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短編集106(過去作品)

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「佐川の好みはすぐに分かるさ。普通の人が綺麗がと思った人には目が行かないからな」
「そうだよな、ある意味世の中うまく行っていると感じさせてくれるやつだよな」
 褒められているとは言えないだろうが、それでもよかった。自分の好みと他の人がバッティングしないことは、お互いに諍いの種がなくなるということで、確かに世の中うまくできていると感心させられる。
 一番を選ばずに二番以下を選んでしまうのは、自分の中に劣等感があるからだろう。そんなこともずっと分からずにいた佐川は、自分が変わり者かも知れないという自覚だけはあった。
 しかし、それでもまわりにはそれとなく宣伝していた。それだけに佐川の好みは友達の周知となり、誰も佐川をライバル視しなくなっていた。
――これが賢い生き方なのかも知れないな――
 決して本意ではないまでも、人との諍いがないことに自分で満足していた。
 しかし、好きになられた女性はどうだろう?
――今まで自分を好きだと言ってくれた人はあまりいないのに、この人は真剣にそう言ってくれるんだ――
 という気分になるだろう。
 何しろ佐川は自分に酔うタイプである。本意でなくとも自分が選んだことは、すべてが本意だと思い込んでしまって、それを否定したくない気持ちが、自分を表に出させるように仕向けるのだ。説得力があって当然かも知れない。
 いくらか自分に劣等感を抱いている女性でも、面と向って口説かれると、その気になってしまうものだ。よほど誰が見ても容姿に問題のあるわけでもなければ、誰もが可能性を胸に秘めているからである。
 特に最初の人当たりはさりげなさと紳士的な態度を取るので、女性も警戒心を解いてしまう。
――この人なら信頼できる――
 そう思わせるテクニックを持っているのだろう。
 しかし、しばらく付き合ってみると、立場は逆転する。最初は無意識にも優越感に浸っていた佐川だが、いつしか相手を本当に好きになるものだ。情に厚いと言えば聞こえがいいが、当たらずとも遠からじである。
 逆に相手の女性は、強かである。最初こそ信頼していたが、一緒にいればいるほど、どこか見下している様子が敏感に察知できるのであろう。それまでに培ってきた女性としての勘に違いない。
 佐川にとって女性は自分のものだという意識が強い。独占欲というよりも、女性全体を見渡して、自分に似合う女性を探していると言った方が正解かも知れない。だから、一番綺麗な女性を選ぶことはしない。自分に似合っているという観点から選んだ女性を初めて自分のものだという意識を持つ。
 それを重たく感じる女性も少なくないだろう。特に自信過剰な女性にはあっという間に見抜かれてしまうだろうし、そうなれば惨めなのは自分である。一番綺麗な女性を選ばないのは、無意識な防衛本能が働いているからに違いない。
 女性に対してだけではない。他の人と同じ好みは嫌だというのは、自分だけが目立ちたいという意識の表れだと思っている。だが、それだけではなく、防衛本能がそこに存在しているということが分かったのも、離婚の危機に面してからだった。
 結婚するまでの交際期間は長かった。
――この人と結婚するんだろうな――
 という漠然とした気持ちだった。最初こそ、
――この人と結婚するんだ――
 という自覚が強かったのに、次第にテンションが下がっていった。別に彼女を嫌いになったわけではなく、最初からほのぼのした付き合いで、
「一緒になれなければ死んでもいい」
 などという言葉が似合うような仲ではなかった。
――一緒にいるだけで楽しい――
 という気持ちが次第に、
――そばにいないと、違和感がある――
 という気持ちに変わって、
――そばにいることが一番自然なんだ――
 という結論に至ることで結婚を決意したといっても過言ではない。それまでに、佐川は四年を費やした。彼女もよく待ってくれたものだと結婚当初は感心していた。
 結婚してから他の女性が気になることはあったが、浮気など考えたことはなかった。
「結婚は男の墓場だ」
 と言う言葉をよく聞くが、まさしくその通り、佐川も最初の二年間ほどは新婚気分でウキウキした毎日を送っていたが、途中から急激に冷めていった。
 それは妻の側からの態度ににじみ出ていたからだろう。
 元々物静かな女房だったが、さらに口数が減ってくる。しかも、睨まれているようにさえ感じられ、
――俺が一体何をしたというんだ――
 と思ったほどだ。
 浮気さえしなければ他の女性を気になってもそれは仕方がないと思っていたが、気持ちが表に出てしまう性格があだになってしまったか、どうやら、女房には佐川の心変わりのようなものが序実に察知できていたに違いない。それが彼女の顔に出たのだろう。
 だが、結婚してからずっと、
――墓場と言われても、ずっとこの人のために、そして二人が一緒に暮らしていく人生を俺は選んだんだ――
 という自覚を持ち続け、離婚寸前までその気持ちに変わりはなかった。どんなことでも佐川のことを分かっていたはずの女房なのに、なぜその気持ちだけ分かってくれないのか、という理不尽な気持ちがずっと残っていた。
――離婚は結婚の数倍の労力を必要とする――
 と言われるが、まさしくその通り、相手の気持ちが分からなくなって、前が見えなくなることがこれほどきついことだとは思わなかった。
「男の人は、喧嘩になっても、いよいよとなれば、昔の楽しかったことを思い出して、相手を許すことができるものなんでしょうけど、女はそうは行かないの」
 これは最初に同僚に連れられていったスナックだったが、いつの間にか常連になってしまってから、店のママに相談した時の会話だ。
「それはどういうことなんだい?」
 和服の似合うママは、カウンターの中ではいつも和服だった。他の女の子たちがドレス風の服を着ているだけに、目だって見えた。
「女性というのは、結構我慢強いものなの。子供を生むために男性とは元々違う身体や精神があるのよね。肉体的にも精神的にも我慢強いのよ。だから、耐えるの」
 何となく分からなくもない。さらにママは続けた。
「ずっと黙って会話が減っていったのは、そんな我慢を続けている時だったんでしょうね。でもそんな時にあなたが話しかけてあげないものだから、さらに殻に閉じこもってね。しまったのね。それは分かるでしょう?」
「ええ、分かりますよ。でも下手に話しかけて喧嘩になるのも困ると思っていたのが本音だったんです」
「そうなの。でもね、喧嘩になった方がいいこともあるのよ。あなたたち、今まで喧嘩したことあった?」
「そういえばなかったように思うな」
「そうでしょう。喧嘩するほど仲がいいっていうけど、それもまんざらじゃないのよ。喧嘩が収まってくると、そこからお互いを見詰め合うこともできるんですよ」
「そんなものなんですね」
「ええ、きっと奥さんは話してほしかったんでしょうね。睨みつけられているって言ってたでしょう? それも奥さんの無言のアピールだったのかも知れないわね」
作品名:短編集106(過去作品) 作家名:森本晃次