予知夢の正体
「記憶が曖昧な人は、唐突に寂しそうな様子になることは結構あるんですが、そういう時というのは、誰かを頭の中に描いていて、その人のことが思い出せないということで寂しそうになるんです。唐突というのも、きっと唐突に頭の中に残像のような記憶がよみがえってくるからなんでしょうね。ただそれが中途半端なので、余計にストレスになってしまう。それが普段は見せることのない露骨な寂しい表情になって、こちらを見るんです。教授を見ていると、いかにもそんな雰囲気に感じられて仕方がありません」
この話を聞くと、
――教授は心の中に誰か決めた人でもいるのではないだろうか。もうすぐ誰か自分が結婚でもしようという覚悟を与えてくれるような女性の存在――
を意識したが、二人に分かるはずもなかった。
「ありがとうございました。何となくですが、気を付けることも分かってきたので、もしまた迷うようなことがあれば、先生に相談に参ります」
と言って、二人は先生の部屋から出て行った。
先生も友達のしっかりとした言い回しに感嘆を覚えたのか、結構話をしてくれたような気がする。
特に最後の話など、興味深いところであり、普通なら、ここまで誰にも話さないのではないかと思えることでも話してくれたのにはびっくりした。
二人は病院を出ると、表の庭のベンチに腰を掛け、
「さあ、これからどうしようか?」
ということになった。
玲子が一つ気になっていたのは。
「昨日の話なんだけど、例のマスターが聴いたという殺人未遂までという話のこと、警察に言わなくてもいいのかな? 実は同じ話を、私も聴いた気がしているのよ。私はずっとそれを夢の出来事だったんだって思っていたんだけどね」
と玲子は言った。
「夢の話だと思っていたということは、夢を見たという意識があったということですか? それとも夢から覚めて気が付いたんですか?」
と言われて、
「それがね、夢から覚めた時は、ベッドの中ではなかったんですよ。本当に夢だったのかと言われる、目が覚めた場所が喫茶店ではなかったので、夢だと思ったんだけど、眠っていたのかどうかも曖昧な感じですね。記憶を失うというのは、ああいう感じなのかも知れないって思ったくらいです」
最後の一言は自分でもビックリした。
意識して言ったつもりではなかったのだが、それがあたかも、教授が記憶喪失だということを仄めかしたような感じとなったことが気になったのだ。
「確かに夢の中では記憶が飛んだような気になるものですよね。時系列がハッキリしないのもそのせいなのかも知れないって思うんです。でも、夢というのは面白いもので、私が聞いたところによると、『どんなに長い夢であっても、目が覚める寸前の数秒くらいに見るものだ』って聞いたことがあります」
と友達がいうので、
「そうよね。私も同じ話を聞いたことがあるわ。私の中では、夢というのが潜在意識が見せるものだという認識があるんですよ。だからかも知れないけど、起きてから覚えている夢と覚えていない夢があるって認識しているんですよ。覚えている夢は怖い夢が多く、楽しくて、もう一度見たいと思う夢は得てして見ることはできないんじゃないかって思うんですよ」
と玲子がいうと、
「でも、私は少し違う考えがあるんですよ」
「どういうことですか?」
「夢というものは、睡眠中に必ず見ているもので、夢を見たということを意識させないほどの夢があって、その存在を分かっているのか分かっていないのか、それとも、それすら夢だと思っているのかも知れないです。笑う話のようですが、まるで『夢を見ているという夢を見た』というような感じですね」
と、友達は言った。
この考えは今までにあったわけではない。だが、友達の話を聞いていると、限りなく真実に近い話に思えてならなかった。
「ところで、さっきの話、やっぱり警察にいうのは、あまりにもなのかしら?」
と玲子がいうと、
「そうね。まず信じてもらえないわお。万が一そういう話を聞いたとしても、学生が話していたのだから、何か舞台か何かのストーリーだと思われて、それ以上はまともに聞いてもらえないわよ」
というので、
「そうね。私だって最初に聴いた時、耳を疑ったもの。それに、そういう話があったからと言って教授の事件との関連性を結び付けようとするのは、かなり強引なことよね」
「ええ、その通りですね」
「じゃあ、とりあえず、昨日の喫茶店に行きませんか? マスタも話に加わっていたんだから、話を聞く権利はあるんじゃないかしら?」
というので、二人はさっそく電車に乗って、行ってみることにした。
マスターの思惑
「まるで大学に通うみたいね」
と友達が言ったが、普段は早朝しか行かない店なので、夕方に顔を出すというのは何か違和感がある。
そもそも、夕方から大学のある駅で降りるというのも、ほとんどないことなので、違和感だらけだった。
その日の夕方は、昼間まで少し曇っていた天気もすっかり晴れていた。昼間まではヒンヤリしていた気がしたが、夕方になってくると、汗ばむくらいになっている。西日が暮れる前の最後の力を振り絞っているのか、日差しがつよく、自分の影がこれでもかと思わせるほどの長さを示していた。
自分から見ると、自分の影には違和感はないのだが、人の影はどんなに近くにいても、歪な感じにしか見えてこない。友達の影も細長く、これ以上ないというくらいに歪に揺れ曲がっているようだった。
その様子はまるで、
「メビウスの輪」
を見ているように、捻じれた空間が、存在しているように思わせるという意味で、それこそ夢の世界を見ているかのような感じだった。
店の中に入ると、店の中は今までに見たことのないコントラストを描き出していた。パステルカラーが滲み出ていて、ステンドグラスがついているかのような感覚に、
――以前にもどこかで?
と思ったが、あれは、二年生の時に友達と一緒に行った長崎での修道院で見た光景と同じではなかったか。
確かあの時も一緒にいたのが、今日も行動をともにしている彼女で、その時の様子を思い出していると、
――外人が多かったな――
というイメージであった。
長崎は貿易港でもあり、異人館などもあるので、外人が多いのも当然なのかも知れないが、横浜や神戸ほどでもないのに、それを感じるのは、都会というイメージが長崎にはなく、湾を中心に、山が聳えている限られた場所に人が住んでいるからであろう。
考えてみれば、原爆の被害も、威力とすれば、広島方の一・五番だったというにも関わらず、被害人数は長崎の方が少なかったというのは、それだけ人口が少なく、山で遮られたというのがあったからかも知れないと思った。
坂が多い長崎は、やはり他の街とはどこか違っていた。同じ九州でも、博多や熊本、鹿児島とはまったく違った趣があり、全国的にもイメージの違いを感じさせられた。
この喫茶店の雰囲気に、大正ロマンを感じさせられたことがあったが、マスターが、
「大正時代当時のカフェを少しイメージした」
と言っていたが、そもそも大正時代のカフェがどんなものなのか知らなかったこともあって、想像に絶するものであった。