短編集108(過去作品)
それが清水の魅力だったのだが、そこに利害関係が絡んでくるという話を聞くと、もし自分が清水と縁もゆかりもない人間であっても、あまり気持ちのいいものではない。純情な一人の人間を、まわりの利害関係の渦の中に巻き込んで、寄ってたかって嬲り者にしているようにしか思えないからだ。
そのことを意識している人は、この葬儀に来ている中でどれだけいるだろう。
清水という男は、意外と自分の気持ちを表に出すのが苦手で、不器用なところがあった。しかし、自分が輪の中心にいないと自分の存在価値がないと思っているところもあったようで、それがジレンマとなっていたことは、私には分かっていた。学生時代でも分かったのだから、社会の荒波の中で、どれだけ自分を隠すことができるかということが清水にとって課題だったに違いない。
自分の気持ちにウソがつけない性格で、自分でだけは納得していないといけない。しかし、それをまわりに悟られないようにすることがどれほど難しいかということは、私も身に沁みて分かっているつもりだ。
清水と一緒にいる時には気付かなかったが、私にも清水と同じようなところがある。それが
――自分は他の人とは違うんだ――
ということである。個性を前面に出さないと、自分の存在価値がないと信じているくせに、前面に出してしまうと、出る杭は打たれてしまうことも分かっている。
悩みやストレスは、そういったジレンマから起こるもので、どこかに逃げ場が用意されていれば、それほど悩むこともない。悩むことは逃げ場を探すことで、逃げ場がないと感じた瞬間、死という言葉を意識するものなのかも知れない。
――清水も逃げ場が見つからなかったのかな――
実は私も逃げ場が見つからず、死というものを意識したことが何度かあった。
死まで至らなかったのは、死ぬ勇気すらなかったことを実感したからなのだが、そう何度も死というものを意識できるものではない。一度意識してしまうと、次に意識する時は、死というものに免疫ができていて、本当の死というものが見えていないだろう。
「でもね、彼女もそれほど悪い女性じゃないみたいなのよ」
彼女というのは、清水と付き合っていて、清水の死に関係のある女性のことである。
「どういうこと?」
「彼女は今までに男性と付き合ったことがなかったというのは本当だったらしいの。確かに利用されていたという話なんだけど、彼女も真剣に清水さんの気持ちを受け入れようと感じた時期があったらしいの」
「どうして知っているの?」
「実は彼女、私の知り合いなのよ。高校の頃の同級生、その頃から大人しい娘で、人から騙されることはあっても、人を騙すような女性じゃなかったの。それは私が保証してもいいわ」
「でも、騙すことになったんでしょう?」
「ええ、でも彼女は悩んでいたわ。騙すことにじゃなくって、騙している自分がいつの間にか間隔が麻痺してくるらしいの。悪いことをしているっていう感覚がね」
「それって、彼女がやっぱりそういう性格の女性だったからじゃないの?」
「ううん、そういうことじゃなくって、彼女は、昔から相手に流されやすいタイプの女性だったの。情にも厚い女性でね。でも、彼に対して罪の意識が薄れてくる自分が情けないって嘆いていたのは事実なのよ」
「相手の男性の雰囲気が彼女に罪の意識を麻痺させたってことなのかしら?」
「そうね、私は仕事でしか清水さんを知らないけど、冷静で落ち着きのある大人の男性だというイメージしかなかったわ」
「私もそうよ。でも、男性として付き合いたくない人の上位には入る人だったわね」
「何を考えているか分からないところがあったものね」
死んだ人をここまで酷評できるのも、一つは騙したはずの彼女の気持ちを思い図ってではないだろうか。いずれ彼女の存在が明るみに出れば、表面上の事実だけでいけば、清水は仕事上で利害関係のある相手の刺客としての女性に騙されて、死を選んだのだということにされてしまうに違いないからだ。
「安西さん?」
二人の女性が話している横に一人の女性が佇んでいる。
「清水さんはどうして死んじゃったの?」
「どうしてって、あなたも知っているでしょう? 変な女に騙されて……」
そこまで言うと、言葉を濁した。さすがにそれ以上は言いにくいようだ。
「彼はその女性の正体を知っていて、私に相談したことがあったのよ。そして、きっぱりと別れて、私と付き合い始めたの」
新事実であった。
「清水さんは、私にはすべてのことを話してくれた。彼は最初から彼女の正体を知っていて、それで、自分から利用したんだって。だけど、いくら騙されているふりをしていても、結局は相手を騙していることに対して罪悪感が芽生えたのね。あなたたちが彼女から聞いたのはあくまでも彼女の言い分でしょう? 彼女も悩んでいたのかも知れないけれど、清水さんも悩んでいた。どれはお互いが騙すことへの間隔が麻痺していることに気付いていたからだってね」
お互いにすべてを知って、騙し騙され、そんな経験、誰にあるだろうか?
人間、感覚がなくなってくると、自分の先が見えてくるものなのかも知れない。
清水はそのことに気付いたのだろう。
池の上を歩いていて、デコボコ道をまるで夢遊病のように歩いていたのは、足元に間隔がないように見えたからかも知れない。死を予期していたわけではないのだろう。しかし同じ高さからでは人の死を予期することはできないが、高いところからなら、あるいは見えるものなのかも知れない。
「そういえば、私、清水さんと付き合っていた彼女が、夢遊病のように池のほとりを歩いている夢を見たことがあるの。私はなぜか学校の屋上にいて、そこから下を見下ろしていたのね」
清水を騙していた女性の知り合いが話していた。
「それっていつのこと?」
「そう、昨日の夢だったかな?」
私は嫌な予感に背筋が寒くなった。私も同じような夢を見たが、それは池の上を歩いていたのが、一人の男性だったからである。それが清水だったのかどうかは分からないが、まるで鏡を見ているような嫌な予感がしていた。
――人はいずれ死ぬんだ――
死にたくなる人の気持ちが分かったような気がした。分かりたくもないと思っていたことのはずなのに、実に不思議な感覚で、肩の荷が下りたような気もした。
折りしも、葬儀が行われているその時、遠くの方から救急車の走り去る音が聞こえた。その時に仏壇の上のろうそくの炎が一瞬消えたことを、私は見逃さなかった…・・・。
( 完 )
作品名:短編集108(過去作品) 作家名:森本晃次