短編集108(過去作品)
システム部長は、生え抜きのシステム部の人間ではない。叩き上げには違いないが、管理部の仕事を歴任してきて、経理、総務畠を転々としてきた。それなりに数字にも強い人であるが、システム部には部長になってからの配属になる。完全にシステムには疎い人であった。
実際に生え抜きとして現場を指揮しているのは、次長であった。次長は、会社にシステム部ができてから十数年の間、ずっとシステムの第一線で活躍されていた方で、会議での発言権は絶対的なものを持っていた。
「坂石君にも夜勤をやってもらうことになるね」
次長からそう言われてしまえば、それが決定を意味していた。
果たして、次長から配属されてすぐに、その命令を聞かされた。パソコンメーカーへの研修がまず先ではあったが、数日間研修に出かけて帰ってきてから、少しシステム部の内容を他の課員から説明を受け、それから夜勤の体制を組むようなスケジュールになっていた。夜勤に入るのは、配属後の一ヵ月後であった。
研修では坂石と同じくらいのスーツ姿の男性も多く、それと同じくらいに、まだ二十代と思しきOLの人も参加していた。パソコン研修なので、事務的な話かと思いきや、データ加工の話が多く、最初はチンプンカンプンだったが、まわりを見ていると、一生懸命にメモしている人が多く、坂石もとりあえずメモに勤しんだ。
――本当に皆分かっているのかな――
という疑問が頭を擡げたが、他人は他人、それぞれに会社に戻っての立場も違えば、研修での成果を試す場所も違うはずである。
何とか四日間の研修を終えた時には、少し精神的に疲れを感じていたのだった。
――一日中、研修と称して部屋に閉じこもるのは入社後の研修以来だな――
入社後の研修は、営業のいろはの研修だったので、自分にとって大切なことは分かっていた。いかもまだ入社したての新鮮な気持ちの時なので、それだけに真剣に聞くこともできた。
今回の研修が真剣でなかったわけでは決してないのだが、精神的に違う。どこか上の空のところがあったのは入社の時と変わりはないが、どちらかというと、雑念を含んでいたように思う。
――俺は一体何をしているのだろう――
営業畑でずっとやってきて、今さら……、という気持ちもないではない。その思いは吹っ切ってきたつもりだったのに、またぶり返してしまうのは、まだ営業に未練があるからであろうか。
その思いは研修が終わってシステム部に戻ってから一層強くなった。システム部内の研修ということで、部内の説明を先輩の課長から受けたのだが、課長は人間的に本当に尊敬できる人ではないように思えてならない。
「君のいた営業の仕事は、この際キッパリと忘れてくれ」
これが最初の言葉だった。
坂石もなるべくならそうしたいと思っていた。しかしいきなり言われてしまっては、身も蓋もない。自分の立場がないのではないかと感じたからだ。素直に頷いていたが、心の中では、
――何言ってやがる――
と反発の気持ちを少なからず抱いたのも事実で、研修としての話をどれだけ真剣に聞いたかも自分では判断しかねていた。
――本当にどうして今さらシステム部なんだ――
転勤を命じた営業課長が恨めしく思えたほどだ。同時に営業社員が出かけていく姿を見るのが羨ましく映っていて、その思いをシステム部の人たちに知られたくないという気持ちも強かった。
――所詮営業の苦労を知らない連中に、人の心を読むことなんてできるはずはないんだ――
と考えていたからで、半分は当たっていただろうが、中には分かっている人もいただろう。システム課長は分かっていないようなので、ホッとしていた。
いよいよ内部研修も終わり、夜勤の研修に入ることになった。
「お前もそろそろここに来て一ヶ月が経ったんだな」
「そうだな。短いようで長かったよ」
「そうなのか? 長いようで短かったように思っているかと思ったよ」
「いや、逆だね。きっと最初に思っていたよりも自分の中で納得がいかないからに違いないね」
同期入社の友達との会話である。彼には自分の考えていることを正直に話した。彼は口が堅い上に、的確な助言ができるやつだということは前々から知っていたからである。同期入社と言えど、ここではずっと先輩である。会社内ではもちろん、会社を離れても一目置いている。会話は他党の表現を使っているが、彼もそのことは分かってくれているようだ。
最初の夜勤は、まず友達と一緒だった。スケジュールを組んでくれた人の粋な計らいというわけでも何でもない。ただ、スケジュールが偶然そうなっただけだ。そこまで一人の人間の都合を考えてくれるほど人間ができている部署でないことは最初から分かっていた。
だが、偶然とはいえありがたかった。
「夜勤と言っても、それほど緊張することはない。確かに夜の作業になるので孤独なのだが、作業が終われば仮眠もできるし、自分のペースで仕事もできる。人によっては、夜の方が電話も掛からないし、昼間のように急遽の予定も入るわけではないのでやりやすいという人もいるくらいだ。要するに気の持ちようということだね」
言っていることは分からなくはない。しかし何より初めてなので、まずは慣れることであろう。
――時間に慣れることと、業務に慣れること――
この二つが最大のテーマであった。
「最初の一日はまず何が何か分からないだろうから、俺がすることを見ているだけでいい。俺も見られているということを意識することなく作業を進めていくからな」
実際に業務時間になって、処理を締めた後に出てくる帳票の振り分けなど、テキパキとしたものだった。
――きっと身体が覚えているんだろうな――
頭で考えていては、これほどテキパキとはできない。却って頭で考えればところどころで詰まりそうに思えた。
頭で覚えることが苦手だというのは、学生時代からだった。
「お前は整理整頓が苦手だからな」
よく親から怒られていたものである。小学生の頃などは、部屋の掃除を言われて、泣く泣くやったものだ。
――どうしてここまで情けなくならなければいけないんだ――
母親はヒステリックな人だった。片付け一つにしても、キチンとしていないと気がすまないらしく、潔癖症といえば聞こえはいいが、子供にとっては八つ当たりにさえ思えた。
何しろ筆箱の中のペンが一本足らないというだけで、せっかく帰ってきたのに、また学校まで取りに行かされたことがあったくらいである。今から思えば、サディストではないかと思えてくる。
しかし、サディスティックな雰囲気が一環していればそれでまだ納得がいくのだが、
「お父さんに言うわよ」
「お父さんが、聞いたら何て言うかしらね」
と、事あるごとに父親を引き合いに出していた。それが一番耐えられなかったのかも知れない。
確かに父親には威厳があり、尊敬の念を持つにふさわしい人であるが、家ではヒステリックにしか見えない時もあった。幾分か母親の性格が作用しているところがあるのか、本来父親がヒステリックな性格でないことは、坂石が中学に上がる頃には理解できていた。
とにかく整理整頓と、人に気を遣うことに対しては必要以上に固執していた。
作品名:短編集108(過去作品) 作家名:森本晃次