小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

短編集107(過去作品)

INDEX|6ページ/21ページ|

次のページ前のページ
 

 人当たりのよさそうな先生だったので、それほど心配はしていなかったが、治療中に効いているはずの麻酔の効きが次第に薄れてきて、痛みを感じるようになってきた。
 痛くて訴えようとするが、それを先生は許さない。手を上げて何とか分かってもらおうとするのだが、その手は先生によって下ろされ、訴えることができない。まさしくまな板の上の鯉状態である。
 治療を終えてしばらくして、本当に麻酔が切れ掛かってきた。実際であればまだ痛みが残っているはずなので、こんなところで切れれば痛みが露呈する。
――これは痛いぞ――
 普段であれば、病院が出してくれた痛み止めは飲むことはない。
――薬を飲んだくらいで収まるものか――
 というのが本音で、それでも今回は背に腹は変えられない。騙されたつもりで、秒う院から貰った痛み止めを口にした。
――本当に効くのかな――
 半信半疑ではあったが、何とか気を紛らわせながら耐えていると、三十分もする頃には痛みは徐々に消えてくる。
――薬って効くんだ――
 医者の治療よりマシじゃないかとまで感じたほどである。それから信じられなかった薬の効力のおかげで、少々の痛みも薬で何とかなるようになった。これこそ自己暗示といえる。
 佐和子の懐かしさを嬉しく感じたのは自己暗示でもあるだろうが、心のどこかに嬉しさを感じているのは間違いないだろう。ワクワクやウキウキした気持ちは自己暗示からだけでは生まれてこないからだ。佐和子の達彦を見つめる目、潤んだその目は、身体を預けただけでは生まれることのないもののように見えたからだ。心も一緒に預けてくれているとすれば、懐かしさがそうさせているに違いない。達彦にはそのことが嬉しく思えるのであった。
「最近ね、自分が生まれ変わったみたいに思えることがあるの。あなたと知り合ってからこんな感覚になったみたいなの」
 懐かしさに結びつくのであろうか? 達彦には結びつくように思えてならない。
「どうしてそう思うんだい?」
「何かのきっかけがあったと思うのよ。それはあなたと出会ったことも理由のひとつにはなると思うんですけど、それ以外にも何かありそうなんですよ。きっと何かのきっかけがあったんじゃないかな?」
 何かが変わったり、心境の変化に、
――何かのきっかけ――
 を感じるのは佐和子だけではない。同じような思いを感じるのは、達彦も同じだった。
 中学の頃から、自分は物覚えが悪いと思っていた。学生時代に読書に凝った時期があったが、すぐに眠たくなるせいか、セリフばかりを拾い読みという雑な読書をしている時期があった。
 元々読書も、当時流行っていたドラマの原作だったので、セリフだけでも十分ストーリーを理解することができた。原作を読んでいなければ友達との話題に入っていけないからである。
 幸い、シナリオのような作風の作家だったので、セリフも多く、苦になることもなく読破できた。話題に乗り遅れることもなく事なきを得たが、それから読書をするようになった。
 しかし、拾い読みは相変わらずだった。したがってセリフの少ない本は読もうとしない。セリフを繋いでいくだけで、勝手に情景を想像して楽しんでいたのだ。
 だが、本の内容をすべて読みたくなる気持ちにさせられた。それがどうしてだったのか分からないが、何かのきっかけがあったことだけは事実だった。
 本を読んでいて、キリのいいところでやめて、後は次の日、という気分にはならない。読み始めたら最後まで読んでしまわないと気がすまなくなっていた。
 セリフ以外を読んでいると情景が浮かんでくる。それが嬉しかった。勝手な想像ではあるが、まるで自分が主人公になったような錯覚に陥り、本の中の描写に懐かしさを覚えるのだった。
 小説を書いているくせに、まさか拾い読みをしていたなど、誰も知らないだろう。旅行先での短歌に公募したのも一つのきっかけであったことには違いないが、書けるようになったのはいろいろなきっかけがあったのだと思っている。そのすべてがどこかで繋がっているように思うのも、懐かしさが記憶の奥で燻っているからに違いない。
――物忘れが激しいと、想像力が豊かになるのではないか――
 というのも自己暗示である。実に都合のいい自己暗示だが、都合のいいことを考えるからこそ自己暗示といえるのではないだろうか。
「私ね、気が強くなったように感じるのよ。学生時代までは気が弱くって、いつもグループの中にいるんだけど、それもいつも意識して目立たないところにいたのよ。普通、意識なんてしないわよね?」
「そうだね。意識していたっていうのは、後になって考えるからじゃないのかい?」
「そうかも知れないわ。でも、意識しないとできないこともあるって感じたのは、それだけまわりの目が怖かったからかも知れないわ」
 気が弱い人と、そうでない人の違いは、まわりの目をどのように感じるかということに繋がってくるのではないだろうか。まわりの目を気にしない人は大胆にもなれるし、大胆に振舞っている時に、まわりを気にしてしまうと、どこかいそいそしくなるのではないかと感じる達彦だった。
 その思いは、女性に興味を持ち始めた頃から達彦の中にあったようである。
 女性への興味はまさしく殻に閉じこもっていた自分を開放した時期だと思っていたが、それは殻に閉じこもる必要もないのに、無理に殻を作ってしまったことに気がついたからである。
――まわりが見えていれば殻に閉じこもる必要なんてなかったんだ――
 まわりを見ていなかったわけではない。自分がまわりを見ようとするよりも、まわりが自分の見る視線の方が強いので、無意識に殻を作ってしまう。
 作った殻を破ったのは自分であるが、まわりの視線に悪気がないことが分かってくると、
――まわりの視線が破ってくれたのかも知れないー―
 と感じるようにもなった。当たらずとも遠からじであろう。
 まわりの視線に冷たさと、鋭さしか感じていなかった頃は、引っ込み思案だった。何しろ、自分が何を考えているか分からなかっただけに、
――自分も分からないことをまわりが知っているのでは――
 と考えてしまったのだから、視線が冷たければ冷たいほど、感覚がなくなってくる。鋭さが次第に熱を帯びてくるからかも知れない。一点に熱が集中すると、感覚がなくなるものであるからだ。
「きっかけって、いつ頃感じたの?」
「それがごく最近なの。ここ数ヶ月というところかしら?」
 頭を捻っているが、本当のところは分からないようだ。しかし、達彦の中では、彼女が自分の前から姿を消した時期に附合していると認識している。
 佐和子と付き合い始めたことに後悔はない。前の彼女に似ていると思えば顔がそっくりに感じる瞬間があるのだが、似ていないと思えば似ても似つかない雰囲気に感じられることもある。
 一人の女性の中に二人を見ているからではないかと思ったが、彼女の中に二つの性格があるのかも知れない。
 いや、達彦自身に二つの性格があり、それぞれどちらが顔を出すかによって変わってくるのだろう。
作品名:短編集107(過去作品) 作家名:森本晃次