予知夢の正体
佐藤教授とは、卒業のために必要とされる講義を受け持っている先生で、普段の授業風景は、いかにも、
「ダメ教授」
という雰囲気で、学生からバカにされているというか、誰も講義を聞いていないのに、とりあえず、自分だけで講義を進めているという、
「自己満足型の教授」
であった。
高校時代にも似たような先生が学校に少なくとも一人はいただろう。生徒がどんなに騒いでも、別に気にせず、ぼそぼそと口で呟きながら、時間を費やしているだけの男。本当のダメ教師というべき先生で、先生などという言葉を使うだけの資格もない人にしか見えなかった。
本当は、中には真面目に授業を聞こうとしている生徒もいたであろうに、すぐにそんな生徒からも愛想を尽かされ、自習時間という認識に捉われる。
いや、自習の方がまだいいだろう。騒がしくないからだ。この教授の授業は完全に授業妨害であって、やかましければやかましいほと効果があった。わざとやかましくしているのだから、自習時間のようなザワザワした雰囲気とはまったく違う。勉強を進めようとする人は最初こそ耳栓をしていたが、そんなものでは足りるわけもない。先生が最初に出席を取ってから、教室を堂々と出ていく生徒が一人出ると、従うように二人、三人と出てくる。そうなると、もう完全に授業は崩壊である。
玲子は、高校時代、そんなダメ教師の授業を、最初に出て行った生徒だった。
「こんなのやってられないわよ」
と言って、誰も出て行こうとしない教室から出たのだ。
出席さえしていれば、単位がもらえるので、皆そのつもりだったが、単位一つと一時間の勉強時間を比較すると、さすがに一時間を棒に振るほどバカバカしいことはないと思うのだった。
彼女が教室を出ていくと、他の真面目生徒も出ていくようになったが、玲子はそんな他の真面目生徒を毛嫌いしていた。
――人がしたことをマネすることしかできないなんて、情けないったらありゃしないわ――
と言いたいのだ。
生徒が数人出たくらいで、教室が静かになることはなかった。
他の教室からも、
「先生、もっと静かにさせてください」
と、文句が出てくるが、入ってくるなり、あまりにも異常な雰囲気に文句を言いに来た他の先生も閉口してしまって、何も言えなくなってしまうのだった。
そんな授業を覚えていたおかげで、大学でのダメ教師を、本当にダメだとは思えなかった。
中には本当にダメだと思える人もいるようだったが、佐藤教授はダメ教師に見える人の中でも少し違っているように感じた。
佐藤教授に関してはあまりいいウワサを聞いたことがない。
「男子生徒はともかく、女生徒に対してはかなりの贔屓があるようだよ」
というウワサで、
「えっ、じゃあ、一晩付き合えば、単位が簡単にもらえるとか?」
「うん、そういうウワサもあるよ。本当なら授業に出ているだけで単位がもらえる楽勝な科目なんだけど、中にはアルバイトや部活で、そうもいかない人もいるのよ。でも、あの先生の科目は、必須寡黙でしょう? 他の先生の授業は結構難しくて、毎回講義に出ていたとしても、単位の取得は難しいって言われるじゃない。そういう意味で、佐藤教授の単位は落とせないのよね。だからなのかしら、こんな変なウワサが立つというのは」
と言っていた。
友達の言っていることは、ほぼ間違ってはいなかった。
必須寡黙なので、この教授か、もう一人の教授の単位を落とすわけにはいかない。どちらも選択しておいて、何とか佐藤教授の授業の出席率で単位を貰うしかないのだろうが、部活やアルバイトをどうしてもしなければいけない人もいて、そういう学生を教授は、援助という名前の救済をしているのだとすれば、本当であれば、許すまじと思える行為であり、玲子も憤慨に値することであろう。だが、背に腹は代えられない。覚悟する女子生徒も多いという話だった。
なぜ、玲子が佐藤教授に復讐など企てるというのだろうか?
それは玲子が教授と関係を持ったことから始まる。玲子は最初、教授のウワサを信じ込んでいた。
「佐藤教授は、普段は頼りなさそうに振る舞いながら、単位を餌に女性を食い物にしているゲスのような男である」
という印象を持っていた。
玲子という女性は、思い込みの激しさに掛けては、誰にも負けないと言ってもいいかも知れない。しかも潔癖症なので、融通もまったく利かず、思い込んだら猪突猛進で、もしそれが誤解だったとしても、そこに気付くまでに被害は甚大になっている可能性もあるくらいだった。
そんな玲子は、どうしても、佐藤教授の授業を毎回受けることができなかった。彼女は部活において、バンドを組んでいたのだが、そのバンドのオーディションの日と、教授の講義の日とが重なったことで、一時間分の講義を受けることができなかった。
教授は天邪鬼で、数回授業に来なかった学生よりも、一度だけこれなかった学生の方の単位をくれないというウワサがあった。
「まさか、そんなことはない」
と思っていたが、実際にたった一度だけ出席できずに昨年、単位を取得できなかったという先輩の話を聞いたので、直接教授に話を聞いてみることにした。
友達からは、
「よしなさいよ、そんなことをして却って嫌われたら、単位がもらえなくなるわよ」
と言われたが、どうしても確かめたくて仕方のない衝動に駆られた玲子は、確かめにいった。
そのあたりが潔癖症なところであり、思い込みの激しさの裏証明のようでもあるが、実際には思い込みの激しさよりも、潔癖症の方が強いのだった。
「教授は自分の講義を一度でも欠席した人には単位を挙げないという話を以前していましたけど、数回欠席しても単位を貰える人がいるのに、どうして一度だけでは単位が貰えないんですか?」
明らかな直球の質問であった。
すると、教授は怒るどころか、ニコニコと笑って、
「そうか、君はそんなウワサを信じているのか?」
と言って、玲子の顔を見て笑ったが、それは玲子が言った質問に対しての笑いではなく、彼女の真面目で潔癖症な性格への微笑みだった。
佐藤教授は、直球過ぎる質問には少し閉口したようだったが、真面目過ぎる潔癖症には大いに興味を持ったようだ。
「私の知り合いには、君のような人は一人もいないよ。ここまで潔癖症な人もいるにはいるが、普通はその気持ちを人に知られないようにしているんだよ。君のように直球で相手に質問をぶつけるようなことはしない。それが潔癖症だというものだと私は思っていたが、その考えを変えなければいけないようだね」
という。
まるで子供に対する大人のような余裕を醸し出している教授に対して玲子はさらに対抗意識を燃やし、さらに食い下がっていくような表情を見せると、教授はさらに玲子に興味を持ち、
「そんなに私に興味があるんだね。大いに結構」
と、まるで臆するところがまったくない。
臆するところがないどころか、完全に子供と対しているかのような大人の余裕が溢れている。しかも、玲子にはそれがよく分かるだけに、自分の考えていたような相手ではないと教授のことを考え始めると、そこから先は、教授の言う通り、自分が教授に対して興味を持ってしまったことを感じないわけには行かなかった。