短編集108(過去作品)
六年というと、学生時代はものすごく長く感じたものだ。小学六年生と、高校三年生といえば、かなりの差がある。
しかし、高校を卒業して戻った熊本は、出て行った頃とまったく変わっていないように感じたのも事実で、
――昨日のことのようだ――
と思えるほどだ。
これから先の六年間でどれほど変わってしまうか分からないが、少なくとも今までの六年間は、私の中では時間が止まっていたかのようだ。
だが、それは間違いだった。少しずつではあるが変化があったに違いない。その場所にいれば毎日のちょっとした変化は分からないまでも、ずっと離れていればちょっとした変化にも敏感なはずである。
――どこが変わったんだろう――
まず駅を降りてそれを考えた。変わっているところは確かにある。だが、それも最初に感じてしまった六年間を思った瞬間の
――昨日のことのようだ――
という感覚には勝てなかった。
駅を抜けてまずトイレに入った。
トイレで用を足すと洗面所で見た鏡に写っている自分の姿を見つめると、鏡を睨んでいる自分がいる。
――少なくとも、学生時代の私は鏡に睨み返すようなことはしなかったはずだ――
と思えた。
高校は熊本駅から近く、熊本城にも近かった。時々熊本城の天守閣から市内を見渡してみるのが好きで、よく一緒に行っていたのが、清水だった。
熊本城は、四百年の歴史を持っている。城の歴史として四百年が長いのか短いのかは分からないが、難攻不落の城として全国でも屈指であることは天守閣を見上げていて分かっていた。
今までに天守閣の残った城にいくつか行ったこともある。大阪にいたので、当然大阪城にも足を運んだこともあるし、出張で名古屋にも行ったことがあるので、名古屋城も何度かある。
――熊本で育った経験を持っていなければ、城を見て回るなんて気分にはならなかったかも知れないな――
歴史には造詣が深いが、勉強としては歴史全体を見渡している方が面白い。確かに戦国時代は面白いが、それ以外の時代もそれなりに面白い。特に熊本城は明治初期の西南戦争での政府軍の篭城があったことでも知られていて、そこから熊本城を勉強するのも楽しかった。
「歴史ってどこを取っても中途半端なのかも知れないな」
と私が清水に話をすると、
「そりゃそうさ、時代は止まっているわけではないからな」
という答えが返ってきた。
「それは屁理屈の類かな?」
「そうかも知れんが、モノは考えようというところだね」
何とも漠然とした会話である。しかし、それでもお互いに何かを感じることのあるところが、暗黙の了解であって、長く友達でいられる秘訣でもある。
「モノは考えようというが、城だって上から見るのと、下から見るのとではさぞかし世界が違うんだろうな」
天守閣から見下ろしていた時の会話である。
「同じ上から見るにしても、下界が殿様のいた時代とではまるっきり違っているだろうからな。昔は城下町として、城を中心の街づくりだったはずだが、今の城はあくまでも文化財、街の中心ではなく、象徴のようなものだからな」
そう言って下界を眺めていると、人が米粒のようだ。近くには藤崎台の競技場もあり、反対側には繁華街、清水は下界の雰囲気はまるで違うというが、私にはいまだに街が城を中心にして作られているように思えてならなかった。
高校の屋上から池が見えた。
清水とはよく高校の屋上から下を眺めたものだが、城の天守閣から見下ろすのとでは、景色が違いすぎる。
「違うところがいいのかも知れないな」
熊本城の天守閣がすぐそばに見える。天守閣の方が数段、学校の屋上よりも高いはずなのに、なぜか私には同じ高さに見えて仕方がなかった。
もちろん天守閣から見下ろした時のように下界の人が米粒のように小さく見えるわけではない。なぜそんな錯覚を起こしたのか最初は分からなかったが、次第に分かってくるようになると、
――分かってしまえば何ということもないのだが、分かるのにきっかけがいったに違いない――
と思えてならない。
学校の屋上から熊本城の天守閣はすぐそばに見えるのに、天守閣から見える学校は、かなり遠くに感じられる。それも小さく見えるからだ。
もし、屋上に誰かいたとしたら、その人は米粒ほどにしか見えないだろう。しかも高いところから見下ろす屋上が、宙に浮いているように見えることで、それまでに漠然としてしか感じなかった天守閣の高さが、実感として感じられてくるのだ。
屋上にいる人を見ていると、きっと足が竦んでしまうに違いない。
大阪に行ってそのことに気がついた。熊本を離れて気がつくなんて皮肉なものだが、どうしても高いビルの密集したところでないと分からないものだ。
大阪駅の近くには昔からある高層ビルがいくつかあるが、営業先にそのビルの高層階に事務所を構えているところがあった。そこの応接室は一面ガラス張りになっていて、下界を見渡せる。
下から見れば同じような高層ビルが立ち並んでいるだけだと思っていたが、応接室から見ると、かなり低いビルが横にあった。低いといっても二十数階の高さであることに違いはなく、そのビルの屋上にはヘリポートが作られている。
「隣のビルにはマスコミ関係の会社が入っているのでね」
私が不思議そうに下を眺めていたら、訪問先の部長が教えてくれた。高さにだけ驚愕していたわけではないことを、よく悟ったものだ。
「ヘリコプターが離着陸するところを見てみたいものですね」
「私もそれほど何度も見たわけではない。それこそ災害時などに緊急で飛ぶ時くらいだね。本当の災害時であれば、それどころではないだろうから、ここから見る機会もほとんどないと思うよ」
いないヘリコプターを想像していても仕方がないので、そのまま屋上を眺めていると、遠近感がまともに取れなくなり、クラクラしてくるのを感じていた。
「ここから見る人は最初、皆立ちくらみのようなものを起こすようだよ。高所恐怖症じゃない人が、ここを見たために高所恐怖症になったという人もいるくらいだ」
どこまでが本当か分からないが、まんざらウソでもなさそうだ。
高いところから下を見ていると、飛び込みたくなる衝動に駆られるという話を聞いたことがある。だから、あまり高いところに昇るのは嫌いな人が増えたのだと、それが高所恐怖症の始まりではないかと思ったが、これも、
――タマゴが先か、ニワトリが先か――
の違いではないだろうか。
飛び降りたくなるから怖いのか、怖いから立ちくらみを起こして飛び降りたくなるからなのか、どちらにしても説得力は中途半端である。
死にたくなるにはそれなりの理由があってしかるべきだが、何の言われもなく自殺する人もいたりする。
「自殺するにも、勇気がいる。勇気を通り越せば自殺することができるんだろうが、自殺する気もないのに、勇気を通り越せば、どうなるんだろうね?」
これは清水の話である。
自殺などという話題でもなかったはずなのに、何を思ったか急に会話が変わって自殺の話になったことがあった。
「どうしたんだい? そんな話をしていたわけではないだろう?」
作品名:短編集108(過去作品) 作家名:森本晃次