小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

短編集108(過去作品)

INDEX|18ページ/19ページ|

次のページ前のページ
 

 表が明るい時間帯であれば、窓を通して室内に見えている人の顔を覗き見ることは困難である。ましてや、それほど近い距離ではなく、こちらから見てほとんど無表情である。表情が緩んだと思ったのも一瞬で、きっと思い過ごしだとしか思えない。
 思い過ごしだと思ったのは、もしかして後からだったかも知れない。程よくして、彼女の待ち人が現れたからである。迎えの車の列が消えてしまうと、あまり大きな駅でないだけに車の往来はあまりなく、ロータリーに侵入する車は皆無に近いだろう。
 運転席を垣間見ると、そこには若い男が乗っていた。まだ二十代前半、女性はといえば、三十歳はゆうに超えて見えたことで、ただならぬ関係ではないかと思えてきた。
 淫靡な雰囲気が伝わってくる。
 彼女の匂いを勝手に想像していた。実際に漂っているようにさえ感じていた。満員電車の中で女性の匂いを感じたかと思うと、すぐに香水の匂いで掻き消される。しかも、幾種類もの香水の匂いが混じっているからたまらない。時々嘔吐を催すこともあるくらい気持ち悪いものだ。
 だが、時々そんな中から淫靡な匂いを感じることがある。
――これこそが、本当の女性の匂いなんだ――
 と感じる匂いである。
 もちろん何の根拠があるわけではない。女性と抱き合っていて感じる匂いとも違うので、自然に湧いてくる匂いなのだと解釈していたが、淫靡な匂いに感じるのは、汗が滲んでいるからかも知れない。
 汗というのは身体の毛穴から滲み出るもので、冷えるのを嫌って、体温を上げようと身体が温もりを出そうとする時に、匂いを発するのではないだろうか。それが淫靡な匂いと絡まって男心をくすぐる。嫌いなはずの満員電車の中で、一瞬でも淫靡な匂いを感じると、何が嫌だったか忘れることがある。ただ、それは一瞬感じるだけなので、満員電車が嫌なことには変わりはない。それでもその匂いも嫌だということを忘れられる思いも、満員電車の中でしか味わうことのできないものだ。
――嫌だと思っていることを一瞬でも忘れることができれば――
 この思いは誰の中にでもある心理であろう。だが、石橋の場合は比較的その思いは弱い。現実的な考え方になるのだろうが、
――一瞬忘れただけでもすぐに思い出すのでは同じことではないか――
 と感じるだけである。
 それを思う時、タイムマシンの発想を思い出す。
 以前SF映画で見たワンシーンを思い出すのだが、タイムマシンを開発した博士と、それを実験しようとする助手の会話である。
「今から一分後の未来に君を送る。君は一分を意識することなく、この場所にまた戻ってくるのだ」
 と言って、助手に時計を持たせてタイムマシンを作動させる。
 タイムマシンは、閃光とともに消え去って、一分後にまた閃光とともに現れる。博士が助手をタイムマシンの中から出して時計を見ると、そこには博士の時計より一分前の時計が映っているのだ。
「君は一分を意識することなく、時間の波の頂点から頂点へと旅したんだ」
 そういって、心電図のようなカーブした線を見せて解説している。もちろん、助手なのだからそんな解説はいらないのだが、見ている人たちへの解説のための演出であろう。
 映画ではその時の助手のセリフは一切なかった。下手に助手に喋らせると、神秘性を削ぎかねないという思いからだろうが、それももっともなことだ。その時、助手は何も考えていないか、自分に起こったことを信じられないかのどちらかのはずだからである。
 一瞬忘れるというのは、この助手が旅したタイムトラベルのようなものではないか。一瞬だけ忘れるなどということは不可能だと思えてくるからである。
 記憶喪失の人を思い出す。記憶喪失といってもすべてを忘れているわけではない。本能的に覚えていることは絶対に忘れないのだ。言葉だって喋れるし、歩くことだってできる。誰に教えられたわけでもないのに、赤ん坊の時に誰もがする行動だってそうだ。記憶と本能とはまったく別のものに違いない。
 車の中の若い男、よく見ると見覚えがある。というよりも、過去に同じようなシチュエーションを感じたことがあると言った方が正解かも知れない。
 あれは、そう三年前だった。
 利美という女性と知り合ったのを思い出した。彼女は、積極的な性格で、知り合ってからすぐに、
「あなたとは気が合いそうなので、ずっと一緒にいたいわ」
 という言葉を平気でいい、そのまま身体を重ねたものだ。
 だが、すぐに、
「軽率な行動だったわ。私、少し反省しているの。だからあなたと二人で会うことはもうないかな?」
 と言ってきた。
「何言ってるんだい。最初に誘ってきたのは君じゃないか」
 と言いたい言葉をぐっと堪えた。あまりにも勝手といえば勝手である。
 しかし、彼女の言動にはどこか不安定なところがあった。情緒不安定なところが昔からある女性だということは後から聞いたのだが、考えてみれば、石橋は利美のことを何も知らなかったではないか。知りもしないのに、彼女のペースに乗せられて、その気になってしまって、すっかり彼氏気分になってしまった自分が恥ずかしい。
 元々、人に歴史があることへの思いは強かった。知り合いの歴史を自分が知らないことを知っている人がいれば、その人には叶わないと思う方だった。相手が女性ともなればなおさらで、少しでも自分よりも先に知り合った人には一目置いてしまうところがあった。卑屈なほどに萎縮してしまう。
――こんなことではいけない――
 特に好きになった人であれば当然のことなのだが、却って相手の過去に複雑な歴史があり、それを隠そうとするような女性に対して好きな感情が生まれてくることは皮肉なことだ。
 好きになった女性に歴史を感じるのは今までにもあったことで、社会人に成り立ての頃に付き合った女性はまさしくそんなタイプだった。
 やたらと結婚という言葉を口にした。
「結婚を前提にお付き合いできればそれが一番です」
 口癖のように話していた。
 彼女の場合は、石橋と付き合う前、付き合っていた男性がいたようだ。
 相手は既婚者で、いわゆる不倫だったようだ。彼女と一緒にいる時もその男性の話が必ず出てくる。もちろん、露骨に好きだったなどという話はしないのだが、話を聞いていてすぐに、
――この人が彼女の好きだった人なんだな――
 と気付いたものだ。
 彼女は割り切っているように話をしていたが、果たしてどうだったのだろう。不倫相手の男性は、彼女と別れるきっかけになったのは、転勤が決まったからのようだった。
 相手の男性には子供がおらず、奥さんと二人での転勤になったようだ。それが良かったのか悪かったのか、石橋には分からない。しかし、そのおかげで彼女と知り合え、自分の存在をしっかりとした位置に置くことができたと思えた。その考えは間違ってはいないだろう。
 彼女も時が解決してくれると思っていたに違いない。
 しかし、運命というのはどこにどう転がっているか分からないもので、転勤していった彼氏が交通事故で亡くなったという話を聞いたのは、それから少ししてのことだった。
 その時、まだ彼女の中にはその彼氏がいたに違いない。少なからずのショックを持ったまま、葬儀に出かけていた。
作品名:短編集108(過去作品) 作家名:森本晃次