短編集106(過去作品)
しかし、まわりから何と言われようとも、いつも一緒にいたいと思っていた直子だったはずなのに、佐川の方が少し心変わりしてしまったのだ。
ある日彼女が髪を切ってきた。雰囲気が変わってしまうほど、ショートカットにしてきたのである。
イメージが完全に変わってしまってから、佐川はどこか彼女自身が違う人に変わってしまったような錯覚を受けたのだ。
次第に彼女から遠ざかってしまう。避けているわけではないはずなのに、遠くに見えてくる。
彼女はきっとそんな佐川の気持ちの変化を察知したのだろう。自分から佐川に近づこうとしなくなった。
気がつけば一緒にいたと思っていたのが間違いだったことにしばらくして気付いた。
――直子の方からさりげなく近づいてきていたんだ――
と思えてきた。それを気付かせないところが直子の最大の魅力だったに違いない。それは今でも思っていることである。さりげなさの中にこそ美しさがあったのだ。外見だけで判断してしまった自分が情けなく感じる。
しかし、雰囲気が変わって、自分の中で冷めてしまった部分があるのは間違いのないことだ。しかも大人になった今でさえ、その感覚は治っていないように思う。いや、さらに進化しているかも知れない。
子供の頃との絶対的な違いは、今の自分が女性を異性として意識しているということである。佐川の場合は、女性をハッキリと意識するようになったのが少し遅かった。気付いた時には、友達のほとんどには彼女がいて、自分が一人取り残されていることに気付かされてしまった。
直子がそれから佐川に近づいてくることは二度となかった。中学に入ると、彼女は私立の女子校に入り、完全に会うこともなくなった。しかし、佐川にとって女性を異性として意識するまでに気になった女の子がもう一人いたのだ。
小学校五年生の頃になると、佐川は、苛められっ子になっていた。もっと小さい頃から苛められてはいたのだが、露骨な苛めを受けるようになったのは、五年生になった頃からであった。
完全に卑屈になっていて、
――下手に抵抗すれば、もっとひどい目に遭わされる――
という意識も強く、いつも受身の態勢を取っていた。今から思えばそんな態度がいじめっ子から見れば苛立ちに繋がってくるのだろう。
女の子の代度も冷ややかだった。中には自分から率先して苛めに参加する人もいるくらいで、女性に苛められることでさらに自分が惨めに思えたものだ。それも慣れてくれる何とも感じなくなるのだから、慣れというのは本当に恐ろしい。
しかし、中立の立場のくせに、冷ややかな目で見ている連中が一番嫌いだった。視線の中に、惨めなものを見てほくそ笑んでいる気持ちが見え隠れしている。そんな視線を浴びている自分が情けないというより、見ている連中に吐き気がするほど不愉快だった。
そんな中、一人の女の子が、いつも佐川を助けてくれていた。
「寄ってたかって一人を皆で苛めるなんて、卑怯よ」
自分の中にある正義感なのだろうが、佐川にはこれ以上頼もしい人はいなかった。怒りを隠すことなく相手に訴える姿は、自分の中に存在しているはずのない毅然とした心意気を感じたのだ。
その子の名前は、景子さんといった。苗字は覚えていないのは、
「景子さん」
と、「いつも「さん」付けで呼んでいたからだ。頼りがいがあって、いつも彼女の後ろについている情けない男になっていた。
――だからこそ皆面白がって苛めたんだろう――
と感じたのは、かなり後になってからのことだった。苛めが止まったのは、中学三年生になってからで、それまでは苛めが横行していた。
いや、実際にはもっと早かったのかも知れないが、意識の中で卑屈になっている分だけ、苛められっ子としての意識が抜けていなかったのだ。
景子さんは、途中で転校していった。中学に入ってすぐだったように感じたのは、彼女の制服姿を見て、
――実に大人びて見えるな――
と感じたからだ。制服姿を見て、大人っぽさを感じたのは景子さんにだけだった。
だが、今でも頭に残っているのはそんな景子さんの制服姿である。中学一年なのに、さらに色っぽさを残したままの姿が、大人としてしか残っていない。
――きっと今でもまったく変わっていないに違いない――
これは願望であり、確信でもある。これまで数人の女性と知り合ってきた佐川だったが、ひょっとして今までで一番記憶に残っているのが景子さんなのかも知れない。
景子さんが転校していくまでは、完全に景子さんに頼っていた。いなくなられてからは、
――一体どうしたらいいんだろう――
としばし、途方に暮れていた。
しかし、人間には開き直りというものがあるのか、
――苛めにも慣れてきたな――
と思えるようになってきた。それは景子さんが引っ越していってすぐのことだった。
すると、まわりを見る目が少し変わってきた。それまでは卑屈になっていたのに、堂々と教室にいることができるようになったし、何よりも皆の目をまともに見れるようになった。
――まともに目を見るから苛められるんだ――
と思っていたのは、景子さんがいてくれる時だった。
景子さんの後ろにいるという意識が自分を卑屈にさせていたのか。それとも景子さんの背中ばかりを見ていたことが前を見ることを知らず知らずのうちに封印していたのかも知れない。
そういえば、今までに好きになった女性には共通点があるようだ。
「佐川が好きになる女性ってすぐに分かるんだよ」
と大学時代に言われた。
「どうしてだい?」
「なんか、共通点があるんだよな」
そう言って、ズバリ佐川の好みの女性を言い当てる。
悔しいが当たっているのだ。しかし悔しさの中には複雑な思いがあって、言い当てられたという事実だけに悔しさがあり、それ以外は、むしろ爽快だった。
「さすがに分かるんだな」
というと、
「そりゃそうさ」
と自慢げに話していた。そこが何となく無邪気で、否定しなかったことが嬉しく感じられる。
――女性への好みの共通点は、景子さんと直子にあるのかも知れないな――
それぞれにまったく違う個性のあった二人、それがどこかで交錯して、一つの共通点を生んでいる。これも面白く、興味深いことだ。
しかし、それもかなり後になって気づいたことで、どちらがどちらということはない。ただ、それぞれに思いを残したまま別れたという意識だけが鮮明に残っている。
――別に付き合っていたわけではないのに――
そう思っていると、さらに彼女たちへの思いを感じるのだった。
異性に興味がなかっただけに思うことではないだろうか。
きっと、苛められっこではなくなった頃、佐川の中で何かが弾けたに違いない。大人になる時に通る見えない道のようなものが開けたのかも知れない。
佐川が結婚したのは、思っていたよりも平凡な時期であった。三十歳を目の前にした頃であった。自分では、
――結婚は、きっと遅い――
と思っていたが、
――意外とこんなものかも知れないな――
と感じたのも、妥協があったからに他ならない。そのことに気付いたのは離婚の文字がちらつき始めた頃だった。
そういえば、大学時代の友達と話した時、
作品名:短編集106(過去作品) 作家名:森本晃次