心理の共鳴
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。ご了承願います。
聞き違い
人間の耳が曖昧だということは、誰もが何となくであるが感じていることだろう。普通に生活していれば、一度や二度の利き間違えなどないという人間はほぼいないだろう。中には、
「そんなの日常茶飯事だと」
という人も少なくはない。
それだけ似たような言葉が乱立しているということで、言葉の多さというものに、いまさらながらに思い知らされる。
音楽の歌詞などによく見られることであるが、人によって歌詞を知らない人がふいに聴くとまったく違った言葉でも納得できると思って聴いていることがある。きっと誰にでも一度はその経験はあるだろう。自分にはなくとも知り合いにあったりと、そんな経験をしたとしても、耳が感じる錯覚に対して別に不思議な思いを感じることもなく、当たり前のことのように意識しないだろう、まるで、
「路傍の石」
のようではないか。
路傍の石というと、誰の目にも触れられるところにあるにも関わらず、その光景があまりにも違和感がないため、意識することをしない感覚だと言っていいのではないだろうか。
聞き違いも同じようなものであり、人に悟られると冷やかされてしまう。きっと自分の中で、
「誰だって意識していないはずなのに、自分だけが恥ずかしい思いをするのは理不尽ではないか」
と感じるからなのかも知れないが、恥ずかしい思いをする必然性を感じない。
この心の中のジレンマが、
「聞き違いをしたことを、まわりに悟られたくはない」
という感情を引き起こすのではないだろうか。
特に聞き違いがあると、結構まわりから弄られる。
「自分にはそんなことはない」
という自覚があるからなのか、それとも、そう思いたいという強い気持ちがあるからなのか、自分のことではなく人のことだと思うと、必要以上に弄ってしまうのだ。
普通に弄られる分には、そこまで嫌な感じはしないが、聞き違いのように、誰にでもあるはずのものを、必要以上に弄られることは嫌である。その思いは自分だけではないと思うのも無理もないことであった。
大学生の梅崎綾乃も同じように思っていた。今年二十歳になる綾乃は、大学では文学部に所属し、ゼミは日本史を選択していた。なぜ日本史を選択したのかというと、綾乃が好きになった福間恵三という男子学生が日本史が好きで、二年生になってから付き合い始めた綾乃は、恵三の影響もあってか、日本史が好きになった。
今では彼氏の福間恵三よりも熱心に勉強している。二人は同じゼミに所属し、教授の山下修一郎先生とも歴史の話に花を咲かせることができるくらいになっていた。
綾乃は本を読むのが好きだったので、歴史小説や歴史上の人物の伝記小説などをたくさん読むことで、幅が広がっていった。
事件の本を読むと、そこに出てくる人物のことを深く掘り下げて知りたいと思うし、逆に人物を集中して読むとそこに出てきた歴史上の事件を掘り下げてみようと考えるのも当たり前だ。
つまり歴史の勉強は、
「平面で見るわけではなく、立体で学ぶことができるというのが、大きな魅力なのではないか」
ということに気付いた綾乃は、どんどん歴史が好きになっていき、今では、
「歴史が好きだ」
と、豪語していた福間すら、足元にも及ばないほどになっていた。
とはいっても、恵三が歴史にそれほど詳しくないというわけではなく、彼としても、豪語するだけの知識は十分にあった。それは教授も認めていて、福間と綾乃の二人に対して、敬意を表しているくらいだった。
「歴史というものは学べば学ぶほど奥が深い」
という言葉をあの二人なら口にしても、おこがましいという感じがまったくしないほどである。
歴史サークルは基本的にゼミのメンバーで構成されていた。歴史サークルは、
「来る者は拒まず」
であったが、どうしてもゼミのメンバーしかいないところに、いきなり他なら入ってくるような度胸のある人はいなかった。そのため、歴史サークルは必然的にゼミの人間で固まってしまった。
歴史サークルでは、ラジオの配信もやっていた。歴史を話題にした話を物語にしての配信だった。構成や台本を作るのは、同じサークルの加倉井裕子であり、裕子は歴史の勉強というよりも、ラジオ配信に興味があったので、入部してきたのだった。
そもそもラジオ配信の発想は、教授の言葉からだった。
