短編集106(過去作品)
そんなことがあって入学した大学だったが、入学してしまえば、それまでの経緯などまったく関係なかった。
大学というところ、キャンパス内というのは想像していたよりもはるかに気持ちに余裕を持たせてくれるところだった。
何よりもいろいろなところからいろいろな考え方を持った連中が入学してくる。高校時代までは、誰が何を考えているか分からなかったが、大学に入学すると、皆自分の考えを自ら話し始める人が多いことにビックリさせられた。
それは辰則にしても同じだった。
周りに遠慮することもなく、自分から話し始めることで、友達がどんどん増えてくる。
高校時代までは皆同じ制服を着ていて、個性がないように思えた。どうしても同じ恰好をしていると、閉鎖的な考え方になるのではないだろうか。しかも友達同士で群がることはあっても、その中での会話をあまり見たことがない。会話をしている連中を、
――劣等性ではないか――
とさえ思っていた自分が恥ずかしくなるほどだった。しかし、それは辰則だけのことではない、きっと誰もが会話をしている連中を見て、
「彼らは劣等性なんだ」
と噂していたのではないだろうか。
辰則が通っていた高校は男子校だった。クラスに女子がいないこともあって、近くの女子校の制服がいつも眩しかった。
――もし、同じ高校に女子学生がいたらどうだっただろう――
女性を付き合うこともあっただろうか?
いろいろ考えるが、少なくとも違った人生が待っていたに違いない。
そういう意味では、男女共学でなかったことは辰則にとっては不幸中の幸い、ありがたいことだったように思える。
眩しいだけで憧れだった女学生の制服は、適度な距離に見えていた。これ以上近づくと辰則の中の何かが弾けていたのではないかと感じる。弾けたものが女性変思いであれば、それまで感じていた自分の中のモットーである紳士的な態度が、ずっと保たれていたかどうかの自信はない。それだけ成長期で思春期というのは、不透明な要素が多いことを自覚もしていた。
確かに大学にストレートで入学できたことで喜んでくれた両親の心の奥を冷静に見てジレンマに陥った時期があったが、ここまで無難に入学試験の時期を迎えられたのも、異性への気持ちを最小限に食い止め、自分の中で最大のコンディションに持っていくことができたことが一番だろう。そのおかげでモチベーションを最大に高めることができたことで大学入試を突破できた。これは辰則にとってこれからも続いていく人生の中で、一番の財産になったことだけは間違いない。
大学に入学できたことで、勉強はもちろん、それ以外のこともしたいことはいろいろあった。
恋愛ももちろんその一つである。
高校時代と一番変わったのは、言わずと知れた自分を開放できたことである。それは辰則だけに限らずまわりの皆も同じことで、大学という雰囲気のなせる業だった。
ただ一つだけ嫌だったのは、これは大学という場所に限らず他の場所でも同じことなのだが、群れができると、その群れの中でしか行動しない連中が見えてくることだった。それは大学を卒業してからも感じたことなので、辰則にとって、一つの大きな問題となってしまったことは事実である。
しかし、大学時代の辰則は、一つのグループだけには納まらなかった。いろいろなグループに属していて、ある意味、
――浅く広い関係――
を維持していた。
まわりからは、
「軽薄なやつだな」
と思われたかも知れないが、表から冷静に見ていて、一つの団体にしか属していないと、どうしても狭い視野にしかならないことは目に見えていたし、見た目にも自分が許せないようなおかしな気分になることを恐れていたのだ。
しかし、それも大学時代までだった。社会に出てプロジェクトメンバーなどに属すればそんなことは言っていられない。しかし、いくらプロジェクトメンバーと言っても、自分たちだけで仕事が成功するはずはない。他の部署との繋がりも大切である。他のメンバーはそのことが分かっているようにはとても見えないので、大学時代を思い出してみると、他の部署の人たちとのコミュニケーションを保つことは辰則にとって、それほど難しいことではなかった。
大学時代に最初に女性と付き合うようになったのは、いろいろな群れを物色している時だった。
いろいろな群れを物色している時期というのは、辰則には新鮮な時期だった。それまでは意識して閉鎖的な自分を作ってきたことを今さらながらに思い知らされていた頃で、それだけに他の人たちが何を考えているか、分かってくるような気になっていた。
実際には本当に分かっていなかったに違いないが、分かったような気がしてくることで、少なくとも無意識に人に気を遣うことのできる人間になりつつあったという事実は否めないであろう。
「岩佐君って、優等生だったのね」
知り合ってからすぐに聞いたその言葉が印象的だった。名前を里美と言ったが、彼女も高校時代までは女子校で、男性と付き合ったことはなかったという。
「そうでもないよ。でも自分で優等生でありたいなんていう意識があったのは事実だったね」
というと、
「そうなのよ、実は私も同じ。まわりからいつの間にかそんな目で見られていて、気がつけば、無意識に優等生を演じていたわ」
里美も同じように男子生徒を眩しいと感じていたのだろうか。
「彼氏がほしいと思わなかったかい?」
「それは思ったわ。でも、すべては大学に入学してからのことだと思っていたもの」
「短大に行こうとは思わなかったのかい?」
「ええ、思わなかったわ。どうしてなのかしら? しいて言えば、まわりに流されるのが嫌だったからかも知れないわ」
彼女の友達は皆短大に入学したという。きっとそのまま短大に入学していれば、短大でも友達は高校からの延長、面白くないと感じたに違いない。言葉には出さないが、大学で彼女もたくさんの友達を得たいと思っている一人に違いなかった。
「友達はたくさんほしいけど、彼氏は一人よね」
と言って微笑んでいた。その表情が新鮮に思え、紳士的でありたいと思っている辰則もさすがにその時だけは、いとおしさから満面の笑みを浮かべていたに違いない。
――彼女の前で、ずっと紳士的でいられるだろうか――
疑問が残ったが、紳士的でいる必要はないように思えた。
――それが恋人というものではないだろうか――
他の人には見せない本当の自分を見せ合える仲というのが恋人というものだと自覚するようになったのは、それからのことであった。
「あなたって、退屈な人ね」
最初に付き合った女性と別れることになった時に言われた言葉だった。
付き合い始めは、
「あなたには他の人にない何か新鮮なものを感じるの。皆付き合い始めって同じような感覚になるじゃない。でもあなたは違うのよ」
と話してくれたことが、最後の最後まで頭から離れなかった。
確かに車を持っているわけでもないので、ドライブに誘うようなこともできないし、アルコールが強いわけでもないので、飲み屋に行くこともない。大人の付き合いができる方ではないことは自分でも分かっていた。
しかし、それでも最初に言われた、
「新鮮なものを感じるのよ」
作品名:短編集106(過去作品) 作家名:森本晃次