短編集107(過去作品)
それに気付いたのも彼女を見ているからで、二面性というのは、隠そうとすれば却って目立つものかも知れない。自分にも存在している二面性なので、彼女が自分に対してだけ両方を見せてくれるのは嬉しかった。だから、達彦も自分の中の二面性を彼女の前だけでは隠そうとはしなかった。
「あなたの解放的な性格が好きだわ」
と言ってくれたが、きっと二面性についてのことだという確信が、達彦に芽生えてきていた。
しかし、達彦はあまり器用なタイプではない。性格的にも単純なところがある。確かに二面性はあるが、それぞれの面の性格は単純である。
自分の性格を一人にだけオープンにするなど、できるわけはなかったのだ。
誰に対しても性格を変えることはできない。二面性はまわりの人の知るところとなった。
それでも付き合ってくれる友達はそれほど減ったわけではない。中にはあからさまに遠ざかっていく人もいたが、遠ざかり方は自然に感じた。自分から曝け出した性格に対して相手が答えてくれているのだ。悪いことではない。
残った友達は、まるで大学時代の友達のような感覚になる。いくら大学時代が薄っぺらな時代であったとはいえ、それなりに持っていた信念が変わるわけではない。心構えはシビアなものになったとしても、信念まで変わったわけではないからだ。
「お前は見ていてすぐに分かるよ。性格が単純なんだろうな」
と大学時代にも言われたセリフをそのまま会社の同僚からも言われた。
むしろ嬉しかった。自分の信念も変わっていないという確信めいたものがあるからだ。
変わらない信念を彼女は分かっていたようだ。
「あなたの学生時代が見えてくるようだわ。きっとたくさんのお友達が居られたんでしょうね」
「そうだね、結構友達はいたよ。でも、本当に気心知れた友達は二、三人かな?」
「二、三人もいればいい方よ。私なんて、本当に気心が知れた友達が一人いただけで、他の友達なんていなかったのよ」
普段清楚な雰囲気、そして賑やかな雰囲気を醸し出している彼女だったが、その時だけは何かムキになっていた。言葉に威圧感を感じたのだ。
彼女の言葉に威圧感を感じることはそれまでにもあった。しかしそれは相手に分かってもらいたいと思う一心での威圧感で、説得力に繋がるものだった。しかしその時の彼女は違っていた。どちらかというと我を忘れて話しているという雰囲気が醸し出され、表情も険しいものになっていた。
――本当に友達がいないことが寂しかったのだろう――
と感じたが、どうやらそれだけではないようだ。
「その友達がね……」
一瞬言葉に詰まったが、意を決して話し始めた。
「大学を卒業する寸前になって、自殺したのよ」
なるほど、今までの彼女の中からは考えられないような雰囲気になってもしかるべきだった。
「理由は?」
「それが分からないの。いろいろ調べていたんだけど、ハッキリとした理由はないの。男女関係も問題ないし、家庭環境でも、友達問題でもないの。しかも私と一緒にいる時には自殺するなんてまったく素振りもなかったわ。きっと彼女、誰も知らない自分の世界を持っていたに違いないって、私の中で理解してあげるしかなかったのね」
彼女は俯いた。
「それはきっと知らなくてもいい世界なんだよ」
すぐに顔を上げた彼女は、
「どうして?」
と聞く。
「そんな気がするんだ。他人が土足で踏み込めるところではない。もし踏み込んだとしても結局彼女は自殺することになるんだろうね。それが彼女の運命だったのかも知れないと思うよ」
「運命? そうかも知れないわ」
また俯いて考えていた。
「人は自殺したくなる時があるっていうよね。それは原因なんて関係ないんだ。何かの病気のようだね。発作とでも言えばいいかな?」
大学時代の友達からそんな話を聞かされたことがあった。理由が分からない自殺に対しての考え方のようだ。
自殺を考えるのは弱い人間のすることだというのは、世間一般の考え方で当事者にそんな理屈は通用しない。
ビルの屋上に立って、下を眺めたことがあった。
――あそこに落ちると痛いだろうな――
これが感想だったが、上から見ていると、遠近感が麻痺してきて、吸い込まれそうになり、ハッとして竦んでしまった足の震えを感じながら、
――どうして俺はこんなところにいるんだ――
と我に返ってしまう。何とか飛び降りることもなく、事なきを得たが、案外自殺志願者も、死ぬ寸前に、多少なりとも後悔を感じたに違いない。
――彼らは死ぬことなどなかったんだ――
そう考えると、弱い人間などという言葉は、死んでいった人に対して失礼に思える。やはり今生きている人間に、
「死んではいけない」
というメッセージを残すための礎になったのだろう。
ある日彼女が達彦の前から忽然と消えた。
彼女の連絡先を聞いていたので連絡をしてみるが、連絡先は電話が通じなくなっている。会社も知っていたので、訪ねてみると、急に来なくなったということで、完全に消えてしまった。
――そんなことってあるんだろうか――
借金取りに追われて夜逃げをするというのなら分からなくもないが、彼女の場合、そんな素振りはなかった。
――どうにも自殺の話が気になるな――
自殺の話をしたのは、彼女の消息が分からなくなる一週間ほど前のことだった。
それにしても、人が一人忽然と消えたというのに、世の中はまったく変わりなく動いている。そんな世の中が非情に見えてくる達彦であったが、それよりも時間が経つに連れて達彦の中で、彼女とのことが次第に幻だったように思えてくることの方が、ずっと気になってきた。
――本当にこの夜に存在した人なんだろうか――
とまで感じるほどで、付き合っている時はあれほど身近に感じ、吐息や身体の温もりまで覚えていると思っていた彼女の記憶が急になくなってしまうなど考えられることではなかった。
最初は、必死になって探そうと思っていたはずなのに、気がつけば気持ちの中からも消えかかっている。消えてしまうわけはないと思っているので、きっと頭の奥深くに封印してしまおうという無意識な気持ちが働いているに違いない。
人がこの世から消えてしまうのは、死んでしまった証拠だと今までは考えていたが、彼女はどこかでかならず生きているとしか思えなかった。根拠があるわけではないが、ただの勘である。願望とでもいうべきだろうか。願望を持っていれば、きっとどこかでまた出会えるような気がしていた。
――だが、出会ったとしても、その時どうすればいいんだ――
再会するところまでは想像できるのだが、相手の顔を見て、自分がどんな顔をしているのか、そして何を言えばいいのか分からない。
もし再会するとすれば、無表情の彼女に違いないと思うからだ。もし表情が少しでもあれば、一言を発するまでに時間がかかるかも知れないが、発する言葉は考えれば想像がつきそうだ。だが、そんな気持ちも彼女の存在が頭の中から消えてしまえば、すべてが頭の奥に封印されてしまっていた。
それから三年くらい経っただろうか。ふと立ち寄った喫茶店で彼女に似ている女性を見つけた。一瞬固まってしまったのだが、それは、
――誰かに似ているが誰だったかな――
作品名:短編集107(過去作品) 作家名:森本晃次