小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

予知夢の正体

INDEX|14ページ/27ページ|

次のページ前のページ
 

――まさかとは思うが、あの連中が教授を嵌めたともいえなくもない――
 と思えた。
 教授がどうして、そんなに簡単にキャバクラなんかに赴いたのか、普段の教授を見ていれば、そんなことなどありえないはずなのに、教授はある時突然に、
「もう一人の自分」
 が顔を出すのではあるまいか。
 そのもう一人の自分は、普段の自分が極端な表の部分で、もう一人は正反対の裏の部分で、こちらも極端な性格と言えるのであり、まるで、
「ジキル博士とハイド氏」
 のようではないか。
 ただ、ジキルとハイドの性格は分かっても、いつもジキルが表で、裏がハイドだと決まっているわけではない。時々ハイドが表に顔を出すことで、ジキルも表にいて、自分が表に出ることのできないジレンマに襲われていることだろう。
 本当は表に自分も顔を出してもいいはずなのに、顔を出すことができない。それは、
「ハイド氏というものがあくまでも裏の性格であり、ハイドが表に出てきている間のジキルは、裏でじっとしているものだ」
 という考えをまわりの人に認識させたいという気持ちがあるのだろう。
 そうでなければまったく正反対の性格である、
「ジキル博士とハイド氏」
 という物語は成立しないのだ。
 これも思い込みからなのだろうが、夢を見ているから思い込みを感じるに違いない。
「夢というのは、同じ夢を二度と見ることはできないものだし、続きも一度目が覚めてしまうと見ることができない」
 とずっと思っていたが、果たしてそうだろうか?
 起きている時に感じる、デジャブ現象のようなものを夢の中でも感じることがあるのではないか。
 夢の中の方がその思いは結構強く、夢に対してかなり強い制限や縛りがあればあるほど、夢を具現化しようと試みる自分がいるのだった。

                 小説執筆心得

 そんな自分が予知夢というものを見ているのではないかと最初に感じたのは、いつが最初だったのだろうか。玲子はその時のことを忘れることができなかった。なぜなら、その夢のせいで、両親が離婚したのだから……。
 いや、正確に言えば、両親が仲が悪い状態が続いて、自分がいかにして家出をしようかという夢を見たすぐ後に、実際両親の仲が悪くなり、本当に離婚するに至ったというのが、本当のところだった。
 もちろん、そんな夢を見たなどと、両親のどちらかに話したりするようなことはしない。もしそんなことを言いでもすれば、
「何バカなこと言っているのよ。お父さんに失礼でしょう?」
 とお母さんからは言われるだろうし、お父さんにいえば、きっとお母さんに失礼だという言葉が返ってくると思われるからだ。
 それならそれで仲がいい証拠だからいいのだが、自分だけが怒られるというのは明らかに理不尽で、自分からそんな事態を望むわけもない。そう思っていると、
「この夢は誰にも言えない。タブーな夢だ」
 と思うようになった。
 父親と母親、元々仲がいいのか悪いのか、子供から見ていてよく分からなかった。テレビドラマで見る家庭団らんな様子など見たことがない。会話もほとんどなく、玲子は自分の家庭が本物で、テレビでは誇張して描かれている。つまりは理想を描くことで視聴者のハートを掴もうとでもしているのではないかと思っていた。
 だが、考えてみれば、そんなことをしても、実際に自分の家庭が玲子のような家庭だったら、そんなものを見せられれば、露骨に嫌なものである。
「何をそんなに理想を押し付けようとするのか?」
 と思われるのがオチである。
 玲子は友達の家に遊びに行ったことがないわけでもないが、その時に見る家庭は、団らんというよりも、どこかぎこちなく感じられた。無理に会話をしているようにも見えて、それが嫌だった。
 玲子は自分の家に友達を呼ぶことを禁じられていた。
「誰も連れてきなさんなよ」
 と母親から言われていた。
 連れてくるなというものを無理に引っ張ってくるようなことができるはずもなく、そのうちに友達の家に遊びに行くこともなくなっていった。
 玲子の方から避けるようになっていったのだが、どうも、友達も玲子を呼ぶのに躊躇していたようだ。
 最初の頃はそれでも、
「玲子ちゃんもこない?」
 と言われていたが、
「私は、いいわ」
 というと、ホッとしたような露骨な表情が見えた。
 そのうちに誰も誘わなくなり、
「これでいいんだ」
 と思うようになっていった。
 玲子は、自分の親と一緒にいるのが嫌だった。子供の頃は、正月が近づいてくると、お年玉が貰えるという理由で嬉しかったものだが、本当に嬉しくて、ワクワクした思いがあるのは、大みそかまでだった。
 クリスマスを挟んだ週からの一週間というものは、世間も慌ただしく、
「一年の集大成」
 とばかりにテレビでも特集している。
 それを見ていると、別に自分のことでもないのにウキウキする気分になるのは、まだ子供だったからであろうか。
 だが、大みそかのカウントダウンが終わってしまうと、一気に年が明け、
「あけましておめでとうございます」
 という挨拶だけで、それが終わると眠りに就く。
 それだけのために、無理して起きていたとでも言わんばかりだった。
 正月に入ると、今度は急に何もしなくなる。テレビ番組も実にくだらないバラエティや、何がめでたいのか、ワンパターンな番組ばかりだ。
 しかも、それがほとんど録画であり、その出演者は皆放送されている時は、ハワイにいるということを知った時、
「何てバカバカしいんだ」
 と思ったものだった。
 正月になったからと言って、何かがあるわけではない。形ばかりのお屠蘇とおせち料理を食べるという
「儀式」
 が終わると、何をしていいのか分からなくなる。
 父親は、届いた年賀状の整理に余念がないが、玲子には学校の友達から数通くるくらいだ。
 皆自分が出した相手なので、新たに書いて出す必要もない。年賀状なんて、何の意味があるというのだろう。
 初詣も人が多いばかり、小さい頃は親と一緒に家族で年末から出かけたことがあるというが、玲子はあまり覚えていない。それほど小さかった頃のことだ。
 小学生に入った頃から、初詣も大きな神社に行くことはなくなった。近くにある祠に毛が生えたような神社で、並ぶことなくお賽銭を入れて、願い事をする。それが毎年の恒例だった。
 正月は、娘が出歩くことを親は嫌った。
「どこのご家庭も正月というとゆっくりしたいものなのよ」
 という大人の都合というものを押し付けられるだけであるが、確かにそれも一理ある。
 自分から出かけようという気にもならなかった。しかも、友達からは呼ばれなくなっているのだから、なおさらのことで、正月はとにかく孤独であった。
 だからと言って、親と一緒にいたいとも思わない。親は親で、大人の立場からしか話をしない。完全な上から目線で、子供のことなどどうでもいいという感覚で今まで言いたかったかのように説教をぶちまける。
 そんなストレス解消に巻き込まれでもしたら、たまったものではない。それを思った玲子は、とにかく自分の部屋から出ることをしなくなってしまった。
作品名:予知夢の正体 作家名:森本晃次