短編集108(過去作品)
いつも冷静沈着な人間ほど、いつも何かに怯えていると感じるのは、気のせいかも知れない。だが、清水を見ていると、まわりに気を遣いすぎているところがあったからだ。
「お前はまわりに気を遣いすぎなんじゃないか?」
と訊ねると、
「そんなことはないさ。逆に人に気を遣うってどういうことなのか、教えてもらいたいくらいだよ」
という答えが返ってくる。
私はあまり人に気を遣う方ではない。年配の女性、いわゆる「おばさん」たち、数人寄ると見かける光景であるが、
「ここは私が払います」
「いえいえ、何をおっしゃってるんですか、私が」
レストランなどのレジで、いざお金を払う時の会話である。後ろに待っている人がいてもお構いなし、自分たちだけで気を遣っているだけで、まわりが見えていないのを見ていると、
「バカかお前ら」
喉から出かかる声を抑えるのに必死になる。おそらくその思いは私だけではなく、まわりの人ほとんどがその場の茶番を私と同じように感じていることだろう。
気を遣うという行為はキリがない。誰かに気を遣っていると、そのまわりをさらに気にしなければならない。すると、またさらに見えないところで誰かに迷惑を掛けているかも知れない・・・…、などと思うと、キリのなさを感じてくる。
――それなら、いっそ気なんか遣わなければいいんだ――
と思えてくる。その時の自然に感じたことが一番ではないだろうか。
――シンプル イズ ベスト――
である。
清水はそれほど器用なタイプではなく、いつもまわりを気にしていた。彼の性格なので、いい悪いという判断はできないが、少なくとも私にはじれったく感じられた。
「要領が悪い」
と小学生時代から言われ続け、彼にとっては悪口になっていた。私が思うには要領が悪いというのを悪いことだとは思えない。
――長所と短所は紙一重――
と言われるが、限りなく長所に近い短所に思えてならなかった。
「清水さん、そういえばどこかの女性と付き合っていたらしいわね」
「え? そうなんですか? あまり清水さんは目立つ方ではなかったので、知らなかったわ」
告別式に出席した人が話している。
普段であればあまり人の噂など信じないし、耳にも入ってこないのに、今日はどうしたのだろう。清水の話になると、不思議と耳に入ってくる。
「清水さんはずっと会社では同じ雰囲気だったでしょう。だから分からなかったんだけど、彼のことを気にしている女性がいたの知ってた?」
「はい、総務課の安西さんでしょう? 確か、彼女も目立たない性格だったから」
「そうそう、彼女も今回の清水さんの自殺にはかなりショックを受けているようだしね。会社も二、三日休んだらしいわ」
「告別式には?」
「彼女の性格からして、きっと来れないでしょうね。何しろ清水さんが付き合っていた女性というのは、安西さんとは性格的にまったく逆の女性だったようよ」
「ということは、結構積極的な女性なのかしら?」
「そうね、積極的で、しかも男好きのするタイプの女性らしいの。ハッキリと見た人は数人いるんだけど、まさかそれが清水さんの彼女だなんて誰も思わなかったみたいよ。それだけ二人は不釣合いだったそうよ」
「そんな女性だったら、きっと清水さんが自分から言い寄ると、スルリとかわすタイプかも知れないわね」
「ところが最初はそうでもなかったらしいの。最初寄って行ったのは、彼女の方からだったらしいのよ。清水さんの性格からして、女性に寄って行くなんて想像できる?」
言われた女性は考える間もなく、
「いいえ、そんなことはないわ」
と頭を何度も横に振っていた。私も聞いていて、自然と頭を横に振りたくなったくらいである。
清水という男、女性に興味がないわけではないが、こと女性のこととなると、話を逸らそうとする。ルックス的にもてても不思議ではないタイプなので、ニヒルな男性として女性に接すればきっと素敵な彼女ができるだろうと思っていた。
性格的にもやさしく、それがニヒルな雰囲気とマッチして、いい相手が見つかるだろうと思っていた。
だが、彼は性格的にどこか孤独なところがあった。それは自分から女性を求めていないというところである。
私の知らないところでコンプレックスでもあるのかと思うくらいで、女性と一緒にいるところを想像したこともない。だが、就職してそれぞれ違う土地に行くと、彼が女性を連れて歩いている姿を想像することは容易だった。
相手の女性は物静かで、落ち着きのある女性、勝手な想像であるが、髪はストレートのロングで、スカートもロングが似合いそうなスラッとした細身の女性を思い浮かべていた。
――女教師など、お似合いかも知れないな――
という勝手な想像に走ってしまったが、それは私にはない部分を清水に求めていたからかも知れない。
私は自分勝手で、女性と一緒にいても、きっとわがままを言っているタイプである。それを分かった上で付き合ってくれる女性を探そうというのだから、なかなか彼女ができないのも当たり前だと思っていた。
しかし、意外と現れる時はきっかけのようなものがある。バイオリズムのようなものがあるのかも知れない。
――何となく運が向いてきたな――
と感じることがあるが、そんな時に理想の女性が現れたりする。きっと、精神的にできた余裕が、女性をありのままに見せる魔力を持っているからだろう。それまでは内にばかり向いていた目が、一気に外に向けられる。自分の性格の中で一番好きな時期でもある。
――俺の彼女になる人ってどんな感じなんだろうな――
人のことはよく見えるのに、自分のことになるとさっぱりだ。
自分の表情を見ることなど、鏡という媒体を通さなければ見ることができない。しかも鏡は左右対称なので、
――本当の自分を左右対称に見せているのではないか――
という錯覚に陥らせることがある。
清水もよくトイレで鏡を見つめていたっけ。
「おい、そんなに長く見つめていてどうするんだ」
と言ったことがあった。清水は、そのことに対して、何ら返事をすることもなく、何かに取り付かれたように見ていた。それだけその時の清水の表情は、尋常ではなかったのだった。
話を聞いていると、安西という女性が、清水のことをよく知っているらしい。噂では、清水は付き合っていた女性に、最初は甘い言葉を掛けられて、その気になったようだが、彼女の本性を知ると、今度は言葉巧みに操られていたという。
どうやら、清水は女の正体を、仕事上の利害関係のある相手に関係があることを知って愕然としたが、相手も正体を見破られることは先刻承知だったようで、言葉巧みに清水を操っていたところがあるという。
清水は頭がいい男で、勘も鋭いのだが、実直なところがあって、視界が狭いのが難点であった。それだけに親しまれやすかったが、知らないところでの敵も多かったのかも知れない。どちらかというと一匹狼のようなところがあり、他の人を寄せ付けない「聖域」のようなものを持っていた。
作品名:短編集108(過去作品) 作家名:森本晃次