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短編集108(過去作品)

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 もし、待たされることなく時間どおりに来ていたら、そんな想像などできるはずもなかった。そういう意味では遅れていても、恥じらいのある表情を見たい一心であればこそ、まだまだ待っていられると思っていた。
 時間が待ち合わせの時間からゆうに一時間は経過していた。
 立ちすくんで待っていることに違和感がなくなってきた。待っていることで想像できることはあらかた出尽くした時間帯でもある。ここから先は、ある意味惰性に近かった。
 立っていて何も考えていないなんて、それまででは考えられないことだった。何かを考えていなければ、人を待つなど厳しい。時間の経過を意識しないで済むから何かを考えていたようなもので、考えること自体は好きだった。
 しかし、考えることの意識が麻痺してくると、惰性になってくることは分かっているのだが、惰性が悪いとも思えない。感じているはずの時間も、どこか上の空で、五分も、十分も、さほど変わりなかった。時計を見て時間の経過を感じていたが、それまでは経過した時間が大体合っていたが、一時間を経過すると、合わなくなってきたのだった。
――時間というのはうまくできているな――
 精神的な変化は、大抵、キリのいい時間に生まれるものだ。体内時計というのがあって、それが実際の時間と合っているからなのだろうが、それも感覚が作り出したものだと思っていたが、身体が無意識に覚えている感覚もあるようだ。どちらかというと、世間一般には、身体が覚えていることを体内時計というのではないかと思えてきた。石橋が今まで考えていた体内時計への感覚が少し変わってきたのだった。
 たくさんの人があれだけ待っていたのに、気がつくと待ち人は一人だけになっていた。それまでに五分少々しか経っていないように思えたが、じっと見ていたわけではない。行き交う車がロータリーに横付けしているのを見ていると、じっと見ているに足りるものではなかったからだ。
 ただ同じ光景が繰り返されるだけで、何ら変化のないものを見つめていることに飽きが来る人間と、そうでない人間がいるだろう。石橋の場合はそれほど飽きを感じる方ではないのだが、どうかすると、見ている自分が情けなくなることもある。
 じっとしていて、動いているものを見ている時は比較的飽きが来ない。喫茶店の窓からロータリーを見つめている時もそうだろう。だが、車が到着しては、人が消えていく光景、しかも列を成して待機している光景を見ていると、じれったさのようなものを感じてくる。それが飽きに繋がってくるのだった。
 ただの光景として見ていないのかも知れない。男が女を迎えに来て、車に乗り込んだ時に見せる女の安堵の表情と、それを見てほくそ笑む男の表情。男には志向の瞬間なのかも知れない。
 それを味わってみたいという思いが強いから、男に対して嫉妬を感じ、そんな男に安堵の表情を見せる女まで恨めしく感じられるのだ。
「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」
 という言葉だってあるではないか。車の中で甘い雰囲気が流れ、
「待った?」
「いえ、そんなことはないわ」
 別に悪びれる様子もなく淡々と話しているのを想像すると、お互いに意識しているくせに、意識していないふりをしているように思う。それはこれから起こるであろう「儀式」を予感させるが、本人同士はいつものこととして、対して深い意識はないのかも知れない。
 それが石橋には許せなかった。自分には意識する相手がいないのに、相手がいることで意識がマンネリ化してしまっている連中がただ淫らにしか見えてこないからだ。
 あくまでも石橋の勝手な想像と妄想には違いないが、この思いはずっと続いてきているものだ。
 石橋は三十歳になるまでに彼女がいなかったわけではない。知り合って付き合って、身体を重ねるという普通の付き合いをした女性もいた。ただ、別れる時は自然消滅だったせいか、付き合ったという意識も薄かったりする。
 恋愛というのは、もっと気持ちが盛り上がって、そして別れる時も、何をどうしていいのか分からないほどにパニックになると思っていた。もちろん相手にもよるのかも知れないが、付き合っていて途中から、
――この女性とは長く付き合うこともないな――
 という意識があったのも事実である。
 実際に別れてからすぐの頃は、ごく最近のことが別れに近かったという意識があったことが気になっている。
 最初から冷めていたわけではないはずなのに、時間が経つにつれ、どこか冷めていたように感じるのは、自分の中で、最初から別れる時の覚悟があったからかも知れない。そうでないと、突然の別れに頭が対応できるわけがないと思っているからで、それほど自分は器用な人間ではないという意識もあった。
 石橋の中で女性とは抱き合うことで相手と一つになれたという思いよりも、付き合っていく上でのただの通過点に過ぎないという意識の方が強かった。相手の女性がどう感じていたかは分からないが、それもベッドの中での睦言と考えればどんな言葉を並べても、完全なる信憑性だとは言いがたいであろう。きっとその時は心の底から話をしていて、そのこと自体に偽りはないはずだが、後から考えると、どこか感覚が麻痺していたとしか考えられないセリフもあったであろう。
 一度身体を重ねると、しばらくは身体が温もりや匂いを覚えているものである。
――温もりは相手に与えるもので、匂いは相手から貰うものだ――
 という意識が石橋の中にあった。
 自分の温もりと相手の温もり、それぞれが重なるとより大きな温もりに感じられる。与えられるというよりも、感じた相手の温もりに、自分の温もりを与えようという思いがさらなる暖かさを作り上げ、熱いくらいになっているに違いない。
 匂いの場合は、自分も十分なる男としての匂いを発しているに違いないのだが、如何せん、自分の匂いを感じることはできないものだ。自分の匂いを相手が感じて、さらに分泌させる匂いを発する。それを心地よい暖かさとともに感じることで、淫靡な雰囲気をさらなるものにしているのだ。
 そんな中での睦言など、どこに信憑性があるというのだろう。男と女の静かなる営みを神秘だと感じ、匂いや温もりについて自分なりの考え方を持っていることが却って冷めた目で淫靡な行為を見てしまう。神秘だという思いが強ければ強いほど、心の中に矛盾を感じるのである。
――今度は違うんだ――
 と思って女性と付き合っても、どこかに淫靡なものを求めている自分と、あくまでも神秘性を追求したい自分の両方がいることを感じ、それぞれに矛盾があることを分かっていながら、葛藤を繰り返していることで、気がつけば別れを悲しいとも思わず、自然な成り行きとして片付けてしまうことへの複雑な思いと、奥歯にものが挟まったような煮え切らない思いが残っていることを意識させられてしまう。
 最後に残った一人の女性がなぜか気になっていた。
 どこか目の焦点が定まっておらず、そのくせ視線の先には窓ガラスを通しての石橋がいた。
――こっちを見ているのかな――
 表情が思わず緩んでいるのに気付いたが、それに呼応して彼女の表情も緩んでいるように見えたのは気のせいだろうか。
作品名:短編集108(過去作品) 作家名:森本晃次