短編集107(過去作品)
表に出かけたくなるのはそんな時間で、日が沈む少し前の黄昏た時間帯が一番多い。また、その時間帯が一番好きな時間でもあった。お腹が空いてくる時間なのに、表を歩いていると、どこの家庭からも夕飯のおいしい匂いが漂ってくる。お腹が鳴るのが分かるが、なぜか心地よさを感じるのだ。不思議なことに部屋に帰る頃には、匂いだけでお腹がいっぱいになっていることも珍しくはなかった。
夕方の時間は、空を見上げることはしない。逆に足元を気にする方である。歩きながら足元から伸びた長い影の行き着く先を見ていると、適度な気だるさが心地よさに変わってくるようで、歩くことが苦にならない。それが心地よさに繋がってくるのだ。
夕方の時間というのは、真冬でもなければ適度な汗を掻かせてくれる。それがありがたく、食事をする前に、少し睡眠を摂るのだ。
大体二時間くらいの睡眠だが、夢を見るほど深い眠りに就いていることが多い。最初は夢から覚めて、外が真っ暗なことに違和感があったが、最近ではそれも当然のようになってしまい、不規則な生活なのだろうが、不規則なりに規則的であることが、あまり身体に余計な負担をかけることがなくなった一番の理由である。
――そういえば、頭痛がしなくなったな――
それまでは頭痛に悩まされていた。
特に夕方近くになると頭痛が激しく、吐き気をともなうことが多かったので、夕食が摂れなかった。
結局夜食になるのだが、それが胃に負担をかけていたのか、一時期入院したことがあった。
最初は精神的にも病んでいたこともあって、
――入院するのも気分転換になっていい――
と簡単に考えていたが、入院して何もすることがないと、不安だけが募ってくる。身動きが取れないことがこれほど苦痛だということを思い知らされた。
「何も心配しないで、ゆっくり静養してくださいね」
医者や看護婦は、サラリと言ってのける。精神的に落ち着いていれば、これほど落ち着いた言葉もないのかも知れないが、精神的にムラがあると、追い詰められたような気分に陥ってしまう。一つの言葉でも、その時々でこれほど違ってくるものかというのを、それまでに感じたこともなかった。
それほど、それまでの人生が、流れにしたがって生きてきた証拠かも知れない。自分で進路を決めたつもりでいたが、それも逆算法からの考えで、残ったのが今の生き方である。それほど悩んだわけでもない。人生について考えることは好きだが、決して悩むことは望まない。それが今までの基本的な考え方だった。
空を見上げていると、都会ではマンションなどの障害物があって、綺麗に見えないという人の意見を聞くが、達也は違っていた。マンションを基準にして見るか、空を基準にして見るかによって見え方が違ってくる。空の大きさにも違いが感じられる。元来大きさが分かるはずのない無限に広がっている空に、限界が見えてくる気がするのだ。
それだけ立体感を感じているのかも知れない。
そういえば、子供の頃に連れて行ってもらったプラネタリウム、あれも無限の宇宙をどれほど立体感を与えながら見せるかが永遠のテーマであった。子供心にすごいと感じた空、今でも忘れられないのは、まんまと主催者側の思惑に嵌ってしまったに違いない。
星空は都会ではなかなか望めない。それだけにどこまで闇が続くのか想像できないが、そこを下界の明るさがフォローしてくれる。
田舎に行くと下界の明るさが少ないかわりに、満天の星が煌きを増している。都会で味わうことのできない明るさに、しばし目を奪われるのは、仕方のないことであろう。
都会で育った人と、田舎で育った人とでは考え方も見え方も違うだろう。途中まで田舎で過ごしていた達也には、満天の星空は懐かしいもののはずなのだが、実際に田舎に行ってみると、初めて見るように思えるのは、同じ田舎でも、場所によって感覚が微妙に違うからかも知れない。
いや、それよりも自分自身が変わってしまったのかも知れない。都会の空を見てしまったことで、田舎の空が自分の中で過去のものとして記憶されただけになり、まったく別世界として封印されたのだろう。
温泉に浸かっていると、湧き立つ湯気が白さで輝いている。まっすぐに上がっていくのではなく、不規則に揺れながら昇っていく湯気を見ていると、身体が宙に浮いてくる錯覚を感じることがある。
身体から出ている汗を感じるが、頭の先まで暖まっている。身体の芯からこみ上げる暖かさとは、そんな時のことであろう。
露天風呂の岩に腕を乗せて、頭にタオルを乗せる姿は、まさしく
「いい湯だな」
を地でいっている雰囲気だ。
おいしい料理を食べてゆっくりできるならそれに越したことはない。今回の達也は、仕事が一段落しての休息のための旅行だった。リフレッシュが目的である。
しかし、却ってプレッシャーに感じることもある。最初は、
――リフレッシュだから、何も考えなくていいんだ――
ついこの間まで時間の感覚がなくなるほど集中して頭を働かせていたので、休息することが嬉しくて仕方がなかった。何しろ、仕事をしながらでも、心のどこかでリフレッシュする自分を思い浮かべていたのである。集中しながらでもそれが気分転換になり、励みにもなるからだ。
集中している時の気分転換には、厚みを感じない。まるで別世界のことのように感じるだけに、薄っぺらいイメージが浮かぶが、実際に想像すると、どこまでも果てしなく続いている都会の闇に包まれた空を思わせた。そこには街灯もマンションもなく、暗い世界に広がる闇夜だった。
――どうして、暗い方にばかりイメージするのだろう――
暗いことが悪いことだというイメージを持っていないからかも知れない。暗いと不安に感じるのは人間として当然のことであるが、暗くて前が見えない場合でも、必ずいつかは見えてくるはずだという感覚を常に持っているからだろう。
リフレッシュも最初の二、三日である。実際に滞在は一週間を予定している。後半はリフレッシュというよりも、新しい作品のネタ作りであったり、今後の作品のためのイメージ作りだったりする。どうしても職業を忘れられないのは、作家としての性ではないかと思うが、それも悪くない。現実逃避だけではなく、いかにして現実にスムーズに戻ってくるかも大きなテーマだからだ。永遠のテーマと言っても過言ではない。
その日は宿に泊まってまだ二日目だったが、来てからかなりの時間が経っているように思えてならない。これだけ時間に長さを感じているのだから、逆に後半はあっという間に過ぎてしまうのではないかと思えてくる。
時間の感覚にばらつきがあるのは決していいことではない。しかもリフレッシュ期間中はよくないことだろう。
減算法で決めた人生であったが、実は自分が加算法の人生を望んでいるということを感じられるのが、旅行に出た時のリフレッシュした気分の時である。
すべてのスケジュールが終わって何もないところから旅に出る。それこそ、自分の原点を探しに出かける旅のようである。
作品名:短編集107(過去作品) 作家名:森本晃次