「昔のラジオは、今のように誰もができるようなことはなかったからな。ネットもそうだけど、本当にいろいろ発信できる時代になったものだ」
という言葉から、
「だったら、ラジオ配信を考えてみませんか?」
と言い出したのが、福間だった。
福間は、結構新しいものに飛びつく癖があり、そんなところに好意を持っていた綾乃が反対するわけもない。ただ、あまりにも突飛な話だったので、実現させるためには、まだまだ障害が多かった。
「まずは、構成や台本が書ける人がいないとな」
という話になり、ラジオのシナリオが書ける人を探すことになった。
だが、探してみると結構すぐに見つかるもので、白羽の矢が立ったのが、加倉井裕子だった。
彼女はゼミは違ったが、
「将来、放送作家になりたい」
という目的を持って大学に入ってきたことを知っていた福間がスカウトしたのだった。
なぜ、福間がそのことを知っていたのかというと、普段からまわりに自分の目標を豪語していることで、普通に福間の耳に入ってきただけのことだった。
「俺たち、歴史サークルなんだけど、ラジオ配信を考えていて、だけど、皆素人で、何から手を付けていいのかという段階なんですが、よかったら協力してくれると助かるんだけどな」
というと、
「ええ、いいわよ。私もやってみたいと思っていたの」
と、二つ返事で快く了解してくれた。
加倉井裕子は歴史に対しての知識はほとんどなかった。中途半端に知らないのであれば、サークルに所属した時点で、
――もう少しいろいろ知りたいな――
という思いから、歴史を勉強する気にもなるのだろうが、彼女のようにまったく歴史に興味のなかった人間が、いきなり興味を持つということはなく、完全にラジオ配信にだけ参加するメンバーという位置づけになっていた。
実際に歴史サークルに所属している人で、最初から歴史に詳しかった人というと半分くらいではないだろうか。
興味はあるのだが、知識としてはあまりなかったのだが、歴史サークルのまわりの人に感化されることで、
「知らないことは恥だ」
という錯覚を与えられるようになった。
それはいい意味でのことで、恥ずかしい思いをしたくないことで勉強するというのは、嫌ではないことだ。
勉強というものを、
「やらされている」
と思うから、自分から受け入れようとしないのだ。
「受け入れるもの」
聞き違い
人間の耳が曖昧だということは、誰もが何となくであるが感じていることだろう。普通に生活していれば、一度や二度の利き間違えなどないという人間はほぼいないだろう。中には、
「そんなの日常茶飯事だと」
という人も少なくはない。
それだけ似たような言葉が乱立しているということで、言葉の多さというものに、いまさらながらに思い知らされる。
音楽の歌詞などによく見られることであるが、人によって歌詞を知らない人がふいに聴くとまったく違った言葉でも納得できると思って聴いていることがある。きっと誰にでも一度はその経験はあるだろう。自分にはなくとも知り合いにあったりと、そんな経験をしたとしても、耳が感じる錯覚に対して別に不思議な思いを感じることもなく、当たり前のことのように意識しないだろう、まるで、
「路傍の石」
のようではないか。
路傍の石というと、誰の目にも触れられるところにあるにも関わらず、その光景があまりにも違和感がないため、意識することをしない感覚だと言っていいのではないだろうか。
聞き違いも同じようなものであり、人に悟られると冷やかされてしまう。きっと自分の中で、
「誰だって意識していないはずなのに、自分だけが恥ずかしい思いをするのは理不尽ではないか」
と感じるからなのかも知れないが、恥ずかしい思いをする必然性を感じない。
この心の中のジレンマが、
「聞き違いをしたことを、まわりに悟られたくはない」
という感情を引き起こすのではないだろうか。
特に聞き違いがあると、結構まわりから弄られる。
「自分にはそんなことはない」
という自覚があるからなのか、それとも、そう思いたいという強い気持ちがあるからなのか、自分のことではなく人のことだと思うと、必要以上に弄ってしまうのだ。
普通に弄られる分には、そこまで嫌な感じはしないが、聞き違いのように、誰にでもあるはずのものを、必要以上に弄られることは嫌である。その思いは自分だけではないと思うのも無理もないことであった。
