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短編集107(過去作品)

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 その時の聡子は間違いなくそのように感じていた。記憶が戻ってくるきっかけになったのが、自分の中に本能というものを感じたからである。
 戻りつつある記憶の中に芽生えた本能は強かなものであった。実際に記憶のある時の本能というのは、無意識であって、意識していたとしても、発展性のない意識である。
 それは自分の中の記憶が本能をコントロールしていたからであろう。
 記憶を失っていて、失った瞬間から新たな記憶を埋め込もうとしているのだから、意識も発展性のあるものでないといけない。発展性がなければ、せっかく意識したことも途中で頓挫してしまう可能性があるからだ。失った記憶を取り戻すことも大切であるが、記憶を失った聡子にとって大切なのは、発展性のある意識である。
 それも、本能というものをしっかり意識しないとできないことだった。
――本能があって、そこから発展する意識がある。さらにそこから発展性を見出すとなると本能は絶対に無視できないものなのだわ――
 と考えるようになっていた。
 まっすぐに歩いていたが、途中で曲がらなければならない場所だけはしっかりと分かっている。ただ、そこまでに掛かった時間が考えていたよりも長かったのか短かったのかその時に意識しているつもりだったが、感覚が麻痺しているのか、それとも記憶をその部分だけ本当に失ってしまったのか分からない。
――長かったように思う――
 必ず、最初は長かったように感じるが、すぐに否定する自分がいる。すると、長い短いで、葛藤してしまっていて、結論は永久に出るはずがないことに気付く。
 最初の角を曲がると目の前に公園が見えてくる。
 角を曲がった瞬間、足元の影を見つめていたが、影も歪に回転しながらついてくる。しかし、曲がりきってしまうと、今度は聡子が足元から視線を上に上げた。正面を見るのではなく、空を見上げたのだ。
 空には月が浮かんでいた。満月に近かったが、綺麗な満月ではないことはすぐに分かった。しばし見ている方が満月に近く見えてきて、
――最初の感覚の方が正確なのかも知れない――
 と感じたほどだ。
 月を見ながら歩いていたが、最初から胸騒ぎがあった。
「あっ」
 と叫んだ時、目の前に白い閃光が光った。光ったと感じた。その瞬間から聡子の記憶は消えていた。
 聡子はそのことを知っている。だが、それを自覚できるのは夢の中だけである。起きるにしたがって忘れてきて、気がつけば現実の世界へと誘われている。
「今日も怖い夢を見たの」
 病院のベッドで、看護婦さんに話した。
「あまり気にしていてはいけないのよ。記憶喪失だということを意識しすぎると、却って記憶の戻りが遅くなるかも知れないわ」
「記憶喪失?」
 看護婦の言葉に一瞬自問自答してしまった。
――そうだ、私は記憶喪失になっていたんだわ――
 夢の中では鮮明に記憶していることを分かっている。しかしそれはあくまでも夢の中でのこと、起きてしまえば記憶喪失のままなのだ。
「私は交通事故で、この病院に?」
「ええ、そうよ。かすり傷だったことが幸いだったのよ。だから、あまり気にせずにゆっくり治せばいいの。身体の方は順調に治ってきていますからね」
 表を見ると、朝日が昇っている。風も強いようで、そろそろ冬が近づいていることを示していた。大きな安心感を感じる。きっと表が明るいからに違いない。
 聡子の記憶はそれからしばらくすると、次第に治ってきた。ある日突然治るように思っていたので、両親は少し不安だったが、却って徐々に分かってくる方が自然に感じた両親は、少しずつ平穏な生活を取り戻していった。
 完全に聡子の記憶が戻るまでに事故から半年くらい掛かったであろうか。この半年というのは、本院よりもまわりの方が長く感じられたようで、両親からすれば一年以上に感じられたに違いない。
 しかし、聡子が完全に記憶を取り戻すと、その間の記憶は消えたわけではない、記憶を失っていた時間だけが、はるか昔に経験した事実として、自分の中の時系列に狂いを生じさせるものになってしまった。それだけに、飛んでしまった記憶は身体の成長に追いついて来れないでいた。
 それが、聡子の中で少し違和感として残ってしまったようだ。
――身体の成長に記憶がついて来れない――
 という自覚が聡子の中にあった。しかも夜になると怖さが残ってしまった。言い知れぬ不安感に襲われるのだった。
 聡子にとって過去のことになってしまった半年間に、聡子の家族は父親の転勤というイベントがあり、住んでいたところを引っ越していた。
「聡子の記憶が戻らないのに、引越しなんてして大丈夫なのかしら?」
「私の仕事の関係とはいえ、それは仕方のないことじゃないか。却って環境が変わる方が、新たな自分を発見できていいかも知れないぞ」
 少し無責任な発言をする父親だったが、母親としては、それも一理あるのではないかと思い、無下に反対はしなかった。
 転勤といっても、それほど遠くではない。病院には少し遠くなるが、電車で通えば通えないこともない。
 医者に相談した時も、
「お父さんの転勤では仕方がありませんね。ここに月に二回ほど通ってくださればそれで構いません。ある意味環境が変わるのもいいかも知れないですね。何しろ、これは病気というわけではないので、これがいいという絶対的な治療法はないのですから」
 という話だった。母親もそれを聞いて少し複雑な気分に陥っていたが、承服するしかなかった。
――絶対的な治療法がないだけに難しいんだわ。でもそれだけ自由にできるということなので、却ってあの娘にはいいのかも知れないわ――
 その頃の母親は、
――記憶がよみがえらないのであればそれでも仕方がない――
 と思うようになっていた。これから新しい記憶を作り上げていけばそれで問題ないように思えたからで、まだ若いのが幸いしているのかも知れないと思っていた。
 だが、それが間違いではなかったことに気付いたのは、聡子の記憶が戻ってからだったのは皮肉なことだ。
「私、身体の成長に気持ちがついて来れない気がするの」
「どういうこと?」
「半年間の記憶が飛んでいることで、その間の記憶が身体の成長を遅らせたかも知れないと思ったんだけど、そんなことはないみたい。記憶を失っていた半年間、私は何を考えていたのかしらね」
 母親としてはショックだった。この半年間というのは、記憶を取り戻すことだけに一生懸命になっていて、夜になれば怖がっていた聡子を思い出す。
「あなたは何も心配することはないのよ」
 と母親が話せば、まるで小さな子供のように、
「うん」
 と安心しきって母親の顔を覗き込んでいた。その表情には安心感が漲っていて、その顔を見るのが一番嬉しかったものだ。記憶を失っている時の聡子が今までで一番いとおしいと思えたからだ。
 もちろん、小さかった頃に手が掛かった頃が一番可愛かった。手が掛かったが、何よりも一番素直に聞いてくれたからだ。無邪気だったのだ。
作品名:短編集107(過去作品) 作家名:森本晃次