薄いものなのは、何とも憤りを感じるものだが、案外、他の時期であっても、初めての記憶というのは、実際には次第に色褪せてくるものかも知れないと感じていた。
 その感覚に根拠があるわけではない。あまりにもセンセーショナルな出来事というのは、自分にとって夢幻の類ではないかと思えてくるからで、思わず頬を抓ってみたくなるのは、テレビの影響かも知れないが、それだけ自分の感覚に自信が持てない証拠でもあろう。
 夢にしても大したものを持っているわけではなかった。
 平凡に就職して、三十歳くらいまでに結婚して、子供が二人くらい、そして、いずれ郊外にでも家を買って……。
 この感覚は小学生時代に見たテレビドラマでの平均的な家庭を描いたホームドラマのシチュエーションであった。
「夢のないやつだな」
 確かに小学生としては夢がないかも知れない。
「野球選手になりたい」
「サッカー選手になりたい」
「医者になりたい」
 女の子であれば、
「看護婦さんになりたい」
 などが主流だったが、却って坂石にとっては、そちらの方が漠然として感じられたのは、天邪鬼な性格があるからであろう。
――人と同じことをしていても面白くない――
 という思いは強くあった。
 子供の頃に皆が大きな夢を見るのであれば、自分は地道な夢を見ることにしようと思ったとしても不思議ではなく、それが将来へのビジョンの基礎になったことも当然の成り行きであった。しかし、成長してくるにしたがって、まわりも夢が次第に角が取れていって、現実を見据えたビジョンへと近づいてくると、皆が坂石の小学生時代に感じた夢と同じような感覚に陥ってくるのだった。
 最初は、
――それ見ろ、皆後になってそのことに気づくのさ――
 と、してやったりの気分に浸れるのだが、すぐに、
――これじゃあ、皆と同じ感覚じゃないか――
 と、すぐに今度は違うことを夢見ようと考えてくる。
 だが、その時には夢を多く見ることの愚かさが身体に染み付いてきていることもあって、それ以外の夢を見ることができなくなってくる。
 子供の頃から培われた天邪鬼のような性格は、そう簡単に変えられるものではない。変えようとする意識もないが、意固地になってしまう感覚が、次第に強くなってくるのも否めなかった。
 就職は、地元の企業にした。東京や大阪に行っても、いずれ帰ってくる人が多いのを知っているし、最初から高望みすることなく、地元でしっかり足場を固めようと思ったからである。それは子供の頃の夢にピッタリで、高望みしない気持ちが強かったからで、無理ができるのも若いうちだけだという感覚もあるのだが、無理が利かなくなった時のことを考えてしまうのも、どこかで保守的な自分に気付いているからだった。
 すぐに嫌なことは忘れてしまうことのできる人が羨ましかった。
「嫌なことがあっても、すぐに何かで気分転換できるからいいさ」
 多趣味なやつで、スポーツは万能、芸術的なことにも造詣が深いやつが友達にいたが、いつも彼のまわりには必ず人がいた。女性が多かったのも特徴で、
「彼の近くにいると、精神的に癒される気がするの」
 と言っていたが、坂石には分からない感覚だった。
――自分ひとりを見つめていてくれるのであれば、精神的に癒される気がするのも分からなくはない。だが、他にもたくさんいて、それでも癒されるというのは、彼の方に神通力のようなものがあるのか、よほど彼女が寛容な性格の持ち主なのか、それともどちらもなのか、分からないな――
 と思っていた。
 だが、彼は嫌なことはすぐに忘れられる性格だったのだ。嫌なことを引きずるわけではないので、人に対して嫌な表情をすることはあまりない。忘れてしまう間、人の前に姿を現さなければいいのだから、そんなに難しいことではない。
 だが、坂石にはそんな芸当はとてもできなかった。よく言えば、
――正直者――
 と言えるかも知れないが、それも自分にウソをつきたくないという言い訳に過ぎず、一旦精神的に落ち着いたとしても、すぐに現実に引き戻させられるのが分かっているので、引き戻される時の思いは、ギャップが激しいほど辛いものである。それを考えると、とても現実逃避する感覚にはなれなかった。
「不器用な生き方なのかも知れないけど、結局は怖がりなんですよね。先を見ているつもりでも見えているのは目先のことだけ…・・・。ただ、どちらが立ち直りに早いかは、分からないけどね」
 忘れてしまえる性格の人は、それだけ立ち直るのに時間が掛かるのではないかと思えたからである。それも性格的な問題で、できるかできないかの違いが、自分の中で言い訳がましくしているだけなのかも知れない。
 就職してからの半年間は、いろいろなことを吸収しなければならないということもあり、大人しくしていた。ただ、仕事にだけは真面目に接していたので、上司のうけもよかったに違いない。
 先輩社員によく食事に連れて行ってもらった。二年前に同じように地元の大学から入社して、昨年まで最年少だったのだが、後輩が入ったことが嬉しくて仕方がないようだった。
「分からないことがあったら何でも聞いてくれよ。といっても、この仕事は皆それぞれ専門にやっていることが多いので、仕事の細かい話は分からないかも知れないけどな」
「ありがとうございます」
 確かに、少ない人員で、それぞれを任されているので、どうしても専門職のようになってしまう。だが、それも自分の会社だけではなく、どこでもそうなのだと考えると、それほど気になるものでもなかった。
 仕事に関してはそれほど嫌なところはない。どうしても嫌になることがあるとすれば、人間関係であろう。幸いにも最初の頃は一番下ということもあって、それほど人間関係でギクシャクしたりしなかった。それなりに社会人としての人間関係を形成することに長けていたからであろう。
「俺もそういえば、入社してすぐくらいには、先輩からよく食事に連れて行ってもらったものだよ。ありがたかったな」
 思い出しながらしみじみと話してくれた。
 先輩も最初は、分からない仕事を人に聞くことに躊躇いがあったようだ。
「躊躇いがあるうちは、なかなか人に馴染めないものさ。きっかけが必要なんだろうが、俺がそのきっかけになればいいと思っているよ」
 ありがたい言葉だった。
 仕事の内容は違っても、同じ会社なので、どこかで繋がりが出てくる。大変さは見ていれば分かってくるというもので、それだけに話すことでコミュニケーションが深まり、スムーズに仕事を遂行するための潤滑油になる。先輩も、さらに先輩から受け継がれたいい伝統なのだろう。若いうちの仕事はそれほど苦になるものではなかった。
作品名:短編集108(過去作品) 作家名:森本晃次