予知夢の正体
「実は二人には黙っていたことだったんだけど、私には娘が一人いるんだ。もう大学生なんだけど、実はこの大学に通っているんだ。でも、私はあの子はまだ小学生の時に離婚したものだから、一緒には住んでいない。一応定期的に会うことができるので、よく娘はこの店に遭いに来てくれていたんだよ」
というではないか。
「そうだったんですね。マスターとはいろいろお話をすることもあったけど、マスターはあまり自分のことを言わないので、こっちも聴いちゃいけないのかって思っていたけど、それは正解だったのかも知れないわね」
と友達がいうと、
「うん、聞かないでくれていたのは、本当に感謝したいくらいなんだ。実はその娘なんだけど、数か月前に自殺を図ったんだ。幸い命はとりとめたんだけっど、それから少しの間意識が戻らなくてね。医者からは、『もう少し待ってみて、意識が戻らなければ、このままかも知れない』と言われて愕然となったんだけど、何とかそれから少しして意識が戻った時には、本当に神様はいるんだって思ったよ。でもね、その娘は少しずつ回復していったんだけど、どうも記憶がないようで、私のことも、母親のことも思い出せなかったんだ。だから自殺をしようとした理由もハッキリと分からない。それを思うと、娘は生きているんだけど、本当に生きているのかが分からない、そんな感じになってしまったんだよ」
と言って、うな垂れていた。
玲子も友達もそんなマスターを見て、掻ける言葉が見つからない。下手な慰めはないに等しいのは分かっているからだ。二人はまたマスターが話し始めるのを待った。すると、それはそんなに時間が掛かるものではなかった。
「今の教授の記憶が欠落しているという話を聞いて、思わず娘を思い出してしまったんだ。私はここでは、なるべく娘のことは思い出さないようにしている。思い出してしまうと、仕事にならないのが分かっているからだ。私はいつもポーカーフェイスのように見えているかも知れないけど、実はこれでも結構無理をしているんだよ。だから教授の話が娘とリンクしてしまった瞬間、私は金縛りにでもあったかのようになってしまったんだ。せっかく教えてくれようとしてくれている二人には本当に申し訳ないと思っているんだよ」
とマスターは言って、頭を下げている。
「何を言っているんですか。マスターは、いい父親なんですよ。だから、必死になって、店ではマスターを演じている。私たちがまったく何も気にすることがないくらいにね。でもマスターにもちゃんと感情がある。私たちは分かっているつもりではいたんだけど、マスターが無理をしてくれたおかげで、気にすることはなかった。でも、もういいんですよ、マスターは自分の感情を私たちの前で出してくれても、私たちがマスターの娘の変わりだなどというおこがましいことはいいませんが、もし、マスターが娘のように感じてくださるのなら、私はこんなに嬉しいことはない。遠慮はいりませんから、どんどんいろいろと話してください」
と玲子は、友達も同じ気持ちだという確信があることで、マスターにそう話した。
玲子の父親は、結構玲子には厳しかった。一緒に住んでいや頃は、これほど鬱陶しい人はいないとまで思っていた。
特に中学生の頃の思春期の頃は、背伸びしたい年ごろの娘と、父親の間で起こる確執は、明らかに激しいものだった。マニュキュア一つで喧嘩になったり、服装も細かく指摘もされた。
「皆していることだから」
という言い訳が玲子が感じている一番の正当性のある返事だったが、父親の神経を一番逆なでするものでもあった。
「皆がしていることしかできないなんて、お前には自分の考えがないのか?」
とよく言われたが、今ではその思いが分かる気がした。
「他人と同じでは嫌だ」
と玲子は常々思っていたが。これは父親と同じ考えだった。
嫌で嫌でたまらない父親と考えが同じ、これほどいじましいと思う理屈もなかった。自分の中に生まれた矛盾でもあった。
「どうしてこんな」
と、玲子は自分を呪ったりもしたくらいだ。
これは後で離婚することになった両親だったが、後になって聴くと、どうやら、父親は自分の実の父ではなかったようだ。母親は一度離婚していて、その連れ子が自分だったという。
父親が自分に辛く当たったのは、実際に血がつながっていなかったということもそうであるが、自分の母親に対して、
「離婚したバツイチ女をこの俺が貰ってやった」
という意識があったのだろう。
父親にしてみれば、母親はまるで自分の奴隷のようなもので、玲子はその「ついで」にすぎなかったのではないか。だから、玲子は父親に絶対服従でなければいけなかった。
しかも、母親も最初こそ、義父に対して後ろめたさがあったからか、大人しくしていたようだが、そのうちに元々の性格がハッキリしたものだったことからなのか、次第に逆らい始めた。
そうなってしまうと、家庭関係は酷いもので、玲子も母親ですら、嫌になってきた。
――お母さんが逆らうから、そのとばっちりが私のところに来るんだわ――
と思っていた。
そもそも、そんな男と結婚なんかするのが悪い。母親は甘んじて義父にしたがっていればいいんだと、ずっと思っていた。
そんな両親が離婚して、玲子は家を出た。そんな家庭環境なのに、よく大学まで行けたものだと思えたが、勉強は嫌いではなく、持ち前の負けん気が強いことが、成績を押し上げてくれて、奨学金の話も出たことから玲子は晴れて大学生になれたのだ。
そんな家庭海峡を誰にも話したことはなかったが、奨学金を貰っていることから、少しは察してくれている人もいたことだろう。
だから、部活でバンドを組んでいたのは、バンドで楽器を弾けるようになり、バンドのアルバイトができるのではないかという思いからであった。さすがに、バンドでのバイト口はなかったが、コンビニでのアルバイトを続けながら、バンドも続けていたのだった。
玲子が大学に入ってからの心の支えは、実はここのマスターのような人だった。最近は昼間に来ることが多くなったが、本当は早朝のマスターが好きだった。朝目覚めて最初に出会う男性の知り合い、それがマスターだとすれば、それが一番最高だった。
今から思えば、マスターを慕っていたという気持ちが、どうして湧いてきたのかが分かってきた。マスターが自分をまるで娘を見るような目で見てくれていたからだ。
実際の父親の目線というものをほとんど知らないと言ってもいい玲子には、マスターの視線がどういうものなのか分からなかったので、ただ、
「親切で暖かい人なんだ」
と思うだけだった。
マスターはあまり口数は多くないが、話をしていると、こちらが考えていることをすべて見透かされているかのようにズバリと的確な話をしてくれる。
「年上の頼りがいのある男性」
という印象は、恋愛対象に十分だったのだが、男性を好きになったことがなかった玲子には、恋愛感情を誰かに持つということ自体、怖かったのだ。
やはり父親の影響が大きかったに違いない。今は大人しくしていても、いつ何時相手の逆鱗に触れるか分からない。一度触れてしまうと、まるで開けてはいけない、
「パンドラの匣」