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短編集106(過去作品)

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 大学生活というワンクッションを置くことで、自分の中にバネを持ちたいと思っていた。一年浪人したのも幸いだったかも知れない。いきなりの大学生活よりも、一年間の浪人生活が、大学生活をさらに深めてくれたと思っている。柔軟な気持ちを持つことができたかも知れない。
 浪人時代、大学時代と付き合った女性は数人いたが、すべてが自分と同い年か、若い娘だった。まるで妹のような気持ちで付き合っていたのは、まだまだ桜井自身が子供のような考えを強く持っていたからかも知れない。
 付き合ったといっても長くて数ヶ月。それほど深い仲にならなかった。桜井から別れを切り出すことはなくすべて相手から別れを切り出された。
「あなたといると楽しいんだけど、次第に重荷になってくるような気がするの。ごめんなさい」
 それぞれ言葉に多少の違いこそあれ、突き詰めれば重荷という言葉に集約されてしまっている。
――重荷って何なんだ――
 言葉の意味を素直に考えてしまうからだろうか、別れてから立ち直るまでいつもかなりの時間が掛かる。
――袋小路に入り込んでしまっている――
 解決しかけた考えも、一旦立ち止まってしまうと、どこまで考えていたのか分からなくなってしまう。結論が見えかかると、一度立ち止まってしまうのは桜井の癖でもあり、全体が見えなくなってしまうことに不安を感じるからに他ならない。
 それが悪いことだとは思わないが、そのためにせっかく積み上げてきたものを足元から壊してしまう自分の性格を恨めしいと思うことは今までにも何度もあったことだった。
――田舎の人間に嫌悪感を感じ、都会にも染まりきれない中途半端な自分の苦しいところではないか――
 と思えてならなかった。
 都会に出てくると、自分が紳士で優しい人間ではないかと思うようになった。優しさの根拠がどこにあるのかは分からないが、紳士的な中に優しさを持った人間になれると思ったのだ。
――きっと田舎の朴訥さがいい意味で出るに違いない――
 なるべく意識するようにしていた。優しさというよりも、紳士的に振舞うことをである。まわりの人間がどう感じようとも紳士的であれば、その中に優しさが滲み出ると思ったからだ。
 だが、その優しさが一方通行であることに気がつくこともあった。特に相手が女性であれば、まわりを見ることもなく、相手だけを見つめている。そのために、相手に重荷になってしまうのではないかと気付いた。
――それって、今までに言われてきた言葉じゃないか――
 と感じたが、今となってはどうにもならない。もし田舎にいる時に分かっていれば、別れなくてもよかった相手もいるのではないかと感じた。
 都会に出てくれば自然と分かってきた。しかし、都会に出てきて、田舎にいた時のような気持ちに戻ることはできない。そう感じた時、初めて田舎の良さが分かってきたような気がした。
 田舎での生活は決して無駄ではなかっただろう。それが分かったのは都会に出てきたからというのも皮肉なものだ。だが、田舎に帰ろうとは思わない。今のまま都会での生活を続けるという気持ちに変わりはない。
 そのせいもあってか、田舎を意識しながらの生活になった。そんな自分が中途半端であることに気付いてはいるが、結局自分には優しさしか表に出せないことが分かってきた。
――優しさって何だろう――
 どちらかというと自分が中心でなければ気がすまなかった学生時代。学生時代はそれでもよかった。
 中には同じように自分中心の考え方の人と衝突することはあっても、お互いに相手の気持ちが分かるからか、意外と簡単に歩み寄れたりするものだ。そんな時にはお互いに気を遣って、相手を立てる時には立てる。うまくやっていたものだ。
 だが、社会に出るとそうも行かない。
――出る杭は打たれる――
 まさしくその言葉通りである。
 一度そのような経験をすると、今度は自分から表に出ることができなくなる。一人で内に篭ってしまうことも往々にしてあるだろう。
 美恵子に対しての桜井もそうであった。最初に知り合った頃は、自分に対してある程度自信を持っている頃であったはずである。その頃には就職もうまく行って、何とか社会人としてやっていけるめどがついたと思っていたからだ。
 桜井も就職してからの自分に自信が持てない時期があった。
 仕事でボンヤリしていることが多かったからだ。だが、それでも覚えることはしっかり覚え、何とかこなせるようになった頃だったか、
「桜井くんも、だいぶ仕事を覚えてきてしっかりしてきたね。この調子で頑張ってくれたまえ」
 そう言って、支店長から肩を叩かれたことがあった。
 部下を励ますための方便だったのかも知れない。しかし、たった一言が人の気持ちを大きく左右するということを知ったのもその時だった。
 元々おだてに乗りやすいタイプの桜井は、学生時代うまいことおだてられていろいろな役員をさせられたこともあったが、無難にこなしていた。やらされているという意識がなかったからだ。
 だが、社会に出ると、皆が先輩、自分よりも経験豊富で、何を言っても聞き入れてくれるはずもない。事実、
「会社に入って三年くらいは、上司の指示を忠実に守るのが社会でうまくやっていく秘訣だ」
 と新入社員への訓示で述べていた本部の課長もいた。きっと経験からの言葉に違いない。
 一般論ではないが、それだけに経験からの言葉として桜井の気持ちの中に深く刻まれたのだ。
 だが、そんな桜井が仕事に自信を持ち始めたのも、ちょうど田舎での生活を思い出し始めた頃だった。さすがに就職してすぐは、精神的にそれどころではなかった。大学時代から都会に住んでいるので、田舎のことを思い出すなど今さらではあったが、就職して必死に仕事をしていると、大学時代がかなり昔で、田舎に住んでいた頃がつい最近だったような錯覚に陥っていた。
 そんな時に知り合ったのが美恵子で、彼女は桜井の優しさに憧れていたことを話してくれた。
――本当なのかな――
 優しさに疑問を持っていただけに半信半疑だった。
 だが、自信というのは持つまでに時間が掛かると、失ってしまうまでにはそれほど時間が掛からない。ちょっとしたきっかけで自分の中の自信が音を立てて崩れてくる。
 最初に感じたのは、田舎と都会のギャップからであった。
 田舎の人は都会の人ほど人情が厚いことは分かっていたはずだったのに、都会に出てくると、意外と優しかったりしたものだ。
 だがある日、加工場のトイレに行こうと給湯室の横を通った時に聞こえてきた言葉、思わずその場に立ち竦み、聞き耳を立てていた。
「桜井さんって、どこか田舎っぽいところがあるわね。垢抜けているように見えるけど、どこか土にまみれているような感じだわ」
 と一人が言うと、
「そうね、最初は清潔感があるかと思ったけど、バタ臭いところがあるわね。素朴な感じは嫌いじゃないけど、彼氏には絶対にしたくないわ」
 悪口を言われるくらいは慣れているつもりだったが、その中で誰一人桜井の肩を持つ発言の人はいなかった。女性同士というのは一人だけ浮いてしまうことを極端に嫌がることは分かっているが、それでも全員が自分の話題を肴に笑っているのだ。これほど屈辱的なことはなかった。
作品名:短編集106(過去作品) 作家名:森本晃次