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心理の共鳴

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 として最初から考えていると、勉強するということに、自分の中で伸びしろを感じるのだった。
 歴史も同じで、まわりが知っているのを見ると、それだけで、
「物知りだ」
 と素直に感じられることが、歴史を勉強する醍醐味に感じられた。
 もちろん、意義は別にあるのだろうが、醍醐味と意義が違っていることで、その幅は広がるというものである。それを思うと、歴史の勉強は他の勉強にはない大きな魅力があると思わせるのだった。
 このサークルは、ゼミのメンバーでほとんど構成されている関係で、顧問のような形で教授も参加している。運営は生徒が行っているので、どちらかというと、
「監修」
 という感じであろうか。
 アドバイザーのような感覚だといえばいいのだろうが、教授が他の学生と違っているのは、
「目の付け所が違う」
 というところであろうか。
 普通の感覚とは違っていることで、感性の違いを感じるのだが、実際には目の付け所が違うというだけで、実際には、
「見えているものが違っているわけではない」
 と言えるのではないだろうか。
「これが教授と一般の学生の違いないなんだ」
 と感じたが、果たしてどれだけの経験と時間が必要なのか、誰にも分からなかった。
 当の本人である教授にも分かっていないだろう。
 ただ、教授も自分が学生の時、同じことを考えたのであり、今このことを感じている学生がいるとすれば、その学生は教授になれる素質を有していると言えるのではないだろうか。
 教授は名前を、山下修一郎という。年齢は四十歳代後半ということだが、学生から見れば、父親とほぼ変わらない年齢なので、年齢的にも雲の上の人に思えて、しかも相手は教授、近づきがたいと思っている人もいるだろう。
 しかし、このサークルに所属している人の中に、近づきがたいと思っている人はほとんどいない。それはきっと教授のアドバイスの目の付け所の違いを感じているからだろう。アドバイスを与えてくれるのは、きっと頭で考えてのことではなく、感性から、それぞれの人によって意見が違っていることが、教授の教授たるゆえんなのではないだろうか。
 教授がアドバイザーとして君臨してくれていることで、ラジオ配信にも幅が広がるのであって、教授は何も歴史だけしかアドバイスをくれないわけではない。
「私は歴史しか分からないが」
 という前置きをしておきながら、実際には歴史以外のことでも、どうしてそんなに簡単に思いつくのだろうと感じることを、どんどんアドバイスしてくれる。
 ただ、それも基本は歴史の知識があるからでって、
「歴史を知るということは、他の人から見れば奇抜なアイデアと感じることを思いつく者なのかも知れない」
 と感じる。
「歴史というのは、一つの大きな物語であり、ただ、その中に無数の物語が存在する。物語という意味で、文学に近いともいえるが、一歩間違えれば無数の可能性が広がっている歴史が変わってしまうという意味でのパラレルワールドという考え方から、科学にも感じる。また四則演算子が影響してくる数学にも見える。奥が深いはずだよね」
 と教授が言っていた。
 ゼミの中には教授のウワサを聞いて、いずれ教授のゼミに入ることを目指してこの大学に入学してくる学生もいた。
 梅崎綾乃は、その中の一人であり、そのことは最初から公表していた。教授の方も、
「私のゼミに入りたくて入学してくれるのを聞くと、実に光栄に感じるよ」
 と言っていた。
「いいえ、そんな。教授のゼミに入れてよかったです」
 と、綾乃も素直に喜んでいた。
「高校の頃に思い描いていた私のゼミと、実際では違うかい?」
 と聞かれて、
「あの時の心境はハッキリと思い出すことはできないけど、少なくとも、間違っていなかったということはハッキリということができます」
 これが、綾乃の本心であろう。
 この言葉は教授にも感動を与えた。教授にとっての生徒は、
「こうあってほしい」
 という思いがあるが、その思いをまともに証言してくれたような気がして、、嬉しかった。
「私も大学時代、尊敬する教授がいて、その人のゼミに入りたいと思ったことで、今の自分があると思うので、その時の教授の立場に自分もなれたと思うと嬉しいですよ。あとは、教え子の中から誰か一人でも私の後の教授の椅子を目指してみようと思ってくれる人が出てくれば最高だよね」
 と、教授は言った。
「私が大学時代というと、当時はまだ、平成に入った頃で、時代としては、まだパソコンも普及していないような時代で、ラジオ局も一つの県に少々大きな局が二つか三つというところだったかな? 大学時代にラジオ放送の見学の応募が当たって見に行ったんだけど、その時に見たラジオのスタジオがすごく新鮮に感じたんだよね。だから、いぜれできるなら自分でもこういうラジオ放送ができればった思っていたんだ」
 と言っていた。
 念願かなって、自分の教え子が、ラジオをやりたいと言い出した時、教授は本当に喜んでいた。
 教え子の言っているものは、自分が創造しているものとだいぶ違っているようだったが、それでも、ラジオのスタジオを借りて、配信という形で発信しようというのだから、そこまで違和感を覚えるほどのものではない。ただ、自分が思っているよりも年を重ねてしまったということだろう。
 教授は歴史の研究においては、ある程度第一人者として学会からも敬意を表されているが、教授本人という一人の人間としては、どこか時代錯誤なところがあった。世間日版的に、教授の時間はどこかで止まっているのか、意識していないというべきなのか、今の世の中の変化のスピードは、それを意識していないと、取り残されてしまう。
 実際に教授もそのスピードに取り残されたしまったのか、年齢の割には最新の情報には疎かったりしている。
 他の人のように新しいものに飛びつくことはなく、頑なに昔から使っているものに個室するとことがあった。
 古くは、学生時代にはキャッシュカードを持っていなかった時代があったというからビックリだ。毎回、インカと通帳を持って、窓口から手書きの申請書を書いて引き出していた。何ともアナログな人である。通帳でも、ATMの機械が使えるということすら知っていたが、どうしてもどんなに時間が掛かっても窓口で受け取っていた。その時期は一年ほどしかなかったが、何度も窓口の人から、
「通帳であっても、機械が使えますよ」
 と言われていたのに、それでも一年近く窓口に通ったのは、教授のこだわりがあったからなのかも知れない。
 だが、そのこだわりがどこから来るのか分からない。
 大学の研究室に研究生として残るようになってからも、大学への原稿は手書きだった。正式書類はパソコンでの入力が必須というもの以外は極力手書きを使っていた。
 論文であったり、研究報告書などはすべて手書き、教授はくせ字だったので、その読解にはかなりの労力が言ったという。
 そんな話を聞き伝えとして聴いていた今の学生たちは、教授が新しいものに飛びつかないのは分かっていたので、いまだに形態もガラケーで、スマホを触ったこともないというではないか。
「ええ、私はスマホはやっていませんから」
作品名:心理の共鳴 作家名:森本晃次