短編集107(過去作品)
しかし、一人の女性を見る時に、いくらいくつも自分の中に性格があるとはいえ、それぞれで一人の女性を見ることができるだろうか? 一人の女性の前では、必ず一人の自分が正対していなければ、意識して相手を見ることができないと思っていたはずではなかったか。
佐和子と付き合うようになってしばらくしてから、風の噂で彼女が結婚したことを知った。
結婚したということが分かったのは、彼女の名前が裕子であることを思い出したからである。どうして忘れていたのかは今となっては不思議だが、裕子という名前がどこにでもいる名前だからという理由ではないことだけは確かだろう。
――俺の中で裕子は一人だったんだろうか――
同じ女性を見るにしても、佐和子を見ている時に、時々後ろに違う女性を見ていると感じることがある。それが裕子だったのかも知れないと思うと、佐和子に悪い気がしてくるではないか。
しかし、それからさらに半年が経つと、今度は裕子が離婚したという話を聞いた。
複雑な心境だった。別れたはずなのに、離婚と聞いてどこかホッとした気分になっている自分がいる。未練がましいのだろうが、裕子に関しては未練がましいなどという言葉が当てはまらないような気がした。
離婚の理由は性格の不一致。
――俺だったら性格の不一致で離婚したりするだろうか――
裕子は、あまり我慢強い女性ではなかった。あっさりしているところがいいところでもあったが、それでいて頭の回転が速い女性だった。それだけに諦めも早かったに違いない。
――旦那さんはさぞかし後悔しているんだろうな――
旦那さんの性格がどんな人かは分からないが、裕子が結婚した相手なので、結構真面目な性格な男性に思えて仕方がない。当たらずとも遠からじではないだろうか。
「真面目な性格って、それ以上でもそれ以下でもないのよね」
裕子が話していたのを思い出した。
「どういうことだい?」
「融通が利かなくて性格的に幅が広いわけじゃないということよ。でも結婚するなら、そんな男性がいいわね」
遠まわしに、
「あなたじゃダメなのよ」
と言われているように思えてならなかったが、結果的にはそうなってしまった。しかもすぐに離婚したということは、それ以上でも、それ以下でもないという言葉をそのまま地で言ったと言えるのではないだろうか。
――もし今裕子と出会ったら、まったくの別人かも知れないな――
と思う反面、出会ってみたい気がしてきた。
そんな時である。佐和子が突然達彦の前から姿を消した。
達彦は昔話を思い出していた。「鶴の恩返し」である。
佐和子の中に裕子を見たのが最初だった。しかし、佐和子に惹かれていき、裕子を次第に忘れてくる。名前を忘れるまで徹底的に忘れなければ、佐和子とはうまく行かなかったかも知れない。
いや、そこに佐和子の神通力があったと言えないだろうか。佐和子の魅力が達彦を呪縛のようなものから救ったのである。
だが、達彦は裕子を思い出してしまった。
「ああ、これで私の役目は終わったんだわ。達彦さん、さようなら」
そんなセリフが浮かんでくる。佐和子は達彦にどこかで精神的に助けられたことがあって、その恩返しに神通力を持って現れたのかも知れない。裕子を忘れさせるためには、あえて彼女そっくりの雰囲気を作り出し、顔も似せたに違いない。しかし、さすがにまったく同じということは神様が許さなかったに違いない。どこか違う性格を作ることは、佐和子の本意ではないだろう。それはいつしか自分が達彦を愛してしまったことに気付いたからである。
しかし、結婚、離婚という俗世間の言葉に反応してしまった達彦に対する神通力が効かなくなっていくことを佐和子は内心で恐れていたのだろう。
佐和子の中に役目と、本心が交互に顔を出し、ジレンマを起こしていたに違いない。それを救ったのは他ならない達彦だった。達彦の笑顔は佐和子にとって癒しとなり、心の安らぎを与えてくれた。
――一番性格が変わってしまったのは、達彦さんかも知れない――
一番全体の状況を把握している佐和子は心の中で呟いている。
達彦は自分の心の変化に気付くことができるだろうか?
そして、本当に愛しているのは誰かということに気付くだろうか?
――その人が本当は自分であってほしい――
と願う佐和子に、達彦は迷い続けている。その答えを見つけるのは達彦自身で、今度こそ誰にも手伝わせることはできない。
――きっと私のところに戻ってきてくれる――
達彦の内面を本当に知っているのは自分に違いないと思う佐和子だった……。
( 完 )
作品名:短編集107(過去作品) 作家名:森本晃次