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予知夢の正体

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「引きこもりってよく言われているけど、子供が引きこもるのって、こういうところから来るんじゃないかしら?」
 と、子供ながらに玲子は考えていた。
 大人の世界はもちろんのこと、子供の世界からも隔絶されたかのようになっている玲子は中途半端なところにいた。
 さすがに引きこもりになることはなく、学校にも普通に行ったし、勉強も普通にしていた。
「そもそも友達がいなっから寂しい」
 だとか、
「親が何を考えているのか、子供の立場になって考えてくれない」
 という感覚は次第にマヒしていったのだ。
 ただ、引きこもりにならなかったのは、引きこもった人たちがやっているネットであったり、ゲームのようなものに没頭しなかったからであろう。部屋にいて何をしていたのかというと、最初はマンガをよく読んでいたが、途中から本を読むようになった。
 小説を読んでいると、想像力がたくましくなってくる。それにマンガを読むよりも、読書の方が、
「偉くなったような気がする」
 という思いが強かったからだ。
 そのうちに文庫本というものが好きになり、
「小説を書いてみたい」
 と考えるようにもなっていた。
 実際に書いてみたことがあったが、書いてみるとこれほど難しいものはない。書きながらの試行錯誤は自分だけにあるわけではないのに、試行錯誤が自己嫌悪に繋がり、文章を書くことがストレスに繋がってきたことで、少しして書くのをやめてしまった。
 もちろん、最後まで書いた作品など存在するわけもなく、
「小説を書く基本は、まず、どんな内容であっても、書き上げることだ」
 というのを知らなかったこともあり、書きかけては辞めるという、一番やってはいけないことを繰り返したことで、挫折してしまうという、誰もが陥る落とし穴に、自ら飛び込んだ形になってしまった。
 今から思うと、
「どうして小説を書くのを辞めちゃったんだろう?」
 と思ったが、いまさら書き始めようという気も起こらずに、大学生になってしまったということであった。
「飽きっぽいというのとは、少し違っているような気がする」
 と思ったが、まんざら間違っているわけでもないように思えた。
 玲子は、小説を書くことで、自分に対してかなりの、
「制限」
 を設けていた。
 例えば、
「ノンフィクションは嫌だ」
 であったり、
「フィクションであっても、二次創作など嫌だ」
 というものであったり、
「長さは基本、中編以上、短編であれば、短編連作にする」
 などというものだった。
 最初の二つは、ノンフィクションのように、誰に出書けるようなものは嫌だった、
「文章力で争う」
 というのであれば、それならフィクションでも同じことであり、そもそも争いの土台からして違っているように思い、特に二次創作など、まったくの論外で、その存在すら否定したいくらいであった。
 同じ小説としての土俵に上げたくないほどである。一体どこに個性が含まれているというのか、ただの言葉遊びでしかないような気がして、気に入らない。
 最後の部分は、
「自分が書いているのは、本であり、雑誌掲載ではない」
 という思いからであり、書下ろしを基本にしている。短い文章で本数を稼ぐなどということはしたくないということであった。
 さらに、ここにはないが、人の作品の批評やレビューなどはさらに論外で、ノンフィクションが高額性の頃の作文であれば、批評、レビューなどは、ただの読書感想文にしかすぎないではないか。
 そんなことを考えていると、次第に小説が書けなくなってきた。
 だが、それは書けないことへのいいわけであることに気付いてくると、そのうちに、アイデアをノートに書いて、アイデアだけのストックがある程度溜まったら、何か一つ、自分のオリジナル小説として、一度は完成させてみたいと思うようになった。
 この時の夢にしてもそうである。
「予知夢」
 などという発想は、小説のネタにするには、実にいい題材ではないだろうか。
 ただ、玲子はいわゆる、
「売れる小説」
 であったり、
「読まれる小説」
 を目指しているわけではない。
 あくまでも、
「書きたいものを書く」
 ということで、他人から読まれるということを前提にして書こうと思っているわけではない。
 それはもちろん、人に読まれると嬉しいし、高評価がもらえると、それなりにやりがいもあるだろう。
 しかし、小説というものに、正解はないと思っている。間違いはあるかも知れないが、正解はないのだ。
 だから、あまり推敲と重ねて、どこまでも、
「いい作品」
 を目指そうとは思わない。
 そう感じた瞬間から、堂々巡りを繰り返してしまうような気がするからだ。最近ではやっと少しずつ書けるようになってきたが、その時に読んだ、
「小説の書き方」
 と称するハウツー本であるが、最初こそ参考にしていたが、途中から参考にすることはなくなった。
 あくまでも小説を書くということは、自分の個性を表に出すことが一番だと思っている。売れるため、読まれるために書くのではない。そんな風に考えると、無意識のうちに、読まれるためというのが、読んでもらえるような作品から、いかに読ませようという意識が強くなり、完全な上から目線でしか書いていないことに気付く。何もそれが悪いと言っているわけではない。最初は読んでもらうという気持ちからだったのか、それとも自分の書きたいものを自分の中で自由に書いているだけだという思いが転じたものであっても、書いている人間のエゴが、結局は同じところに向かわせるにすぎないと思うようになっていた。
 実はこの、
「小説を書けるようになっていた」
 ということ自体が、夢だった。
 しかし、実際にはそれから自分が必ず書けるようになるという自信を持って、少しずつノートの中で題材が暖められている。別に、キチンと下プロットが出来上がっていないと書く始めることができないというわけではない。むしろ、プロットは中途半端なくらいの方がいい。要するに、
「ニュートラルな遊びの部分がないと、何も進まない」
 と思っているからだ。
 まるで真っ暗な世界の断崖絶壁の上にいて、前にも後ろにも進めないという、以前に見た夢がまた頭の中によみがえってくるのを思い出したかのようである。
「そうだ、夢の世界こそ、小説の題材になるんじゃないかしら?」
 と思った。
 ただ、あまりにも飛躍しすぎると、異世界ファンタジーに入り込んでしまう。異世界ファンタジーというと、イメージとしてはゲームやアニメなどのテーマになりやすいもので、猫も杓子も飛びつくジャンルというイメージがあった。
 自分にはできないと思っているジャンルに、しかもピンからキリまであるジャンルに、わざわざ飛び込もうという意識もない。
 それを考えると、夢や鏡の世界などのアイテムを使って描ける小説としては、都市伝説をテーマにしたオカルト小説であったり、怪奇ホラーの原点である、広義の意味でのミステリーなどがテーマとしてあげられるだろう。
作品名:予知夢の正体 作家名:森本晃次