短編集106(過去作品)
彼は言葉を最後まで続けない。却って気になってしまう。
「ええ」
順子もそれ以上答えようがなかった。
しかし、順子がその時から昭信に気持ちが移りかかっているのは事実だった。それを辰則は知らない。
昭信は辰則と違って紳士的ではなかった。本来であれば、紳士的ではない男性を好きになることはないだろうと思い始めていたので、昭信に心変わりするなど考えられないはずであるが、気になってしまってはどうしようもない。
順子は、ある日、辰則を呼び出した。
場所は喫茶「エーデルワイス」、
辰則を目の前にして話している順子、順子を目の前にして話している辰則、そんな光景をお互いに思い浮かべていたはずである。
しかし実際には会話にはなっていなかった。順子の中で何かが弾け、辰則はそれをじっくりと見つめている。
辰則の中には、今までに知り合った女性のイメージが湧いてくるが、どの女性とも違う雰囲気を持っている。
だが、しいて言えば辰則が知っているはずの女性の中に、似ている女性がいなくはない。
それが自分の母親であることに気付いたのは、順子が何かを言おうとした時だった。
「お父さんに言うわよ」
順子の口がそう動いたように思えて、かなしばりに遭ってしまい、しばし動けなくなってしまった辰則だったのだ……。
( 完 )
作品名:短編集106(過去作品) 作家名:森本晃次