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短編集108(過去作品)

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「そうだったかな? 最近思考回路が飛んでしまうことが多くって、きっと考えごとばかりしているからだろうな」
「疲れてるんじゃないのか?」
「大丈夫さ。俺は熱しやすく冷めやすいタイプなので、明日には会話の内容も忘れているさ」
 と笑いながら話していたが、心なしか笑顔が引きつっていたように思えるのは、今になってその時のことを思い出しているからかも知れない。
 清水はあまり物事を深く考えるタイプの人間ではなかった。とりあえず行動してみて、それから考えるタイプだったのだ。しかしそれが彼の性格でもあり、彼を支えていた部分である。
 彼は性格的に幸運だった。行動に移したことのほとんどが、彼にとっていい方向に向っていたからである。
「俺の性格が結果を生むのか、結果がいいので、性格が得しているように思えるのか、どちらにしても、これが俺の性格なんだよな」
 その話と高いところから下を見ると飛び降りたくなるという話とが頭の中で交差している。
――タマゴが先か、ニワトリが先か――
 の理論が頭の中でめぐっている。
 清水が自殺をしたことが今でも信じられない。一番自殺などしそうもない人が自殺をすると却って死というものが軽いものに思えてくる。
――誰でも死にたいって思うんだ――
 そのことに間違いはないだろうが、死ぬにも勇気がいる。勇気を持って腕にナイフを当ててみても、結局躊躇い傷を残すだけの人もいる。
 死に対してのいろいろな理由もあるだろう。何かが嫌になったというのがそのほとんどに違いはないが、それがハッキリと分かっている人、そして漠然としてしか分かっていない人もいる。私が考えるに、漠然としてしか分かっていない人の方がアッサリと死んでしまうように思う。
――命の重さを分かっていないからかも――
 そんな単純なものではないように思えるが、なぜなら、自殺をする人は、それほど人生を投げている人ばかりではないように思える。特に清水はそうだった。
 考えるよりも先に行動する人は、浅はかに見えるかも知れない。だが、行動してから反省をすることを怠らないので、次の行動がスムーズに出るのだ。私はそんな清水が羨ましかった。
 私はいつも行動する前に躊躇してしまう。何をするにもすべてを納得してからでないと行動に移す勇気がないのだ。これはもって生まれた性格なのか、それとも育ってくる間で身についた性格なのか、定かではない。だが、今までの自分の人生を思い返すと、考えているよりも明らかに躊躇したことへの後悔が後に立っていることを思い知らされる。
――考えたわりには、最良の道を選んでいないんだ――
 と思えてならないからである。
 考えていると、時間ばかりが経ってしまう。その間に人から先を越されることもあるが、それも仕方がないことだと思ってきた。考えなくして行動すれば、後になって大きな後悔として跳ね返ってくることが分かっているからである。
 清水が学校の屋上から見える池のほとりに佇んでいたのを、そういえば見たことがあったのを思い出した。
 今は立てられているが、当時池に立ち入り禁止の札が立てられていなかったはずだ。いつ頃から立ったのかハッキリと分からなかったが、池の近くで遊ぶ子供が多かったのは確かだった。
 池では魚が釣れていた。子供が遊びで釣るにはちょうどよく、野球帽を日除けに釣竿やバケツを持っていつも数人の子供が釣りをしていた。
 そのうちに、一人の子供が溺れてしまうという事件が起きた。
 私が中学生の頃で、同級生がよく釣りに出かけていたことは知っていたが、どうやら溺れたのは、小学生だったようだ。
「お兄ちゃんと一緒の時はそれほど無理なことはしなかったんだろうけど、子供たちだけで行くと、結構無理なことをしていたらしいよ」
 幸いにも大事に至ることはなく事なきを得たが、問題は学校や父兄を巻き込んで大きくなった。
「上級生がいれば大人しい生徒も、自分が中心になれば結構無理なことをしようとするものなのよ。冒険心が強いというか、普段目立たない子供が中心になると、思い切ったことをするものなんでしょうね」
 という意見が大半を占めたようだが、当たらずとも遠からじであろう。
 私にも同じようなところがある。
 普段から目立たないと性格だということは自覚しているが、目立たないと自分の存在価値が薄れているようで、どうすればいいのか絶えず悩んでいたことがあった。友達をたくさん作ればそれも解消するかと思い、友達を作ろうとしたが、無駄だった。
 友達がたくさんできれば、それだけ自分の存在が埋もれてしまうということに気付かなかった自分がどうかしていた。しかもそんな気持ちで友達を作ろうとしてもできるものではない。友達ができないことで、
――どうしてなんだろう――
 と悩んでいたが、そのこと自体が無駄だったということを知るのは、結局自分を見つめるしかないのは皮肉なことである。
 人との違いを見つけることに一生懸命になっていた。人がやらない趣味を持ちたいと思っていたが、それも結局人のマネになってしまう。
 芸術にしてもそうだった。
 何もないところから、一から自分で作り上げるのだから、すべてが自分のオリジナルになるはずである。しかし、作っていくうちに次第に自分のオリジナルではなく、どこか他の人をマネてしまっていることに気付いてくる。
――こんなんじゃだめだ――
 ムキになって次の作品を作ろうとするが、今度は自分が最初に作ったものに似てくる。同じ人間が創造するのだから、似てきても当然なのだが、それがオリジナリィを出したいと思う一心であることから生まれるというのも皮肉なことである。
 自分の考えや、しようとしたことがすべて皮肉に思えてくると、やっていることや考えが袋小路に入り込んで、出口が見えなくなってしまうだろう。
 袋小路の出口は、すぐには見つからないが、周期的に襲ってくるものであった。あるきっかけで袋小路に入り込むが、かならず出口が見つかるまでに大体半月くらいを要している。
 袋小路の長さが同じなのだろうか?
 彷徨っているのはトンネルのように細長いものであると感じるのは、真っ暗で大きな空洞を想像することができないからだ。しかもトンネルであれば出口はまっすぐに歩いているだけで見つかるはずである。都合のいい考えなのかも知れない。
 しかし、袋小路に入り込んだという思い自体が漠然としたもので、まわりが見えないだけで実際には普段いる空間なのかも知れない。見えているから目の前のことすべてを信じても疑うことを知らないだけで、普段から見えていることを疑ってみれば、袋小路など存在しないのかも知れない。
 学校の屋上から見える池は、綺麗な丸に見える。近くに行って同じ高さから見れば、これほど綺麗な円であることに気付くはずもない。
――ここまで綺麗に見える池を知っているのは、私だけかも知れないな――
 他の人は誰も知らないことを知ってしまうと、誰にも知られたくないと思う気持ちが本当に強くなるものだ。
作品名:短編集108(過去作品) 作家名:森本晃次