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短編集108(過去作品)

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 特に父親は、貧しい家庭の兄弟の多い家族で育ったので、人間関係と負けん気だけは強いらしい。母親は逆に裕福な家庭の一人っ子で、甘やかされて育ったのは目に見えていた。
 そんな母親の家庭に、父親は養子で入った。
「人生で生き抜く上での知恵さ。他に付き合っている女性は他にもいたが、一番今後のことを思うと結婚相手にふさわしいのがお母さんだったのさ」
 と嘯いていて話していたが、まんざらでもないかも知れない。人間、育った境遇が違えば、考えていることはまったく分からないことを知っていたからだ。
 坂石は、中流家庭に育った。両親ほど極端な性格ではないが、お互いのいい部分や悪い部分を引きずって育ったのに間違いはない。
 そんな両親の一番悪いところを受け継いだのが、負けん気とは背中合わせだが、見ようによっては負けん気だと思い込んでしまう意固地になるところだった。
「整理整頓しなさい」
 と言われれば言われるほど意固地になってしようとしない。いくら怒られても人から言われてすることに情けなさしか浮かんでこない。
 学校にペン一本をとりに帰らされた屈辱感が、ずっと坂石の中で燻っている。母親としては自覚を促すつもりだったのだろうが、小さな子供にそんな感覚は通じない。黙って人の言うことを聞けるほど母親のように裕福な家庭に育っているわけではなく、父親のように、負けん気が強いわけではない。どこかで妥協するっことをいつも考えている。
 しかし、情けなくなるような惨めな思いはもうしたくない。だから、母親の言うことは半分しか聞かず、父親を尊敬しながらも毛嫌いしてきた。反抗期というのがそんな気持ちからくるものかどうか分からないが、引きこもりになってしまったのも事実で、だが、不登校にだけはならなかった。学校に行くのが楽しかったからである。
 何が楽しいかは分からない。友達がいるからとりあえず学校に行くというだけで、友達とあったから安心するという気持ちがあるわけではなく、少なくとも肉親以外に会えるというだけのことだったのかも知れない。
 おかげで、本当の友達はなかなかできなかった。声を掛けてくれる友達は結構いたのだが、本当の友達になるには時間が掛かった。
 その頃からだっただろうか。睡眠時間がめっきりと減ってしまった。高校入学してくらいだったと思うが、高校に入学するまで、受験勉強自体、それほど必死にやったわけではない。
――何とかなるさ――
 という奇妙な自信があり、自分の中にはそれなりに根拠のある自信だった。どこから来るのか分からないが、
――あの父親の息子なんだから――
 というのが一番強かったように思う。
 勉強も要領で、掃除も要領なのだろうが、強かな考えがあってか、勉強はすればそのまま自分の力になるが。掃除は「言われてするもの」というマイナス思考しかなかった。そんな精神状態がすぐに解消されるはずもなく、掃除だけは今でも嫌いである。
 しかし、不思議なことに事務所の掃除はそれほど嫌ではない。皆が使うところを掃除するのはむしろ好きであった。同じ会社でも自分の私物や机などの掃除は苦手で、まわりの人からは、
「変わってるな」
 と思われているかも知れない。
 それでも営業成績がいいのは自分でも不思議だ。営業は半分個人事業のように考えている。成果が上がれば自分の手柄だが、悪ければ誰もフォローしてくれない世界。下手をすれば一番に首を切られかねない世界である。
 営業からシステム部へまわされて、それほど器用ではない坂石が馴染めるようになるのは大変なことだった。
 坂石自身、自分が器用ではないことは知っている。それでも営業がうまく行ったのは、父親譲りなのかも知れない。心のどこかで、
――何とかなるさ――
 と思いながらも、
――それだけの努力はしてきているんだ――
 という気持ちは強かった。
 睡眠時間が短くなったのは、秋からだった。秋の夜長を本でも読んで寝ようというのが日課になってしまい、最初は本を読めばすぐに眠ってしまうたちだった。そのために、コーヒーをよく飲むようになり、コーヒーがないと、口が寂しくなってしまっていた。
 タバコを吸わず、酒もあまり呑まない坂石は、ガムを噛むこともない。電車の中で、まわりの迷惑を顧みず、くちゃくちゃとガムを噛んでいる学生やサラリーマンを見ていると、苛立ちを覚えていたからだ。口を半開きにして、だらしなくガムを噛んでいる。そんな姿は見るに耐えなかった。
 かといって、訳もなく怒り出すわけにもいかない、中には嫌な顔をしながら我慢している人も見かけるが、実際に噛んでいる連中にそんな人の表情が瞼に映っているものなのだろうか、疑問である。
 朝の通学時間は、始発から乗れるので、ゆったりと座っていける。誰も乗っていない電車に乗り込むのは気持ちのいいもので、好きなところに座れるのだが、それでも途中から人が増えてきて、結局は満席になるのだった。
 同じ学校の連中はそれぞれでたむろして乗ってきて、座席に座ることもなく、入り口付近にじかに腰掛けている。あまり見ていて気持ちのいいものではないので、
――お前たちとは人種が違うんだ――
 と思って乗っているが、本を読むことも多かった。
 本を読むと眠くなるくせがついてしまったのはその時からだろう。睡魔に襲われてどうしようもなくなってしまうようになったのが、本を読み始めてすぐではなかったのが、その証拠である。電車の中での心地よい揺れが、本を読んでいる視線に微妙な遠近感のずれを与えるのであろう、それが、目の疲れを呼んで、睡魔に繋がってしまう。医学的にも物理学的にも説明のつきそうな理屈である。
 電車の中で本を読むのがダメなら、寝る前が一番いいことはすぐに分かる。眠くなるのであれば、眠くなってもいい時に読むのが一番いいに決まっているからである。
 中学時代までは、どんなに遅くとも十二時半には寝ていた。早ければ十時に寝ることもあったくらいだ。そのかわり朝は六時前に起きる。
――早起きは三文の徳――
 と言われるが、どこにそんな徳があるのか分かるはずもない。寝起きがそれほど悪いわけでもなく、目が覚めてから五分もすれば普段どおりになれた。
 寝る前に本を読むと、五分もすれば睡魔が襲ってきて、気がつけば寝ていることが多かった。すぐに寝てしまうのは、風邪薬などを飲んだ時と同じだが、風邪薬による睡魔とは種類が違う。
 風邪薬を飲んで眠くなる時は、眠くなる感覚があるのだ。
 風邪薬を飲んだら、そのまま寝てしまいたいと思っているにも関わらず、眠りに落ちる時の過程を感じるのだ。
 まず指先が痺れてきて、身体が宙に浮いたようになってくる。心地よさを感じる時間帯が少し続いて、宙に浮いた身体が一度飛び跳ねるのだ。
 一瞬目を覚ますように思えるが、深く落ちていくのを感じると、
――このまま眠ってしまうんだ――
 と感じるところまで覚えているのだ。
作品名:短編集108(過去作品) 作家名:森本晃次