小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

予知夢の正体

INDEX|6ページ/27ページ|

次のページ前のページ
 

 だから夢の中では、夢を見ている自分とは別の自分が夢の中に存在していて、その自分は夢を見ている自分とは別の人間なのだ。
 意識しているわけではなく、まるで幽霊にでもなったかのように、勝手に振る舞っている。
 ただ勝手に振る舞っているように見えるだけで、その行動には一種の共通性があるはずだ。それが本能であり、潜在意識というものだとすれば、夢を見ている自分は何だというのだろう。
 その自分の存在を、現実世界では意識したくないという意味を込めて、夢の世界を覚えていないことが多いのではないだろうか。
 逆に覚えている夢というのは、
「夢を見た」
 という言葉を意識させ、その中に夢を見ている自分の存在があったということは分かっていたとしても、その時に何を考えていたのかは、まったく覚えていないように記憶を書き換えているのかも知れない。だから、
「ただ、夢を見ただけ」
 という意識のせいで、その夢を、「創造」だとしてしか思えないという構造になってしまうのだろう。
「吊り橋の夢を見た時、自分は結局どっちに行くことになるのだろう?」
 と、この夢を思い出した時に、感じることであったが、その結論が出てくるということはないような気がした。
 どちらかに進んでいるというのは分かっているが、いつも同じ方向だったという意識はない。それはきっと、毎回正解が同じ方向ではないだからであろう。
 ということは、
「同じ夢であって、同じ夢ではない」
 ということの証拠であり、
「創造も一つではないんだ」
 ということでもあるのではないかと、思うのだ。
 だが、それはあくまでも夢を見ている時に感じるものだ。現実世界では、岸壁に掛かっている吊り橋の上に自分がいるという意識を持ったことがない。あくまでも夢の中で、
「以前にも同じことを感じたものであり、初めてではない」
 と感じるだけであった。
 断崖絶壁の夢を見て。正解した時は、きっとそのまま夢が覚めるのだろうが、もし間違えた時、新たな夢を見るのではないかと思えた。
 その日の夢はそれで終わりだったわけではなく、別の夢も見たようなような気がして、新しい夢が開けたその時に、
「さっきの選択が間違っていたんだ」
 と感じたのを覚えていた。
 だが、今度は、その夢が「想像」なのか、「創造」なのかが分からなかった。
「どちらでもないんじゃないか?」
 という思いが強く、夢を見たという意識が次第に薄れてくるのを感じた。
 もし夢を見たのだとすれば、それは、
「目を覚ますという夢だったんじゃないだろうか?」
 というものである。
 選択を間違えたことで目を覚ますために一度、
「目を覚ます」
 という夢を見なければいけないという理屈になるのだが、滑稽な気がする発想であるが、辻褄は合っているように思う。
「夢なんてそんなものなんだ」
 と、玲子は思うのだった。
 そんなことを考えていると、頭の中で一つの夢が思い出された。その夢は今朝見た夢だったと思ったが、先ほどの夢とは別の種類のものだったと感じたことから、一度今夜、目を完全に覚ました時間があったのかも知れない。見た夢のどっちが先だったのかという意識もないほど、どちらの夢も覚えているくらいなので、却って、目を覚ましたという感覚の方が夢だったかのように思えた。
 目を覚ましたというのは、あくまでもリアルに感じたことではなく、別々の夢を見たということから、一度睡眠が分断されたということから想像したものだった。
 恐怖をリアルに感じさせる夢とは違い、
「リアルさが恐怖を煽る」
 と言った具合の夢だった。
 むしろ、夢というよりも、現実に意識が近く、現実にはできないことを夢の中で実現させたと言ってもいいだろう。その感覚は復讐であり、恨みのある人間に対して、夢のなかで抱負服することで、自分の中の留飲を下げていたというべきであろうか。
 誰もが見る可能性のある夢である。誰に対しても恨みを持っていない人間など、そうはいないだろう。成人するまでに、ほとんどの人と言っていいほどの人が、誰か恨みを持つ人が一人くらいはいるものだ。
「私には誰も恨んでいる人がいない」
 などという方が、ウソっぽく聞こえる。
 逆にそんな人の方が自分の中に抑え込んでしまって、自分で処理できなくなって身体を壊すか、誰ともなく恨みをぶつけることで、精神的に病んでしまった自分を抑えることができなくなるか、そんな悲惨な運命が待ち受けているというものではないだろうか。
 玲子がこの日見た夢というのは、実際に今起こっている夢ではなかった。
――ひょっとすると、これから起こることなのかも知れない――
 という、
「予知夢」
 に近いものだった。
 予知夢という言葉は聞いたことがあり、今までに一度は見たことがあったような気がしていた。
 ただ、予知夢というのは面白いもので、見ている時、
「これは予知夢なのかも知れない」
 という夢の中で根拠はないが、そんな思いを抱いたという記憶が、夢から覚めて残っていることがある。
 そして予知夢の特徴は、
「怖い夢だけではなく、楽しい夢であっても忘れることはない」
 というものだった。
 逆に覚えている夢の中で楽しい夢というのは、今までの経験からではなく、これから起こることの予言のようなものだと言えるのではないだろうか。
 しかし、楽しい夢に対しての信憑性はかなり薄く、それが実現したという覚えはない。なぜなら、覚えていると言っても楽しい夢の現実世界での記憶は実に儚いもので、一日でももてばマシな方ではないだろうか。
「楽しい予知夢を覚えていた」
 などという記憶すら、一日も経てばすっかり煙のように消え去っているのだった。
 ただ、この日の予知夢は楽しい夢というわけではなく、恐ろしい夢というわけでもない。中間と言っていいだろう。
 恨みを晴らしてスッキリしたという意味では、楽しかったという部類に属するであろうが、スッキリはしたが、それだけしか自分の中に残っておらず、それまでの自分の意識を犠牲にして得られたスッキリであることに気付くと、とたんにブルーな気分にさせられる。どちらも、それぞれの悪い意識を消してくれるわけではない。少なくとも一日はジレンマで追い詰められたような気分になって、その次の日にはすっかりと忘れてしまっているということを、最近では意識できるようになっていた。
 そんな予知夢を見ることができるというような話を他人にしたことはない。もししようものなら、
「何をバカなことを言っているのよ。まるで子供みたい」
 と言われるのがオチで、そう思われるのが嫌で、ずっと誰にも話さなかった。
 それを言われて言い返すだけの自信も、理屈も想像できない。自分の気が弱いからなのか、それとも、他の人も同じことを考えているかも知れないということを知るのが怖いのか、やはり、自分の中で、
「他の人と同じと思っていることを嫌がっているくせに、同じであることに、どこかホッとする自分がいるという矛盾を感じていたくない」
 という感情があるのだろう。
 その予知夢というのは、
「佐藤教授に対しての恨み」
 だったのだ。
作品名:予知夢の正体 作家名:森本晃次