殺意の真相
これでは、ウワサにあるように、この会社が詐欺を働いていて、川崎晶子の彼氏を自殺に追いやったという話があっても、おかしくはない気がした。如月祥子が、そのことを知って手伝っているのか、それとも何も知らずに手伝っているだけなのか、そのあたりも難しいところであるが、あの別会社の存在というのも、この会社ではなく、東雲社長本人を対象に考えれば、決しておかしなことではないのだった。
そう思いと疑問に感じるのは、
「東雲社長と如月祥子とはどういう関係だったのだろう?」
という思いだった。
これを今目の前にいる各務原にぶつけてみようかと思ったが、少し戸惑っていた。
どうも百戦錬磨であるこの男に対して正攻法で質問したとして、果たして本当のことをいうだろうか?
いや、よしんば、回答を躊躇ってくれれば、そこに何かあるとして別の目で見るということもできるが、自信を持って答えられでもすれば、それが果たして本当なのかウソなのかという疑問が生じる。ウソであればまだしも、本当のことであれば、それがこの男の性格から考えれば、何か含みがあっての本当のことだと思わないわけにはいかない。
「木を隠すなら森の中」
という言葉もあるが、まさに真実の中に本当のウソを隠されてしまうと、まったく分からなくなってしまうのも真理というものだ。
そもそも、各務原という男が第一発見者というのも、実際には気に食わない。一番もっともらしい発見者であるのは間違いないが、あまりにも嵌りすぎていると、そこに何かがあるのではないかと疑ってかかるのも警察官としての宿命なのかも知れない。
だが、坂口はそんな宿命だけではなく、自分の直感や感性を信じる男なので、違和感があったり、あまりにもピッタリと嵌っていることには余計に疑問を感じるようにできているのだった。
各務原は完全にこの会社というよりも、見ているのは東雲社長しかいない。そのことは彼の言動からも、先に話を聞いた如月祥子の証言からも、そのことは裏付けられている。
如月祥子の場合と各務原の場合の立場ではまったく違っているのだろうが、その中心にいるのは間違いなく東雲社長である。
その東雲社長が何者かに殺された。しかも社長には詐欺疑惑があり、その詐欺によって自殺に追い込まれた男の彼女から脅迫状まで届いている。
――まるで絵に描いたような筋書きじゃないか――
と坂口は考えた。
やはり何かの意図が働いていることに間違いはないだろう。その意図を誰が操っているのかが、この事件の真相に近づくために調べなければいけないことなのは分かっている。
しかし、ここまでハッキリしていると、正攻法で攻めることを坂口刑事は躊躇っていた。まるで犯人の術中に嵌ってしまうような気がしたからだ。
もし犯人は相当な知能犯であれば。我々警察の考えることくらいはお見通しだろう。しかも警察は何と言っても事実を重視する。証拠であっても、事実関係によるものでなければ信用しない。
それはきっと、犯人を逮捕したあとのことがあるからであろう。
探偵小説などでは犯人が逮捕されればそこで終わりだが、実際には、四十八時間の拘留時間があり、その間に起訴しなければ、釈放になる。起訴すれば、そこから裁判が始まるのだが、相手にも弁護士がついて、検察と弁護側の戦いになる。裁判で証人尋問などのプロセスがあって、そこからやっと判決が生まれる。上告や控訴などによって、さらに高等な裁判所での裁判に持ち込まれれば、判決の確定までにはさらに時間が掛かる。それだけに逮捕する時点で、ある程度の証拠や証言が揃っていないと、冤罪を引き起こすことになってしまう。だから警察が一番大切にするのは、
「真実ではなく事実」
なのであろう。
そこが犯人にとっての狙い目でもある。事実が真実ではないような暗示もあるが、逆に事実ですべてを固めてしまうことで、捜査をミスリードすることもできる、肝心な事実さえ隠してしまえば、表に現れている事実を結び付けただけで、真実とはまったく違う事実を空想で作り上げてしまうというわけだ。特に、一度冤罪を生んでしまったという過去を持つ坂口には、この理屈は誰よりも分かっている。そんな坂口だからこそ、門倉刑事は部下として大切にしているのであろう。
今考えられる容疑者は大きく三人であろう。もちろん、表に出てきているというだけのことで、実際には陰に隠れた誰かがいるかも知れないが、もしそうであれば、地道な捜査が必要になる。
もし、他に犯人がいるとするなら、今表に出てきている容疑者を消去法で捜査し、誰も残らなければ、捜査は一からやり直しとなり、誰が犯人なのかは、振り出しに戻って考えなければいけないだろう。
では、捜査線上に浮かんだ容疑者というのは誰なのか?
まず一番考えられるのは、川崎晶子ではないだろうか。彼女は東雲のやっている事業に騙された彼氏を自殺に追い込まれている。それを脅迫状にしたためて、結局その後に殺されたのだ。
動機としては十分だろうか? ただ、自分がひどい目にあったわけではなく、付き合っていた人がひどい目にあったということで、それから実際には何年か経っているというではないか。なぜ今頃脅迫状を出してまで殺害する必要があるというのか?
そもそも、脅迫状というのは、心理的に矛盾しているようにも思う。
脅迫状というのは、脅迫される方に恐怖を与え、何か金品を要求するというのが普通ではないか。
何よりも坂口に引っかかったのは、今回の殺害が、薬によるものだということである。
一緒にいて、殺害したのであればまだ分かるが、殺害現場に脅迫状が残っているというのは、犯人が脅迫状を送り付けた本人であるとすれば、まずいことになる。なぜなら、
「私が犯人です」
と言っているようなものではないか。
もし、その場にいて殺害したのであれば、まず証拠隠滅とともに、一緒に脅迫状の始末を考えるだろう。警察に家宅捜索をされて今回のように脅迫状が見つかり、自分がまんまと容疑者にされてしまうというのは、実にバカげているではないだろうか。
そういう意味で、今回のような、何も一緒にいなくても犯罪が可能で、アリバイなどあってないようなものであるという犯罪に、脅迫状は矛盾しているのである。
今度の事件で、脅迫状が見つかったと聞かされた時、坂口の中で、何とも言えない違和感があった。それが何を意味するものなのかすぐには分からなかったが、犯行が必ずしも犯人がその場にいることを必要としない犯罪。つまりは、いないことを前提とする犯罪だと感じた時、その二つが結び付いたのだ。
そういう意味では、かなり早い段階で、第一の容疑者とされていた、川崎晶子を容疑者から消すことができるのではないかと思った。そのせいもあって、彼女の事情聴取は中途半端だったのだ。
「彼女が社長を脅迫しようとしていたのは事実だろう。だが、それを今回の殺人と結びつけるのはあまりにも軽率だ」
そう思うと、川崎晶子が事件に何らかのかかわりがあるような気はしたが、直接の犯人ではありえないと思った。
――共犯者では?