予知夢の正体
そうやって考えると、小説のジャンルが、知らず知らずのうちに固まってくるではないか。ジャンルが決まってくると、あとはテーマを決めて、そこからディテールに入り込んでいけばいいだけのことである。その時に、今書き溜めているメモがその実力を発揮することになるだろう。
そういう意味で、最初の自分の小説のテーマは見えてきた気がした。
どんな内容になるかなどはまったく未知数であるが、やはりテーマとして考えるとするならば、
「予知夢」
ではないだろうか。
「普通の夢も書けないくせに、いきなり予知夢というのは、ハードルが高すぎやしないか?」
と言われるかも知れない。
しかし、夢というものを一口に捉えるよりも、その中でも一つの考え方としての、
「予知夢」
の方が、その話を具体的にすることができるのではないだろうか。
それが、想像力であり、創造力でもある。小説を書くということは、その両方が必要であり、ノンフィクションには、想像力の方が欠如しているのではないかと考えるのだ。
何しろ、小説には絵というものがない。本などでは、イメージさせるために挿絵が入っていることがあるが、基本はないと思った方がいい。そう思えば、いかに読者に想像させるかということが肝であり、想像力のないものを果たして小説として、同じ土俵に上げていいものなのかと考えてしまう。
またしても、余計なことを考えてしまうと、堂々巡りを繰り返してしまう。
そう、小説を書くということでもう一つ重要なことは、
「考えないこと」
だと思っている。
考えてしまって、そこで堂々巡りを繰り返してしまうと、結局タイムアップでゲームオーバーになりかねない。点数を獲得できなくても、ゴールすればいいのであれば、なりふぃりまわずにゴールを目指すというのが、ゲームの醍醐味ではないだろうか。ゴールできるだけの力もないのに、点数を取ってまでゴールしようというのは、
「二兎を追うもの一兎も取れず」
ということわざのように、本末転倒な結末を迎えてしまうことになるだろう。
だから、書き始めると余計なことを考えず、書きながら、三つ四つ先の文章を考える感覚で書いていく。文章が繋がりさえすればいくらでも書けるという感覚はあった。なぜなら、
「人と話を繋ぐことができるのだから、自分の中だけで考えている話を繋ぐことの方が簡単なのではないか」
と考えたからである。
その考えに至ると小説が書けるようになり、書けない人はその考えに至るために、考えていくのである。
だが、実際に今、玲子は小説が書けるようになったわけではなかった。そのわけが自分ではなかなか分からなかったが、最近では分かってきた気がする。
「最初に、予知夢を題材に考えたからではないか?」
と思った。
予知夢などの夢というのは、幅が広い。そのために何でもありのような気がするが、意外とこの何でもありというのが曲者であった。
何でもありというのは、簡単なように見えるが、結局はそこからテーマを絞り出さなければいけない。その作業がまず必要で、絞り出してからも、そこからが制約がかかるので、まるで狭いトンネルを抜けていくようなものである。気が付けば、夢の中で見た予知夢のような真っ暗な場所で、左右にも前後にも動くことのできないという状態に追い込まれていることに、その時になって気付くのだ。
最初から徐々に分かっていれば対策の取りようがあるが、その時点になって気付くのであるから、どうしようもない。つまり予知夢で見るというのは、最初のその時点だけを切り出して見ているというようなものである。
本当はそのことを小説に書ければいいのだが、実際にはそうもいかない。なぜなら、最初にその道を選んでしまったのだからである。その道を選んでしまったことがすべての間違いで、たくさんある他の選択肢を選べなかったことが、その時点で敗北だったということであろう。
だが、小説を書くことを諦めたわけではない。
実際に大学一年生の頃までは、結局書くことができなかった。予知夢の話を書こうと考えたのは、あれっていつのことだったのだろう? 少なくとも高校時代だったのは間違いないだろう。
高校時代というと、自分の中でも一番暗かった時代だった。中学時代も暗かったが、思春期で、しかも自分がまだ子供だという意識がある中での成長期だったので、好きになった男子もいたし、その子に告白してフラれたという苦い思い出もある。
だが、思い出というものが、結果がどうあれ、頭の中に残っているというのは、確かにその時代を経験したということであり、懐かしさを伴うものであった。その懐かしさが高校時代にはほとんどなかったのである。
それだけに思い出すことはあまりなく、あったとしても、記憶の中での時系列が、まるで中学時代に比べて、もっと以前だったような気がする。
そんな過去を思い出していると、時系列的にはもっと昔だったような気がするのに、意識として懐かしさがないのだ。
高校時代は考えてみれば、挫折だけの人生だったような気がする。小説においてもそうであるが、中学時代まで、成績もそんなに悪い方ではなかったはずで、高校生になってからも、決して勉強を怠けていたというわけでもない。
実際に学校での授業も、塾での授業にもついていけなかったわけではなかった。自分としては、それほど危機感を持っていたわけでもないのに、高校一年生の時の成績では、余裕で行けるであろう大学を第一候補にして勉強してきたはずなのに、いざ、三年生になって志望校を選択する段階になって、
「相沢さん、あなたのこの成績では、志望校への進学は今のままでは難しいかも知れませんよ」
と担任の先生から言われ、志望校の再考を余儀なくされた。
このセリフは、自分の中では青天の霹靂だった。
確かに、成績も順位も少し落ちているとは思っていたが。そもそもが余裕だったはずの大学ではなかったか。それがいつの間にそんなことになってしまったのか、何が自分の中で起こったのかが、理解できなかった。
そうなってくると、もう小説どころではなくなっていた。
元々小説を書きたいと思ったのは、受験勉強の中での息抜きとして考えたものであって、受験が危機的状態なのに、小説に没頭するというのは、そういう意味ではまったくの本末転倒なことである。
それを思えば、なぜ自分が勉強ができないのかということをどう考えればいいのかというところからの再出発である。
それまでなかなか先に進まずにもがいたという経験があったが、先に進んでいたものが後ろに戻ってしまって、そこから再出発を余儀なくされるなど初めてのことだったので、自分でもビックリしている。
だが、
「ひょっとすると、自分で気付いていないだけで、本当は、もっと前からこういう状況を自分にはあったのではないか」
と思うようになっていた。
そんな高校時代をどのように過ごしてきたか、記憶の中に悪しき記憶として封印されていたとしても、それは無理もないことだったのかも知れない。
殺人未遂事件