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短編集106(過去作品)

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母親に似た女性



                母親に似た女性


 岩佐辰則が初めて宮内順子と知り合ったのは、昨年の秋だった。
 まだ暑さの残っていた時期、少し汗ばんだ状態で電車に乗っていた。昼下がりの電車の中は乗客もあまりおらず、学生が数名乗っているだけだった。
 時間的には午後三時を少し過ぎた頃だっただろうか、日差しが少し差し込んでくる車内は、クーラーが効いているので、却って寒いくらいだった。
 辰則は営業に出かけている途中だった。いつもは車での営業なのだが、先方に駐車場がないところは、電車を使うというのが会社の方針で、週に何度か電車に乗る。却って辰則はその方が新鮮でよかった。
 クールビズが流行っているとはいえ、真夏でも上にスーツを着て出かけるのが辰則だった。
「俺は痩せているから、見た目にも上を着ている方が様になっていると思ってね」
 営業先の受付の女性に聞かれた時にそう答えている。本当はそれが最大の理由ではなかった。照れ隠しに答えただけで、本当は、
――相手に失礼にもなるし、自分で上を着ている方が引き締まった気構えになるので、上着を着ているんだ――
 というのが理由である。口に出してしまうとせっかくの心構えが萎んでしまいそうに思えるからだった。
 辰則は、言葉に対して人一倍思い入れを持っていた。
 学生時代に一人の女性と付き合っていた時のことが頭をよぎる。元々辰則は女性に対して疎い方だった。異性に興味を持ち始めたのが他の人よりも遅く、中学卒業間近だった。それまで気になる女の子がいても、それが恋心だと思うことができなかった。
――何となく気になるんだけど、これってどういう気分なんだろう――
 という疑問を抱いていた。テレビドラマの学園モノを見ていて、切ない恋心をハッキリと感じることができ、ドラマの登場人物が焦れったく感じられるくらいなのに、自分のこととなると、まったく分からない。青春時代というものが頭で考えているよりもボヤけたもので、切ないという言葉が似合っていることを分かっているつもりになっているのは、すべてテレビドラマで作られた世界から感じたことだった。
――俺には所詮、あんな理想的な青春時代を送るなど、度台無理なことなんだ――
 と、最初から諦めていたように思える。
 それだけに、異性に対しての感情が芽生えてきた時は嬉しかった。それまであまり感じたことのない切なさを肌で感じられるようになったからである。
 しかし、実際に異性に対しての感情が芽生えてきてから、切なさを感じている時間というのは、それほど長いものではなかった。いつの間にか焦りに繋がっていたからだ。
 気がつけば友達はほとんど彼女ができている。以前から皆に彼女がいるのは分かっていたのに、それほど意識がなかった。自分がほしいと思っていないのだから、それも当たり前のことで、
「今日は彼女とデートなんだ」
 と言われても、本当であれば、彼女がいることを羨ましがるべきなのだろうが、その時は友人を取られたような気持ちで、彼女に対して嫌悪間を感じたほどだ。もっとも、彼女がいることを羨ましいと思うことが惨めったらしく、自分が嫌なタイプの人間に見えてしまうのが嫌だったというのも事実である。
 そんな辰則が女性に興味を持ち始めると、今度は自分が他の人に遅れをとってしまっていることを痛感させられる。まわりの女性を見ても、男性を見ても、カップルだらけに見えてしまうのだ。
 実際に気になる女性には必ず彼氏がいる。友達も彼女がいて、辰則の入り込む隙はどこにもなかった。
――ここまで寂しい思いをするなら、このまま女性に興味を持たないまま青春時代を終わればよかったのに――
 と、後悔した時期もあった。それはすべて自分の中にある焦りが呼び起こしていることであり、冷静になれば少しは違うのではないかと思っていた。辰則は性格的にまわりが見えなくなると、猪突猛進で、勝手に妄想してしまう悪いくせがあった。もっとも、それを悪いくせだと思っていないところが悪いくせでもあり、何か分からない感情に、モヤモヤしたものが宿っている時期が続いていた。
――何で、こんな気持ちになってしまったんだ――
 余計なことを考えなければ、それで済むことだったはずだ。異性に興味を持つまでの辰則は、余計なことを考えないタイプの人間だった。だからこそ、悩むことはなかったし、青春ドラマを見ても、主人公が焦れったいと感じていたに違いない。冷静になれさえすれば、世の中を普通に渡っていけるタイプだということを、無意識だが、子供の頃から分かっていたように思えてならない。
――いつでも紳士的でありたい――
 これを最初に感じたのは、異性に興味を感じ始め、自分に焦りというものがあることを知ってしまってからだった。
 学生時代に始めて女性と知り合ったのは、すでに大学生になってからのことであった。高校時代までは女性と付き合いたいという思いを抱きつつも、進学という目の前の壁を乗り越えなければならなかった。
 自分でもどのように乗り越えられたのか分からない。親の目を気にしながら、自分は優等生だという意識をしっかりと持ちながらだったことは分かっている。紳士的でありたいという思いが進学のために優等生になりきっていたのかも知れない。
 それでも第一希望の大学に入学することはできなかった。何とか第二志望の大学に入学したのだが、
「浪人してでも希望の大学を目指せばよかったじゃないか」
 と言われるが、高校の担任も、それから親にしても、
「浪人までしなくてもいいんじゃないか。合格した大学だって、立派な一流大学なんだぞ」
 と言ってくれたことで、浪人せずに合格した大学に進学することを決めたのだ。ここで逆らっても自分のためになるわけではなく、優等生としてやるべき勉強は全部やったと思っていただけに、逆らうことはできなかった。
 それに浪人ということに抵抗もあった。予備校に行ってもお金を使うのが少なくとも一年長くなるのだ。さらに一年浪人したからと言って、来年合格できるとは限らない。今年合格できた大学さえも同じことだ。
「来年の受験の日に、体調が万全だという保障はどこにもない」
――健康管理は自分自身の責任だと言われるが、そういう意味では今年は何とか頑張った。来年頑張れるかどうかは、まったくの白紙なんだ――
 と、そこまで考えていた。
「やっぱり、合格した大学に行くことにするよ」
「そうか、その方がお前のためだ」
 親は手放しに喜んでいるようだったが、その時すでに辰則は冷静な目で見ていた。
――ああやって悦んでいるけど、内心はホッとしているだけなんじゃないかな? もし浪人してでも行きたい大学を受験するなんて言ったら、きっとまるで裏を返したように猛反対するに違いない――
 そんな光景を見るのが嫌だった。
 辰則の中でジレンマがあった。
 そんな光景を見たくないがためだけに、親の言うとおりにしなければならないことへの苛立ちがないわけではない。しかし、苛立ちと、猛反対の光景とを比べると、紳士的な態度をモットーとしていきたい辰則の選択肢は決まってくるだろう。
作品名:短編集106(過去作品) 作家名:森本晃次