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短編集106(過去作品)

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 閉鎖的なイメージを持ったまま都会に出てくるのと、ただ都会のイメージにだけ憧れているのとでは、考えが違っているのかも知れない。
 都会に出てくると、田舎を思い出すのは、最初から分かっていたように思う。思い出したくて、都会に出たのではないかと思ったこともあるくらいだ。
 都会に出てきて、都会の中の風景に、田舎をダブらせて見ることもあった。喧騒とした雰囲気の中で、田舎に似た光景を少しでも探そうとしているのだ。
 例えば夕焼けを見ながら、川原に佇んでいたりすることもあった。川原の土手に横になり、斜めに夕焼けを見ている。身体には気だるさを覚え、そういえば、田舎にいる時に夕焼けを見ていた時に、必ず気だるさを感じていたことを思い出す。
――遊び疲れた時の気だるさは、毎日感じていたようだったな――
 子供心に毎日を一生懸命生きていたように思う。むしろ子供の方が何も考えることもなく一生懸命だった。大人になればなるほど一生懸命さを忘れてくる。だが、それも仕方がないだろう。
――いつも一生懸命では息が詰まってしまう――
 一体いつからそんなことを考えるようになったのだろう。桜井は、夕日を見ながら、近くに生えている雑草をむしりとり、口に咥えて弄んでいた。
 草笛を吹いていたのを思い出した。それほど吹けるわけではないが、遠くの山を見ながら土手で横になって吹いている時間が好きだった。
――都会にも土手はあるが、かなりおもむきが違うな――
 と感じているが、目を瞑らなくても田舎の光景が浮かんでくるようだ。
 田舎の方が、太陽が眩しかったように思える。雲の色が違うからだろうか。田舎では、雲が出ていても、真っ白だったので、雲自体が光っていたように思えるからだ。都会に出てきて思い出すからなのかも知れないが、当たらずとも遠からずである。
 夕焼けが好きなのは、足元から伸びる長い影を意識していたからである。
 影というのはずっと以前から意識していた。いいイメージもあれば、怖いイメージもある。最初に感じたのは怖いイメージであった。
 家は田舎でも旧家にあたり、桜井が小さかった頃には土蔵のあるところの近くにトイレがあった。土蔵は今でもあるが、家は建て直され、鉄筋の家屋に生まれ変わっていた。しかし、小さかった頃の家は大きく、部屋一つ一つが広かった。
 トイレに行くにも、縁側を通り抜けねばならず、冬などは、寒くてたまらなかった。
――これだから田舎は嫌なんだ――
 と何度感じたことだろう。
 トイレに向う時、どうしても意識したのは土蔵だった。まわりは真っ暗なのに、土蔵だけは白壁なので、薄っすらとではあるが、壁が浮かび上がったように見えていた。
 意識しないようにしようとして目を背けるほど、白さが浮かび上がってくる。かといって意識してしまうと、そこから目が離せなくなってしまう。夜中にトイレに行くのが怖かったのは、それが原因だった。
 ある日、風の強い日、表の木の枝が揺れていた。それが土蔵に写っているのだが、あまりにも激しく揺れていたのが瞼に残っている。
 その光景は今でも忘れていない。目を瞑ると思い出すこともあり、夢の中で意識して見ていたりする。それが影に対する恐ろしさであった。
 だが、それだけではない。足元から伸びる自分の影は、恐ろしいというよりも、むしろ自分そのもののように見えているくらいで、あまり背が高くなかった桜井にとって夕焼けが見せてくれる影の長さは、自分の願望を示しているかのようだった。
 おかげさまというべきが、今は背も伸び、身長に対するコンプレックスは消えた。
――影に思いを込めたからだろうか――
 と勘ぐってみたくなるのも無理のないことである。
 絵になる男性をイメージしたのは、影を見ているからかも知れない。影絵というものを小学生の頃に怖いイメージで見ていたが、そこには後ろでおぼろげに光っている白い明かりが気になっていた。
――その時の白い光に、夕日を思い浮かべた――
 とも言えなくはないだろう。
 じっと動かず後光の中に浮かび上がる自分、それこそが絵になる光景だと言えるのではないだろうか。
 夕日を見ているのは、田舎でも都会でも同じはずである。時々睡魔に襲われて眠ってしまうことがあり、気がつけば、田舎にいるのではという錯覚を起こすこともあるくらいだった。
 都会に出てくると、田舎の人間が礼儀知らずに思えてきた。人と人の繋がりを大切にしているからだと思っていたが、果たしてそうであろうか。
 人に気を遣うことを都会では美徳としている。それは田舎でも変わりないが、何せ狭い範囲での人間関係である。閉鎖的になっても仕方がないのではあるまいか。
 子供の頃に近所のおじさんが毎日いろいろなものをおすそ分けと言っては持ってきてくれた。学校の帰りにある民家の近くで遊んでいると、おばあさんがお菓子を分けてくれる。子供たちはそれを楽しみにしていて、おばあさんの家にも堂々と上がりこんで、遊んでいたりしたものだ。
 しかし、桜井の両親はそんな田舎の人の好意に甘えていることを黙っていながら、田舎の人間をあまり信用していなかったようだ。一度深夜両親が話しているのを聞いたことがあった。
「田舎の人たちって信用できないわ」
 まず、母親の声が聞こえてくる。
「まあそういうな。近所付き合いさえまともにできれば悪い人たちではないんだから、都会よりも過ごしやすいかも知れないぞ」
「あなたは昼間いないから分からないんでしょうけど、皆何を考えているか分からないところがあるのよ。私はそういうのが苦手なのよ」
 それからさらに小さな声で話をしていた。個人的な噂話になったようだ。誰にも聞かれているはずはないと思っていても、声が小さくなるのは人間としての定めであって、そのことを非難するつもりはないが、やはり個人攻撃になるような噂話は聞きたくなかった。
 最初は、
――言い過ぎだよな――
 と思っていたが、頭の奥にその思いがあるからか、次第に田舎の人たちの雰囲気に溶け込めなくなった。都会を知っているわけでもないのに、田舎が嫌になっては、どこに気持ちを持っていっていいのか分からなくなってしまう。それから都会への思いが募ってくるのも仕方のないことだった。
――都会に出たい――
 これは自然な思いだった。
 そんな両親のうち、父親は中学の頃に亡くなった。母親がそれから気丈に育ててくれたことで現在の桜井があるのだが、それでも都会への憧れは消えることはなかった。
 期待と不安が次第に大きくなる。
 不安が大きくなれば期待が、期待が膨らんでくれば不安が大きくなると言ったバイオリズムを繰り返し、着実に頭の中での都会のイメージが定着してくる。
 都会とは怖いところで、特に田舎から出てきた人にはこれほどカモになることはないはずだ。しかし、それは田舎の気持ちを持ったまま出ていくからに違いない。素朴な気持ちだけで都会に出ると、夢破れてそのまま帰ってくることになりかねない。それだけは嫌だった。
作品名:短編集106(過去作品) 作家名:森本晃次