殺意の真相
今から五十年以上も前のテレビの特撮子供番組で、地球に遭難してきた宇宙人を、侵略者としてやっつけるヒーロー物語があったが、それこそ同じようなものである。地球に漂流してきただけなのに、異星人というだけで侵略者と決めつけ、攻撃し。最後にはやっつけてしまう。そして、何よりもその日の放送のタイトルにハッキリと、「侵略者」という文字が躍っていた。
これをどう解釈すればいいのだろうか。
単純に勧善懲悪に則った子供を洗脳するための番組と見るべきなのか、当時の冷戦時代を皮肉った、大人向けの番組として見ればいいものなのか、どちらにしても取り方によっては、まったく別の解釈が成り立つといういわゆる賛否両論が争われる番組でもあると言えるだろう。
とにかく人間というのは、自分の都合や傲慢さによって、物語を改ざんしてしまうこともある。それは人間が他の動物に対しての考え方として出来上がったものだけではなく、同じ人間同士、自分の私利私欲のために、簡単に人を騙したり、相手がどうなっても構わないとまで考えるほどになってしまった。
動物は生きるために本能で行動する。動物が意志や意識を持っているのかどうか分からないが、もし持っているのだとすれば、人間のような自分の都合で行動するだろうか。
いや、人間は言葉や知恵、それに意識を持つことができたので、自分の都合で行動するという一種の、
「悪知恵」
が付いたのかも知れない。
これが果たして、どこまで許されることなのかを考えると、解釈が難しいと言えるのではないだろうか。
「生殺与奪の権利など、人間にはない」
という原則を持っていながら、人は簡単に人を殺す。
中には生きるために仕方なくであったり、生きるために恨みを晴らさなければ精神的に生きていけないなどのやむ負えない場合もあるだろうが、自分の私利私欲のために、まるで人間を虫けら同然に殺す人もいる。
実際に手を下さなくても、自殺するかのように追い詰めて、相手が自分自身の命を奪うように導くのは、ある意味一番卑劣ではないだろうか。自分で手を下すのではないのだから、その人に罪悪感などあろうはずもない。もし、罪悪感があるのだとすれば、それは嘘でしかない。人間という動物だけがそういうことを平気でできるのだ。もうここまでくれば、
「死というものが、果たして善悪の対象として図ることができるのかとまで考えさせられる」
如月祥子という女性の話は聞いていたが、どうも彼女はマッチ売りの少女のような雰囲気を感じさせる女性であるが、やっていることは、何か胡散臭いことにわざと首を突っ込んでいるようにも思える。パトロンがいて、スナックでホステスをしているのだから、それなりに生活は苦しくはないと思ったのだが、家族を抱えていてはそうもいかないのだろうか。
彼女はマッチ売りの少女のようにここで死ぬわけにはいかないと思っているのかも知れない。
坂口は、なぜか彼女が自分でもマッチ売りの少女を意識しているような気がして仕方がない。マッチ売りの少女は確かに悲劇の物語であるが、それは貧困に喘ぎながらも一人で苦しんでいて、力尽きるという話であるが、彼女は孤独だった。
マッチが売れないと父親に叱られるので、マッチを必死で売っているというのだが、彼女は孤独であり、この世に誰も自分の味方はいない。彼女がマッチをすることで優しかった祖母が現れた。祖母の笑顔をいつまでも見ていたいと思った少女はその時に気付いたのかも知れない。
「私はもう、この世に未練はない。私の人生の続きは天国にある」
とである。
つまり開き直ったというべきか、開き直りが少女に本当の自分の気持ちを教えたとでもいうべきか。そう考えると、死ぬということも決して悲劇ではない。むしろ、人によっては幸福でもあるのだ。
この考えは宗教的には間違っているものであろう。そういう意味ではこの物語は宗教に対しての挑戦なのかも知れない。こんな世界観もあれば、勧善懲悪のような世界観もある。
つまりは、
「人間が幸福に過ごせるなら、他の生き物はどうなってもいい」
という考えが勧善懲悪に結び付いたのか、それとも逆に、生殺与奪の権利を正当化するために、勧善懲悪を持ち出し、もし悪が人間であったとしても、それは懲らしめられるだけの理由があるのだから、生殺与奪も仕方のないことと考えるかということである。
おとぎ話や童話というのは、その考えをいかに正当化するかということで成り立っているのではないだろうか。もちろん、その自裁の政治体制に都合よく解釈させるための一つの手段に過ぎないのだ。
如月祥子という女性が、この犯罪に何かどこかで関わっているような気がしたのは、きっとマッチ売りの少女の話を思い浮かべ、そこから勧善懲悪のおとぎ話に結び付けてしまったことから感じたことだった。
だが、何か関係しているからと言って、決して彼女が悪だというわけではない。むしろ悪として見えるのであれば、自分たちの目の方が狂っているということであったり、何かの見えない力に誘導されて。そんな思いにさせられているのではないかと思うようになっていた。
彼女のマンションにやってきたが、このマンションは気のせいか、デジャブですらあるような気がした。
「このマンション。まるで昨日も来たかのような感じがするな」
と、坂口刑事がいうと、
「ええ、そうなんですよ。実は私もなんです」
ともう一人の刑事に言われて、自分だけの錯覚ではないとホッとした坂口は、
「ああ、そうか。今朝行った川崎晶子の住んでいるマンションに似ているな」
と感じたのだ。
「そういえば、このマンションですが、彼女が一人で住んでいるそうなんです。父親は子供の頃に亡くなり、母親が女手一つで自分と弟を育ててくれたと神妙に昨日は話してくれたんですが、どうもこの部屋の家賃は、パトロンが出しているようなんですよ」
「まあ、そうだろうな。今の彼女の収入だけでこれだけのマンションを借りて、実家に送金しているとなるとかなり厳しいだろうからな」
もし、もっと短時間でお金を儲けたいと思うのであれば、女としては、自分の中にある羞恥心やプライドを捨てれば、いくらでも稼ぐことはできるはずなのに、それをしないということは、彼女の中に、静かなプライドがあるのかも知れない。このあたりも、坂口にとって矛盾と思える部分であり。
――果たして彼女には、自分が考えている以上のどれほどの矛盾があるというのか、楽しみな気がする――
と感じた坂口刑事だった。
そもそも。マッチ売りの少女と勧善懲悪の発想も、矛盾に満ちているような気がする。坂口にまだ会ってもいない相手の矛盾をすでに抱かせるというのは、果たしてどんな女なのだろうか。興味深いところであった。
前の日から刑事がスナックを訪れた時、
「明日、もう少し詳しいお話を伺いたいと思いますので、もう一人の刑事を連れてマンションにお伺いしようかと思うのですが、大丈夫ですか?」
と言ってアポイントを取っておいた。
「ええ、午後からなら起きておりますので、大丈夫です」
「じゃあ、明日午後に伺いまう」