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予知夢の正体

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 もちろん、自己満足でしかないのは分かっているのだが、人を好きになるというのはこういうことではないのだろうか。特に年上で、かなり年の差もある相手であり、さらに尊敬する教授ということになれば、だいぶ複雑な思いが頭の中に渦巻いていたに違いない。
――まさか、私がこんなことを教授に対して思うようになるとは思ってもいなかったな。何と言っても最初は、教授が相手の弱みに付け込んでいるという根拠のないウワサに振り回されたことから始まったのだ。これをミイラ取りがミイラになるということわざに単純に引っ掛けてもいいものなんだろうか?
 と思うようになっていた。
 教授に対して、自分が勘違いしていたということが分かった時、
――ひょっとすると、教授のことを好きになるんじゃないかしら?
 と感じた。
 しかし、そう感じた時、すでに好きになっていたのだということも、予感としてあったことは否めない。
 教授を好きになったことは自分の中で驚くべきことであった。しかも、まだ教授のことを悪い人だという意識がある中で、すでに好きになっていたということである。つまりは自分に、予知能力のようなものがあったのではないかと思えたのだが、それはあくまでも自分が、
「悪いと思っている人を好きになどなるはずはない」
 という思いの中にあることだった。
 この思いは自分の中にある約束事のようなものであり、これを壊すことは自分が自分でなくなることのようにまで感じていることであった。
 今、夢を見ている時、
「これは予知夢なのかも知れない」
 と感じるのも、このあたりから派生した思いであった。
 予知夢を見ると感じたのは、根拠のない思い付きなどではないのだった。
 玲子は、自分のことを控えめな性格だと思っている。だからこそ、
「他人と同じでは嫌だ」
 という性格に起因しているのではないかと感じるのだが、
 控えめというのは、人よりも前に出ないということを一番に考えることで、あまり悪いことのようには思われない。特に女性の中には、昔からある
「大和撫子」
 などという言葉があるように、控えめな性格の女性は好かれる傾向にある。
 だが、最近はそうでもなく、活発な女の子の方が人気があるのは、それだけ男性が弱くなってきたからなのか、それとも、男尊女卑の考えが古いとされるからなのだろうか。
 ただ、男尊女卑という考えを改めようとする考えは、明治の昔から脈々と続いてきたもので、今に始まったことではない。実際にそれが実現し始めたのは、戦後に自由主義になってからなのだろうが、そんなにすぐに万事が自由で平等というわけにはいかなかった。
 今でも続く貧富の差、さらに学歴社会という風潮。
 学歴社会は、逆に自由になったから生まれた産物と言えるかも知れないが、自由競争というものの裏には、勝者と敗者というものを作り出すという旧態依然たる歴史同様、いくら時代が変わろうとも、形を変えたとしても、その存在は残り続けるのだ。
 自由競争、自由主義に対しての理想郷的な考え方が社会主義であり、その進化系が共産主義であった。
 だが、今の時代でそれらがどうなっているかを考えると、結局共産主義的考え方でも自由主義の矛盾を解決することはできない。それを証明したにすぎなかったのだろう。
 話は逸れてしまったが、玲子は自分が控えめな性格であるということを、子供の頃から意識してきた。同じことを考えていても、相手が先に発言しようと虎視眈々と狙っているのが分かると、素直に譲ってしまう。下手に前に出てしまうと、言い出しっぺになってしまい、自分がその言葉の責任を負わなければならなくなるということが分かっているからだ。
 前に出ようとする人がそこまで意識しているのかどうかは分からない。しかし、前に出る人で、控えめではない人というのは、玲子が知っている限りでは、
「おだてに弱い」
 という人が多かった。
 おだてに弱いと、言われたことを実行しなければ気が済まない。
 そのつもりで相手もおだてるのだ。
 おだてられてその気になる方も気分がいいし、おだてる方も、自分が何もしなくても、相手が行動を起こしてくれる。何と言っても責任は行動を起こした人にあるのだ。これほど楽なことはない。
 そういう意味で、お互いにメリットが大きいという意味で、責任を負わされた方も、それだけの技量があれば、乗り切ることはできるだろう。しかし、ただ単におだてに弱いだけでは、すぐに本性がバレてしまい、結局まわりの誰からも相手にされなくなってしまうことだろう。
「梯子を掛けておいて、相手が上ると、その梯子を蓮してしまうようなものだ」
 そんな状況に陥ると、その人はきっと人間不信だけではなく、自己嫌悪も一緒に襲ってきて、押しつぶされてしまうだろう。
 梯子を掛けた連中にはそこまで面倒を見切れるわけもない。おだてに乗ったのは誰でもない本人なのだから。
 これはある意味、苛めよりも陰湿かも知れない。表向きはすべての責任はおだての乗って行動を起こした人にある。おだてた連中は、
「やつができるって言ったから、任さただけだ」
 というに決まっている。
 普段からおだてられたことのない人であっても、逆にいつもおだてられている人であっても、おだてられて悪い気がするわけはない。それまで人から相手にされなかったような人は、自分が急に大人物にでもなったかのような自信過剰に陥ってしまうことで、急速な変化についていけなくなってしまうのだろう。
 おだてというのがどれほど怖いものであるか、おだてている方は分かっているのだろうか。自分たちが楽をしたいというだけで、人を担ぎ上げたことが、一人の人間の人格を壊してしまうという責任に気付いているはずもない。気付いていれば、そんなことはできないはずだからである。
 玲子は、おだてる方も、おだてられる方も嫌いである。同罪とまでは言わないが、おだてられてその気になる方もどうかしていると思っている。
「自分のことを、結局は分かっていないだけなんじゃないか?」
 と感じるのだった。
 そんな風に考えるようになると、自分は絶対に先頭に立つことを望まない。先頭に立つということは、まわりから見れば、
「おだてられて、調子に乗っているんじゃないか?」
 と思われていると感じるからだった。
 そして、最近は自分が控えめな性格であることが、別の現象を引き起こしているような気がしてきた。それが、
「予知夢」
 である。
 先のことが分かるはずもないのに、まるで先のことを夢で見たかのように思うのだが、実際には、夢に見たことが近い将来現実になるという確信めいたものが自分の中にあった。
 このことが他の人にはずっと黙ってきたことであったが、もしそんな話をすれば、
「あなたは、頭の中がお花畑なんじゃないの?」
 と言われかねない、
 お花畑というのは、
「何も考えていなくて、めでたい人」
 のことをいう言葉のようだが、最初それを聞いた時、その意味がよく分からなかった。
 最初に聴いた時感じたのは、
「お花畑というように、華やかな場所に自分がいて、自分は何もしなくても目立つことができる」
 というような意味だと思っていた。
作品名:予知夢の正体 作家名:森本晃次