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短編集106(過去作品)

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熊本へ



                熊本へ


「何年ぶりになるだろうか。熊本に来るのは」
 思わず口ずさんでいた。熊本駅に降り立ってみると、駅前には以前に来た時にはなかったホテルが何軒かできていて、駅ビルも新しくなっていたが、それ以外は相変わらずであった。
 佐川三郎が今まで来たのは出張ばかりであったので、あまりゆっくり見物することもなかったが、いつも駅前だけは違った感覚で見ていたのだった。
 元々熊本市内は、熊本駅周辺というより、少し北に向ったところの熊本城から見渡せる周辺が賑やかであった。
 熊本を代表する通り筋商店街は、九州でも一番ではないだろうか。都会でも商店街が衰退の一途をたどる場所をいくつも見ている佐川にとって、熊本は活気のある街として記憶に大きく残った場所である。
 夏の間は暑くてたまらないと聞いていた。会社の事務所が通り筋商店街から少し離れたところにあり、通り筋商店街の先にある交通センター近くにいつも宿を取っていたので、移動はタクシーだった。タクシーの運転手も、熊本の暑さには閉口していると話していたのを思い出していた。
 佐川は、学生時代にも一度熊本を訪れている。その時は一人ではなく友達と一緒だった。九州一周旅行の一環として熊本に寄ったのだが、その時の熊本に対する印象は、それほど深いものではなかった。
 九州第三の都市という意識があったが、確かに中心街は賑やかだが、それ以外はあまり目立たない。それが熊本に対する印象だった。観光したと言っても、熊本城と水前寺公園、阿蘇にも天草にも足を伸ばしたわけではない。どうしても、
――旅の途中で立ち寄っただけ――
 という印象が強く残ってしまう。大学生としては特筆すべき土地ではなかった。
 だが、その時に何かの記憶が残ったのだろう。就職して熊本にやってきた時に、懐かしさとともに、
――どこか記憶の中の熊本とは違うな――
 と感じていた。どこがどう違うのか分からないが、学生時代に訪れてから、少なくとも五年は経っていたはずである。
――まるで先月にも来たような錯覚に陥りそうだな――
 前に来た時とそれほど変わっていない光景がそのように思わせるのだろうか。そのわりには、何かを期待してしまっている自分がいることに気付く。
 出張できているはずなのに、期待することなど何もないはずなのに、心にはトキメキを感じ、駅に降り立ってからしばし佇んでいたのである。
――このまま行ってしまうのがもったいない――
 と感じるからで、タクシーで移動するのがほとんどだったのに、一度だけ路面電車に乗ったことがあった。
 急いで事務所に入ることはない。宿でチェックインしてからゆっくり事務所に入ってもよかったのだが、今まではまず駅前の喫茶店でコーヒーを飲んで、落ち着いてからタクシーを拾っていた。路面電車で移動した時は、駅前でコーヒーを飲むことをせずに、まず、通り筋商店街まで、十分ほどの路面電車の旅を楽しんだ。
――思ったよりも遠いんだな――
 タクシーが別に近道をするわけではないが、路面電車からの風景には、すべて見覚えがあった。ちょくちょく出張で訪れる熊本ではあったが、いつも新鮮な気持ちで風景を見ている。
――そういえばいつも雲ひとつないほどの快晴だったっけ――
 熊本の町に来ると、空を見るのが日課になっていた。他の土地へ出張に行っても空を見るが、日課となったのは、熊本出張が原因だった。
 夏の熊本は耐えられないほどの暑さだというイメージが強いからである。
 今までに夏に出張で熊本を訪れたことも何度かあった。しかし、それほど暑いと感じなかったのはなぜだろう。
――先入観が強すぎるからかな――
 往々にしてあることである。あまりにも強い先入観を持ちすぎると、考えているよりもマシだったりする。
――心頭滅却すれば、火もまた涼しい――
 というではないか。だが、それも実際に住んでいないからとも言えなくもない。ずっと生活していると、身体に気候が馴染んでくるまでに感じる辛さが、暑さというイメージを嫌でも身体に植えつけるに違いない。身体に植えつけられると同時に頭にもインプットされ、次回景色を見ただけで、感覚がよみがえってくる。いわゆる「パブロフの犬」状態になってしまうのであろう。
 それにしても火の国熊本と言われるだけに、暑さは他の土地と一味違っていることは分かるのだが、どこがどう違うのか、やはり身体が覚えなければ分かることではないのであろう。
 熊本という土地に興味を持ったのは、就職してからだった。それまでは、福岡、長崎の方がイメージとしては大きく残っていて、熊本は地味なイメージだった。それがなぜ印象に残るようになったのかというと、事務所の女性に気になる人がいたからかも知れない。
 とはいえ、その頃には地元で付き合っている女性がいて、熊本事務所の女の子には憧れはあったが、それ以上の感覚はなかった。
 大学を卒業してすぐに熊本営業所へ先輩とやってきた時にも彼女はいたのだが、何しろ先輩同伴で、まだ仕事にも慣れていない頃だったので、女性を見てはいけないという意識があった。不謹慎だと思っていたのだ。名前は黒田友美さんと言った。
 しかも一泊の出張で印象に残ることもなかったのだが、気になるようになったのは、二回目の出張からだった。
 熊本事務所には同期入社の営業マンがいて、彼とは、研修の頃から気心が知れていた。彼の天真爛漫な性格と、佐川の人当たりのいい性格とがうまくかみ合ったのだろう。彼の名前は坂崎という。
「佐川、せっかくだから、今日は俺のアパートで鍋でもやらないか?」
「いいねえ、ちょうどいい時期だよな」
 季節は晩秋から初冬にかけての時期だったので、朝晩の冷え込みから、そろそろ鍋物が恋しい時期ではあった。残業した時など、駅から真っ暗な道を帰宅していると、住宅地に差し掛かったあたりから、ほのかに鍋物の匂いがしてきて、食欲をそそられたことが何度あったことだろう。佐川はそれを思い出していた。
 その時に、黒田さんが食材を持ってきてくれたのだ。
 会社では気さくに話をする彼女だったが、坂崎のアパートへ食材を持ってきてくれた時は、控えめだった。
「上がれよ。一緒に鍋を食べよう」
 という坂崎の言葉に、
「いいえ、私はここで」
 と玄関先に見え隠れしながら、小声で話しているのが分かった。声がハッキリ聞こえたわけではないが、間違いないだろう。
 その時の彼女の表情が印象的だった。部屋を覗きこもうとしているが、いけないことだと思ってか、すぐに坂崎の影に隠れようとしている。こちらがそれを知っているのが分かっているかのようにも思えるが、ハッキリしたことは分からない。
――変わった女性だな――
 というイメージを持った。
「彼女、俺が赴任してくるまでは、他の先輩と恋愛していたらしいんだ」
「そうなんだ」
「ああ、その人が転勤になってから、会社では元気にやっているんだけど、会社を離れると寂しそうな顔をしているのが目に浮かんできそうなんだ」
「どういうことだい?」
「彼女の過去を知らないからさ。話だけを先入観に持っているから、寂しいんだろうと思って想像するからかも知れないな」
作品名:短編集106(過去作品) 作家名:森本晃次