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短編集108(過去作品)

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昼と夜のバランス



                昼と夜のバランス

 睡眠時間というのは一体何なのだろう?
 坂石は最近そのことをよく考えるようになった。
「夜十時には寝なさいね」
 とよく親から言われていた。小学生時代だったが、朝起きるのは七時前だった。睡眠時間にすれば九時間ほどであるが、それでも少ないと感じていた。起きる時になかなか目が覚めないからだった。
「睡眠時間の平均というのは、八時間くらいらしいね」
 小学生の担任の先生が話していた。八時間が平均なら、坂石は平均よりもよく寝ていることになる。
「寝る子は育つというからね」
 と言われるが、なぜかあまり睡眠時間の多いことに後ろめたさを感じていた。
「俺は睡眠時間が大体五時間くらいかな?」
 と嘯いているやつがいたが、そいつを見ていると、自慢しているよう見えるのだが、嫌味は感じない。元々本人にも自慢の意志などないに違いないが、坂石の勝手な思い込みである。
 中学に入ると、次第に寝る時間が遅くなってくる。深夜番組を見るようになったからだが、それがそのうちに受験勉強に繋がってくるのだ。
 受験勉強に関しては、小学生の頃から、きっと他の人よりも必要以上に脅威を感じていたに違いない。深夜遅くまで勉強して、通学の電車の中で、疲れ果てて眠っている姿を見てきたからだ。
――俺にはとってもあんなことはできやしない――
 と思っていて、意地でも電車の中では眠らないように心がけたものだ。第一、みっともないではないか。学生が俯いて眠っている席を見ている横で、サラリーマンが熱心に新聞を読んでいる。いくら受験生と言いながらも、サラリーマンに比べれば、まだまだ甘いと思っていたからだ。
 父親を見ていればよく分かった。毎日日付が変わる頃に帰ってきては、朝も早朝から出かけていく。朝食の時間も、ニュースを見たり、新聞を読んだりと、情報収集に余念がない。これでは一緒にいる時間が少なく、威厳を感じることがなくとも、敬意を表せざる終えないではないか。
 父親に対しては、どうしても逆らえない。子供の頃から厳しく、少しでも曲がったことがあれば叱られたものだ。父親に対して逆らうことのない母親を見ていると、そのことを裏付けることにもなる。聖人君子とはまさに父親のような人のことをいうのだと、ずっと思ってきた。
 特にほとんど顔を合わせる時間がなくなってくるようになると、その思いは強くなった。怒られることが少なくなってそれなりに安心はしているのだが、それ以上に見えない敬意を表しているようで、自分の中ではそれを悪いことだとは思っていなかった。
 人に敬意を表することはいいことだと思っている。
「物事には謙虚にならないといけない」
 これも父親の教えだが、言われるまでもなく、身に沁みて分かっている。性格的にまわりの人間がすべて自分よりも偉い人だと思い込んでいるところがあるので、人に対して敬意を表することに違和感はないのだ。
 中には意地になって、
「人に敬意を表するなんて、バカバカしい。自分に自信のない証拠さ」
 と嘯いている友達もいるが、坂石は決してそうは思わない。
「自分に自信を持ちたいから人にも敬意を表するのさ」
 人に敬意を表するということは、それだけ一歩下がって見れるということである。一歩下がるということは、視界が広がってくる。相手のまわりに何が見えるかが分かってくると、それが自信にも繋がる。相手には見えていないものが見えているという自信である。
 自信が余裕にも繋がってくる。成長期の中では、言い知れぬ漠然とした不安にいつも苛まれているように思えた。成長していることに対して自信を持っている反面、なかなか時間が過ぎてくれないことに苛立ちを覚えている自分がいる。
 人に対して敬意を表していると、相手も自分に敬意を表してくれるように思えてくる。気を遣ってくれているというよりも、相手をしっかり見ようという真剣な眼差しを感じてくるようになる。
 中学生くらいでそのことを感じたが、他の人はそこまで感じる余裕などないだろう。何しろ気持ちの中に余裕というものがあるのとないのとで、雲泥の差が生じることを理解していないと、相手の真剣な眼差しを見逃してしまうに違いないからだ。
 だが、そのことを中学時代の自分が本当に感じていたのかということになると、少し疑問を感じる。中学時代の自分を社会人になって思い返すと、
――まだまだ子供だったんだな――
 としか感じない。遠い記憶の中で、それぞれに節目がある。節目はしっかりと覚えているのだが、その前後になると曖昧だ。
――どの節目と節目の間に感じたことなのだろう――
 それが分からないと、記憶というのは、前後関係を失ってしまう。
 記憶に立体感があるのなら、節目はマンションのフロアのようなものかも知れない。足元がしっかりしていないと、歩くことすらできない。ただ、エレベーターの中で、フロアを示す表示板のランプがついていない状態、それが記憶の中で自信のないところだ。
――上っているのか、下っているのか、動いている時の感覚では分からない――
 それがエレベーターという密室である。
 エレベーターも最近はガラス越しで表を見れる形のものが増えてきたが、以前は完全に密室で何が起こっているか、感覚でしか分からなかった。足元に重力が掛かっていると思えば、それは上の階へ昇り始めているのであって、逆に宙に浮いているように感じてくると、目的の階へ到着した証拠であった。同じ感覚はエスカレーターにもある。エスカレーターは解放されているので、あまり感じないかも知れないが、止まっているエスカレーターに足を掛けると、最初はつんのめってしまう。それは
――エスカレーターというのは、必ず動いているものだ――
 という意識があるからで、しかも傾斜角に伴って、高さが変わってくるのが特徴なので、不思議な感覚に陥っても不思議ではない。
「風呂場でもそうだよ」
 友達にエスカレーターの話をした時に返ってきたのが、風呂場の話だった。
「俺、時々親の手伝いで、風呂場の掃除をしているんだけど、下着だけになって浴槽を洗うんだ。いつもはお湯が入っていて気持ちいいのに、下着姿で、足元にだけ冷たい水があるというのは、何とも言えず気持ちの悪いものさ」
 坂石には風呂掃除の経験はなかったが、想像するに、気持ち悪さを感じていた。勝手な想像には違いないが、案外当たらずとも遠からじといった想像をしているものなのかも知れない。
 普段の感覚と違うものを感じる時の自分が、同じ自分であっても、違う世界を見ているということに気付いたのは、仕事で夜勤をするようになってからのことだった。
 就職した会社では、最初営業としての入社だった。
 学生時代から、将来についての夢を漠然としてしか持っていなかったこともあって、結局、自分の身につくものを何も持たないまま就職活動を迎えてしまった。
 当然、就職活動は苦戦することになる。今でもその当時のことを思い出すのか、夢で見ることが多い。夢というのは正直で、本当にその頃に戻ったような気持ちになるのだが、自分が実際に社会人であるという意識は心のどこかにあるのだろう。
作品名:短編集108(過去作品) 作家名:森本晃次