心理の共鳴
「ありがとう。そう言ってくれると助かるよ。ただ、これからの話は彼がいないと成立しないということもあるので、そのつもりで話を聞いていただきたい」
と教授がいうので、
「はい、分かりました」
と門倉はそう言って、座っている福間氏を見ると、まるで借りてきたネコのように巨樹の前に鎮座していた。
以前事情聴取をした時とはまったく雰囲気に少し戸惑ったが、その様子は、
――いかにも福間氏らしいな――
と感じさせるものだった。
神経質な性格というのは分かっていたので、ネコのように背筋を丸めていると、本当に身体全体が小さくなってしまったのではないかと思うほどであった。
「こちらへいらしてください。こっちにあなたが座る椅子を用意していますので」
と言って、福間と正対する位置に椅子が用意してあるようだ。
ちょうどこちらから椅子が見えるわけではなく、その場所は窓のそばであり、ちょうど三人が正三角形を形成しているかのように感じられた。
「まずは私から話をさせてもらおうかな?」
と教授は、門倉が座るか否かの瞬間から口火を切って話し始めた。
「ええ、どうぞ」
と言って、椅子に座ると、いかにも委縮している福間を目の前にした。
考えてみれば、右前には大学で尊敬している教授と、目の前には、国家権力の象徴とも言える警察がいるのだから、それは何もなかったとしても、緊張してしかるべきだろう。さすがに当事者ということもあって、彼は額から汗が滲んでいるようで、呼吸困難に今にも陥りそうになっている。まさに、あの時の再現とでもいわんばかりであった。
「君に来てもらったのは、今回の事件の真相をお話しようと思ってな。ただ、前もって言っておきたいのだが、これは真相究明をするという意味で、本当の真実なのかどうか分からない。真実がどこにあるのかも分からないまま、私は真相だけを究明しようかと思っているんだが、そこはご容赦願いたい」
と教授が言った。
それを聞いて、ビクッとしたのは福間だった。ただ、教授の話が進むにつれて、その表情は何かを悟ったようにも見え、意を決しているかのようにも感じられた。
「まずは、あの時、毒ガスや匂い系のものでもないのに、皆が気持ち悪くなったというのは、その原因は音にある。音と言っても、普通であれば、別に誰も気分が悪くなるというものではない。一種の異音というべきか、超高周波の耳につきにくい音だったんだ。 だから皆、音に気付く前に気分が悪くなり、何が起こっているのか、自分でも分からない。まわりに助けを求めようにも皆苦しんでいる。ひょっとするとやはり毒を飲まされたのかとも思ったが、皆が一緒に飲んだり食べたりしたものはない。考えられるのは、空気中にあるものしかないという結論になるんだよな」
「ええ、そうでしょうね」
「でも、皆あの苦しい瞬間にそこまでどうして思えたのかというと、たぶん、後で思い返してそう感じたというのもあるんだろうが、あの瞬間、ものすごいスピードで頭が回ったとも考えられる。そこでわしは、そういう研究がどこかで行われていないのかをいろいろ調べてみたんじゃ。そこで秘密裏に研究されているものの中に、『モスキートーン』という『モスキート音』と聞き間違えた言葉を目にした。調べてみると、それは人間の感覚を一時期マヒさせる効果があり、その間に洗脳できる何かを研究していたようなのだが、その副産物として、このような人を少しの間苦しめることができるが、そこに後遺症や、副作用がないという証明がされている製品ができたということなんだ。それを極秘に販売し、実際の研究費用の足しにしようというのが、ネットの中にあった。この犯人はこの『モスキートーン』の副産物を手に入れて、これに使った。そもそもモスキートーンに気が付いたのも私の聞き違いの話からだったというから、実に皮肉なことだ。そしてこれを考えたのが、ここにいる福間君なんだよ」
と教授が言いきると、さすがに頭を垂れてまっすぐに前を見ることが福間にはできなくなっていた。
「犯人が誰かということ、そして、この音の正体がモスキート音であるということは私もそう想像はしていました。といっても私の推理というか、信頼すべき私立探偵に私の知り合いがいて、話をしているうちに、そうではないかと教えてくれました。その人はまず犯人と特定するというよりも、音の正体を見抜くことで、犯人が誰なのかということを見抜いたようです。ただ、これは私もなぜだか分からないんですが、その探偵がいうには。この事件に、もし犯人がいれば、などという謂い方をしていたことが特徴だったんです。事実、人が苦しみ出す。そして最後には教授が泡を噴いて倒れ、病院に担ぎ込まれるという、一歩間違えればテロではないかと思わせるような事件です。実際に被害は大したことはなかったので、それほど大きな事件にはなりませんでしたが、捨ててはおけない事件です。それなのに、犯人がもしいたらなどというその探偵が何を考えているか分かりませんでした」
と門倉がいうと、教授は少し黙って考えていた。
「その探偵さんは本当にするどい感性をお持ちだ。実際に現場を見たわけでもなく、人から話を聞いただけでよくそこまで思いついたものですね。ただ、事件そのものに関していえば。この苦しみ出した正体がモスキート音だということが分かれば、自然と分かってくるものなんでしょうね」
と教授が言った。
「ええ、モスキート音というのを恥ずかしながら私は知りませんでしたので、偉そうなことは言えませんが、この音はある特殊な高周波なので、特定の人には聞こえないという特徴がある。つまり、ある一定の年齢を超えると、そこから先は聞こえないという漢字ですね。もちろん、個人差はありますが」
「ええ、私も実は知らなかったんですよ。でも、聞き違いをしたおかげで、印象深いものになり、私なりに前少し調べてみたりしたんですよね。そして学生には私が聞き違えてことを話もしました。だから、ここにいる福間君も一緒に聴いていたんです。そこで、このような計画を立てたんですが、それは彼のような小心者ならではの計画でした。皆が少しは苦しむかも知れないけど、すぐに効果は薄れる。そして、その時に私一人がその音に気付かずに苦しんでいないのを見ると、皆が犯人を私ではないかと思う。そして、その時に立場的に危うくなった梅崎綾乃君を苦しめることもできるとね。彼は私と綾乃君が不倫をしているのではないかと疑っていたんです。その腹いせにこんな計画を立てたというのですが、計画自体は幼稚で陳腐だと思います。もし、これで誰かに何かあったらということを考えなかったんでしょうね。私がまさか泡を噴いて倒れるなど思ってもいなかったでしょうから。何しろ犯人を私にしたかったわけですからね」
と教授は一気にまくし立てた。
だが、興奮しての話であったが、それは犯人と思しき福間に対しての恨みではない。どちらかというと、上から目線で、福間に対して哀れみの表情を表しているかのように見えるのだった。
福間はやはり一言も言葉を発することはできないでいた。完全に針の筵に座らされている感じである。