心理の共鳴
「編集なんかもされるんですか?」
と聞くと、
「ええ、やりますよ。実際に機械を使うのは他の人の方がうまいのかも知れませんが、指示するのは私の役目ですから、出版社でいえば、編集長のような感じなんでしょうかね」
と言った。
「加倉井さんは、編集者とかご存じなんですか?」
と聞くと、
「私は二年生の時、編集者でアルバイトをしていたことがあったんです。その時に覚えたノウハウで今の構成や台本を書く役割をしているようなものですね。元々が好きだったので、まったく抵抗はありませんでしたが、いずれはそういう道に進めればいいなと思いながら、ここでのお手伝いをさせてもらっています」
「ラジオの構成や台本を書く作家というのは、他の作家さんとは少し違っているんでしょうか?」
「そうですね、やはり映像で見せるものでも、自分の目で見るものでもないので、ひょっとすると一番想像力が必要なものではないでしょうか? それだけに想像に必要な情報は必ずリスナーに与えなければいけない。そうしないとルール違反ですからね。そのうえで想像してもらうわけなので、誤解がないということはありえないと思いながら、なるべく誤解のないように組み立てていくのが難しいんです」
「お聞きしている分には確かにそうですね。特にどういうところに気を付けられているんですか?」
「私は、リスナーというものは、誤解をするものだという意識をこちらが持って放送は作らないといけないと思っています。そうでなければこちらが迷ってしまいます。その時々で、勘違いされたらどうしようなどと思ってしまうと、先に進まなくなるんですよ。私は構成や台本を作る時は、一気に作ってしまいます。時間を空けると、考えがまとまらないんですよ」
「それはどういうことですか?」
「考えをまとめようとすると、集中力を高めますよね。つまりはその間、自分の世界を作って、そこに入り込むというのが重要だと思っています。だから、我に返ってしまうと、それまで考えていたことがリセットされるので、短い時間のインターバルでも、またもう一度自分の世界を作り出そうとすると、そこまでに時間が掛かってしまう。しかも、前とまったく同じというのは不可能だと思っているので、どれだけ前のことの想像に近づけるかがカギなんです。年季が入っているかどうかというのは、そのあたりに関わってくるんじゃないですか?」
「なるほど、よく分かります。それだけ自分の言葉にできるというのも、きっと加倉井さんはいつもそういう意識で構成や台本を作られているということなんでしょうね」
「ありがとうございます。なかなか分かってくれる人は少ないので、私も話をしていて疑問に感じることもあったんですが、刑事さんのように分かってくれる人がいると思うと、私もやりがいがまた生まれてくるというものですよ」
という彼女のセリフは本音であろう。
それだけ今までに分かってくれると思える人が少なかったのか、やはり同じラジオに携わっている人が相手でも、まったく違った感性を持っていると、同じものを目指しているだけに見る方向が違っているのかも知れない。
それはそうだろう。同じ場所を見つめるのに、別の場所に立っているのだから、方向が違っているのは当たり前、平行線であれば、決して交わるということがないのだから、当然といえば当然のことである。
「ラジオの台本で難しいのはどういうところですか?」
と門倉刑事が聞くと、
「私はプロではないので、プロの人とは意見が違うかも知れませんが」
と言って前置きを入れてから。
「まずは、いろいろな制約があると思うんですよ。何と言っても視野に関係のあることではないんですからね。一つは時間との闘いというものですよ。例えば野球中継などで、ラジオ放送の時には結構いろいろな条件があるんです。時間に関してですね。何秒か置きにということで、点数を告知する。あるいは、カウントの告知、そして、選手の名前などですね。つまり、途中から聞いた人が少しでもすぐに分かる必要があるということです。テレビなどでは見れば分かるようになっていますので、チャンネルを合わせたらすぐに、会うとカウントやイニング、ピッチャーバッターの情報は出ますよね。つまりすぐに状況が把握できるわけです。しかし、ラジオではアナウンサーが口にしないと分かりません。最初に説明しても、分かっているのは最初から聞いた人ばかりです。だから途中から聞いた人が分からないと言って切ってしまわないように、情報をこまめに説明することは必須なんです。ある程度決まった時間内に言わないと、いわゆる放送事故とみなされてしまうので、ラジオ放送でのスポーツ中継などは、かなりの神経を遣うんじゃないでしょうか?」
「なるほど、それが制約というものなんですね。よく分かりました。今はなかなかラジオを聴く人というのも珍しくなっているので、逆にラジオを真剣に聞いている人も多いんでしょうね。そう思うと、気の抜けないお仕事なんだろうと思います。私などにはできないでしょうね」
と門倉刑事がいうと、
「研究熱心であれば、大丈夫だと思いますよ。刑事さんは真面目そうに見えるので、そういう人がこの仕事には向いているような気がします」
「加倉井さんもそうなんですか?」
「ええ、私はそうだと思います。そう思っているからできるのであって、どんなことでも自分はしていることをできないなんて思ってしていれば、苦痛でしかないですよね。私は少なくとも苦痛と感じたことはありません。楽しんでやっているんだと自分で信じています」
と裕子は言った。
「ところで加倉井さんはこの事件をどのように考えますか?」
と門倉刑事の質問に、
「そうですね、もし、誰かが暗躍したのだとすれば、かなり科学の知識のある人ではないでしょうかね」
「というと?」
「自分も途中で気持ち悪くなってきたんですが、その時、少しだけですけど、硫黄のような臭いがしたんです。最初はガス化何かではないかと思ったんですが、それ以降、鼻や喉に痛みはありませんでした。ただ目だけはハッキリ見えなかったので、ガスではないと思いましたが、何か科学的なものがこの状況を作り出したのではないかと思いました。もちろん目には見えないものなんでしょうが、それはガスや毒素のような物質ではないんじゃないかと思ってもみたんですが、そのあたりは微妙な気がしました」
「というと?」
「物質としてハッキリ分かるものであれば、警察が捜査すれば出てくるものでしょう? それが発見されていないということだから、こうやってその時の事情を再度皆に確認されているんですよね。ハッキリとした物質が分かっているのであれば、それ用の質問がありそうなものですが、門倉刑事の質問は、その核心部分に一向に触れようとしない。だから、警察でもその原因を分かりかねているので、科学捜査だけではなく、実際に事情を聴くことで、それを総合して何が起こったのかを分析しようとしていると感じたんです。違いますでしょうか?」
と言われて、門倉刑事はビックリした。
「いや、これは恐れ入りました。まさしくその通りです。我々は何も得ていないので、まずは情報収集というところからだったんですが、よくお分かりですね」