予知夢の正体
この場合の証人というのが、アリバイの証人というわけではなく、マスターの味方としての証言をしてくれるということを感じていたからだった。
玲子とその友達が、二人で教授の病院へ様子を見に行ってくれたことも、都合がよかった。
当然その腹積もりもあったのだろうが、教授の記憶が欠落しているという考えは、マスターにとってやはり計算外のことだったようだ。
やつに、怖い思いをさせて、ジワジワ追い詰めていくことが当初の目的で、実はまだこれからどのように制裁を与えようか、そこまでは考えていなかったようだ。
玲子に、
「殺人未遂まで」
という話を聞かせたのも、途中までしか思いついていないということも一つであったが、あわやくば、玲子の感じるという予知夢で、自分の将来を見てほしいという思いもあったのかも知れない。
そういう意味では教授は犯罪者としては、実に情けない人物と言ってもいいだろう。
このウワサを聞かせたのは、まだまだこれから自分がどちらに傾いていくか分からないという思いがあったからなのかも知れない。犯罪をこのまま段階的とはいえ、どんどん進めていくのか、それとも、ある程度のところで留飲を下げて、そこで終わりにするのか。つまり、人間というのは、一気に事を起こしてしまえば、そこで終わってしまうが、徐々にやっていると、途中で満足することもあるだろう。そういう意味での、
「殺人未遂まで」
という意味の言葉だったのかも知れない。
マスターは、重要参考にではあったが、証拠が確定しているわけではないので、すぐに返された。もっとも任意同行だったので、逮捕というわけでもなく、当然、手錠を掛けられたわけでもなく、正確には連行ではなく、同行だったのだ。
翌日にはすぐに何もなかったかのように店が開けられた。玲子は前の日と同じ時間に店に行った。なぜか、偶然同じ時間になったというだけであったが、前の日に比べて、気のせいか、足元の影は少し伸びているような感じがした。
「一日って、思っているよりも微妙以上の進み方をするんだわ」
という不思議な感覚を持った。
店に入ると、客はほとんどおらず、いつものカウンターで今日はコーヒーを注文した。
マスターはどうやら、待っていてくれたようである。玲子が入ってくると、お店の入り口を
「CLOSE」
という札を掛けた。
「警察に行かれたんですか?」
と聞くと、マスターは、
「ええ、任意同行というやつですよ」
と言ってせわしなくカウンターの奥で手が動いていた。
手を動かしていなければ落ち着かないのかも知れない。
マスターは、あっさりの前述の内容を話してくれた。そこにはマスターが隠しておきたくない事実という意味が込められている気がして、さすがに警察に正直に話したわけではないだろうが、玲子には聞いてもらいたかったのだろう。
「私にそこまで話してもよかったんですか?」
と聞くと、
「ええ、たぶん、玲子さんは分かっていることでしょう?」
と言われた。
「ええ、ある程度までは想像していましたけど、これも一種の予知夢が原因だったのでしょうか?」
「それらしい夢を見たんですか?」
とマスターが効くので、
「ええ」
と答えると、マスターは呟くように、
「そうですか、予知夢って難しいんですね」
と意味不明な言葉を静かに唱えた。
「どういうことですか?」
「実は、予知夢というのは、不思議な感覚があるんですが。私も予知夢と思えるような夢を時々見るんです。そして、その予知夢というのは、自分だけが見ているわけではなく、そこに一緒に出てくる人も同じ夢を見ているということに私は気付きました」
「それはいつのことですか?」
「それこそ、例の学生たちが、『殺人未遂まで』という話をしているのを聞いた時です。あの話を私は予知夢で見たんですが、玲子さんも彼らの話を聞いたという。しかもそれが夢の中であり、予知夢だったような気がするというじゃないですか。その時に私は、ウスウスは感じていたんですが、予知夢というものは、自分だけが見ているわけではなく、その場にいた人も見ているのだと思い、しかもその人も予知夢だということに気付いていると感じたんです。つまりは、『夢の共有』ですね」
とマスターは言った。
「そういえば、私も『夢の共有』に関して、予知夢を見ている時に感じたことがあったような気がしました。それはマスターとの間のことではなく、他の人の話の中でのことだったんです。その夢は、教授が誰か女性に騙されて、その裏にある何かの組織に利用されて、外人が不法滞在するための偽装結婚に巻き込まれたという夢を見たことがあったんですが、その夢のことを知っているという人のウワサを聞きました。まさにそれが『殺人未遂まで』という話をしていた連中と同じだったのではないかと思ったんですが、どうも彼らが、誰かに言わされているように思えたのが、そのきっかけでもありました。どちらもこの店だったということもあって、マスターが怪しいと思い始めたのも、その頃だったんです」
と玲子がいうと、
「そうだったんですね? 実は私も同じ予知夢を見ていました。そして、それをあなたに暗示させるように考えたのも、最初の計画だったんです。その頃にはまったく何をどうしようか考えていなかったので、事件とは関係のないことではあるが、教授の秘密ということであなたに聞かせました。これは、あなたにこれが予知夢だということを意識させるためと、その後のウワサの証人になりうることが分かったという意味で、怪我の功名ではありましたが、私にはよかったことだと感じました」
「そうだったんですね。この事件は不思議ですよね。被害者も被害者であり復讐を受ける人も両方記憶を失っているということ、さらには、私とマスターとの予知夢という名の、『夢の共有』、この二つのことって、ただの偶然と言えないような気がしてきました」
と玲子が呟くと、
「偶然などではないと思います。私はこの事件、いや、いろいろな事件に偶然などはありえないと思うんですよ。少なくともそこに人間の感情が働いている限り、犯罪は生き物になる。だから、いろいろな可能性が出てきて、一種のパラレルワールドのようになってくる。だから犯罪者はできるだけ完全な犯罪を考える。自分はどうなってもいいと最初は思いながら、犯罪を計画しているうちに、あるいは、犯罪を実行していくうちに、助かりたいという思いに陥ってくる。矛盾しているんですよ。感情というのは。だから、犯罪捜査は難しいんでしょうし、裁判などになって人を裁く時、その心情と、事実関係をいかに結び付けるかが肝になってくるんじゃないのかな? 私はそう思います」
とマスターは話した。
「どうもまだ私にはピンとこない部分があるんです」
と玲子が呟いた。
「それは、教授の記憶喪失の件ですか?」
「ええ、教授が記憶が欠落しているということでしたが、事故が起こってのショックで、半分くらいの記憶を失うという状況になるんでしょうか?」
と玲子が聞くと、
「そうですね。私は違う意見を持っているんです」
「どういうことでしょう?」