短編集108(過去作品)
きっと薬というものが、そういう覚醒作用を持っているからであろう。本を読んでいて決してそんな感覚にはならない。それは本を読むことが自然な行動の一つで、自然な本能の中から睡魔が襲ってくるという一つのシチュエーションに過ぎないのだろう。他にも睡魔が襲ってくるシチュエーションがあるのかも知れないが、坂石にとって、それ以外を思いつく術を知らない。
睡眠時間が短くなったのは、本を読むようになった副作用かも知れない。
本を読んで寝ると、なるほどすぐに眠れるようになる。しかし、夜に何度も目を覚ますようにもなり、結局熟睡できなくなるのだった。しかし、それでも就職して疲れが出てくると、熟睡もできるようになるのだから面白いものだ。
学生時代にはほとんど見ていなかった夢も、就職してから見るようになる。夢の内容も面白いもので、学生時代の夢と社会人になってからの自分が中途半端に出てきたりする。
場所は大学キャンパス内なのに、自分は社会人であるという実感がある。社会人だという実感があるくせに、まだ卒業していないという意識があるのだ。
それでもキャンパスにいるのに、
――営業しなくては――
という仕事に燃える自分がいて、プレッシャーを感じていることは、夢から覚めて汗を掻いていることが証明している。
大学を卒業する時に少し苦労した。それでも社会人になって営業している時の苦労に比べればそれほど大したものではない。しかし、最初に感じたプレッシャーはやはり
――卒業できなければどうしよう――
という方が強かったのではないだろうか。卒業できなければ、せっかく決まった就職もダメになるし、翌年の就職もかなり苦しくなるのは分かりきっているからだ。
卒業までそれほど困難なものではなかったが、それだけに自分を追い込むことになってしまったのは、まだまだ自分が未熟だったからに違いない。
実際には無事に卒業できて、就職もできた。すぐに辛かったことを忘れてしまったのは、営業という次なる壁が目の前に控えていたからだ。それでも潜在意識は覚えているもので、それが夢という形で襲い掛かってきたのである。
今度はさらなる壁である。
――営業という壁を乗り越えられたのだから、今度は大丈夫なはずだ――
という意識と、自分に対しての自信は確かにあった。
仕事に関してはそれほど心配はしていないのだが、夜勤業務があるということに一抹の不安を感じる。
不規則な生活が自分にどれだけの精神的なプレッシャーを掛けるのか未知数だったからである。
仕事に関しても最初、それほど心配はしていなかったが、意外と考えていたよりもずっと今までの営業畑とは違っていた。
どちらかというと、口八丁手八丁なところのあった営業だが、システムでは、そうは行かない。
少しでも間違えれば会社の業務がストップしてしまうというプレッシャーがあるのだ。ずっとシステム部で仕事をしている連中は、そのプレッシャーと背中合わせで毎日頑張っている。営業している頃は、
――こんなこともできないのか――
と、出した要望の半分も満たしてくれなかったシステム部を少なからず訝っていたのも事実で、まるで殿様商売をしているように見える彼らは、公務員のような甘さしか見えてこなかった。
――別会社のようだな――
と思っていたくらいだ。
しかし、実際にシステム部にくれば、考えが甘かったのは自分の方であることに気付いた。
システムを構成しているのは、開発と運用だが、まず、運用を固めてから開発をしないと、まわらなくなるのは必至であった。
「人員や、体制が固まっていないのに、開発しても、誰がそれを運用するというんだい?
それがシステム部の難しいところでもあるのさ」
と運用の課長は話している。
確かにそうである。
実際に運用する部署では、人員や体制をシステム部に任せてしまう。実際に人員を増やしたりするのは、総務部の仕事で、営業部の方では、それほど大したことはしない。倣ったことを忠実にマニュアルどおりに、毎日運用していくだけなのだ。
そこまでシステム部の運用は考えなければならない。だからこそ、開発までの下準備に時間が掛かる。
運用の体制ができてからも時間が掛かる。
開発に回った案件は、まず仕様書作りから始められる。現在のシステムのどこに組み込んで、どのようなデータを使い、どのように加工して、そして、アウトプット物を出すかを検討する。それに結構時間が掛かるのだ。
もちろん、どれほどの時間が掛かるかもシュミレーションし、あまり時間が掛からないように開発しなければならない。現在の既存業務に支障をきたさないようにしなければならず、考えなければならないチェックポイントは、想像以上に多い。
そして、いよいよ開発に入る。
プログラムというアプリケーションを組むのだが、それも一つのシステムを一人の人間でまかなうわけではなく、システムが大きければ大きいほど、開発メンバー数名で当たることになる。
それぞれに技量も違えば、組み方も違う。彼らは、仕様書を見ながら、それに忠実に作り上げる。単体テストまで終了すれば、とりあえずはOKなのだが、それからが大変でもある。
結合テストには結構な時間が掛かる。まずは、データを流さず、空の状態で動かしてみて、途中に不整合エラーがないかを確かめる。これはあくまでも連結部分だけのテストである。
それからテストデータを考えられる幾種類かのデータを用意して、出てきた検証物を見て、確認する。
テストのパターンも仕様書を作成する段階で考えられている場合もあるが、開発の段階で、単体テストを行っている時に新たに問題が出てくるかも知れないということで、最終的には結合テストの寸前で、仕様書を固めた人が責任者となって、テスト手順を考えることになる。
幾種類のパターンをそれぞれにテストして、検証が終了しても、今度はそれを組み合わせてのテストをすることになる。本当はこちらの方が大変で、実際にはそれぞれのパターンで問題点は潰れているはずだが、総合テストを行った時の検証が難しかったりする。そこは責任者の技量が一番試されるところでもある。
いざシステムが動き出す時の本番立会いまでがシステムの仕事である。もちろん、実際の運用になれば、指導もしていかなければならないが、それはまた別途ということになり、本番前に済ませていることが多かったりする。
ここまでがザッとシステムの仕事になるのだが、営業部にいて、ここまでだとは、夢にも思っていなかった。
「忙しいんだ」
と言っていても、
――どうせ口だけなんだろう――
と自分たちの意見が通らなかったことだけを不信感として募らせていった。
何しろ営業は会社の花であると思っていた。泥臭いところもあり、自分の立場というよりも、顧客の立場が最優先される世界。それを会社の他の部署の連中はどこかで思っているのか分からない。
――お前たちとは違うんだ――
という思い上がりがあったのも事実で、きっと、システムの人たちも営業部に対して、
――何も知らないくせに、何言ってやがるんだ――
作品名:短編集108(過去作品) 作家名:森本晃次