大学生の梅崎綾乃も同じように思っていた。今年二十歳になる綾乃は、大学では文学部に所属し、ゼミは日本史を選択していた。なぜ日本史を選択したのかというと、綾乃が好きになった福間恵三という男子学生が日本史が好きで、二年生になってから付き合い始めた綾乃は、恵三の影響もあってか、日本史が好きになった。
今では彼氏の福間恵三よりも熱心に勉強している。二人は同じゼミに所属し、教授の山下修一郎先生とも歴史の話に花を咲かせることができるくらいになっていた。
綾乃は本を読むのが好きだったので、歴史小説や歴史上の人物の伝記小説などをたくさん読むことで、幅が広がっていった。
事件の本を読むと、そこに出てくる人物のことを深く掘り下げて知りたいと思うし、逆に人物を集中して読むとそこに出てきた歴史上の事件を掘り下げてみようと考えるのも当たり前だ。
つまり歴史の勉強は、
「平面で見るわけではなく、立体で学ぶことができるというのが、大きな魅力なのではないか」
ということに気付いた綾乃は、どんどん歴史が好きになっていき、今では、
「歴史が好きだ」
と、豪語していた福間すら、足元にも及ばないほどになっていた。
とはいっても、恵三が歴史にそれほど詳しくないというわけではなく、彼としても、豪語するだけの知識は十分にあった。それは教授も認めていて、福間と綾乃の二人に対して、敬意を表しているくらいだった。
「歴史というものは学べば学ぶほど奥が深い」
という言葉をあの二人なら口にしても、おこがましいという感じがまったくしないほどである。
歴史サークルは基本的にゼミのメンバーで構成されていた。歴史サークルは、
「来る者は拒まず」
であったが、どうしてもゼミのメンバーしかいないところに、いきなり他なら入ってくるような度胸のある人はいなかった。そのため、歴史サークルは必然的にゼミの人間で固まってしまった。
歴史サークルでは、ラジオの配信もやっていた。歴史を話題にした話を物語にしての配信だった。構成や台本を作るのは、同じサークルの加倉井裕子であり、裕子は歴史の勉強というよりも、ラジオ配信に興味があったので、入部してきたのだった。
そもそもラジオ配信の発想は、教授の言葉からだった。
「昔のラジオは、今のように誰もができるようなことはなかったからな。ネットもそうだけど、本当にいろいろ発信できる時代になったものだ」
という言葉から、
「だったら、ラジオ配信を考えてみませんか?」
と言い出したのが、福間だった。
福間は、結構新しいものに飛びつく癖があり、そんなところに好意を持っていた綾乃が反対するわけもない。ただ、あまりにも突飛な話だったので、実現させるためには、まだまだ障害が多かった。
「まずは、構成や台本が書ける人がいないとな」
という話になり、ラジオのシナリオが書ける人を探すことになった。
だが、探してみると結構すぐに見つかるもので、白羽の矢が立ったのが、加倉井裕子だった。
彼女はゼミは違ったが、
「将来、放送作家になりたい」
という目的を持って大学に入ってきたことを知っていた福間がスカウトしたのだった。
なぜ、福間がそのことを知っていたのかというと、普段からまわりに自分の目標を豪語していることで、普通に福間の耳に入ってきただけのことだった。
「俺たち、歴史サークルなんだけど、ラジオ配信を考えていて、だけど、皆素人で、何から手を付けていいのかという段階なんですが、よかったら協力してくれると助かるんだけどな」
というと、
「ええ、いいわよ。私もやってみたいと思っていたの」
と、二つ返事で快く了解してくれた。
加倉井裕子は歴史に対しての知識はほとんどなかった。中途半端に知らないのであれば、サークルに所属した時点で、
――もう少しいろいろ知りたいな――
という思いから、歴史を勉強する気にもなるのだろうが、彼女のようにまったく歴史に興味のなかった人間が、いきなり興味を持つということはなく、完全にラジオ配信にだけ参加するメンバーという位置づけになっていた。
実際に歴史サークルに所属している人で、最初から歴史に詳しかった人というと半分くらいではないだろうか。
興味はあるのだが、知識としてはあまりなかったのだが、歴史サークルのまわりの人に感化されることで、
「知らないことは恥だ」
という錯覚を与えられるようになった。
それはいい意味でのことで、恥ずかしい思いをしたくないことで勉強するというのは、嫌ではないことだ。
勉強というものを、
「やらされている」
と思うから、自分から受け入れようとしないのだ。
「受け入れるもの」