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短編集105(過去作品)

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誰が人生の最後を・・・



               誰が人生の最後を・・・


 今年聡は四十五歳を迎えた。
 家族はいない。十五年前にまわりの反対を押し切って、駆け落ち同然に結婚したので、それ以来実家には帰っていない。そして、その時に結婚した妻も、三年前に交通事故で他界してしまった……。
 その時の心境を思い出すのは、聡にとって酷である。しかし、不思議なことに十五年前家を出た時の辛さの方が、まるで昨日のことのように思い出せるのは何とも皮肉なことだろう。まだ世間を知らなかったくせに、三十歳になったことで、ある程度分かっているつもりになっていた。
 二十歳になった時は成人式という儀式があったが、まだまだ自分は世間知らずであるという認識があった。大学生という身分は、それだけ甘えた立場なのだということはまわりからも聞かされていたし、まわりからの話をすぐに鵜呑みにしてしまう聡は、完全に自己暗示に掛かってしまっていた。
 自己暗示に掛かりやすい性格は昔からで、小学生の頃など激しかった。
 親からの教えは絶対で、特に忘れ物や持ち物に対してのチェックが厳しかったことを覚えている。すぐに何でもどこかに置き忘れてしまう聡だったが、毎日筆箱の中に入っている鉛筆の数まで親にチェックされていたので、一本でもなくなっていれば、学校にまで探しに行かされたこともあった。
――あんな屈辱は今までにもそうはなかった――
 少年時代のトラウマと言ってもいいかも知れない。それだけに、三十歳になっていたとはいえ、家を出て家族から離れることに勇気が行ったのも当然であった。
 三十歳になって家を出るまでに、一人暮らしをしたのが一年間、新入社員として研修を兼ねた最初の赴任が、家から通えないところだった。
――一年という期間が中途半端だったのかも知れないな――
 それは今でも感じている。
 当時の一年間というのは、あっという間に過ぎたという意識だったが、今考えてみると、今感じる一年間よりもずっと長かったように思える。それだけ覚えることがたくさんあったとも言えるのだが、吸収できるための意識が絶えず発散されていたとも言えるだろう。
 四十五歳を迎えた聡だったが、たった一人になってからというもの、精神的には抜け殻のようになっていた。
――その日一日が無難に過ぎればいいんだ――
 と、生活のリズムの中心は一日だった。
 学生時代も一日一日が生活のリズムだった。それはまだ世間を知らない立場で、毎日講義という決まったスケジュールの中で動いていたからだろう。あくまでも遊びはその延長、考え方に甘えはあったが、決してその立場に埋もれていたわけではない。
 その証拠に社会に出るのが怖かった。学生時代にアルバイトもこなしていたが、所詮アルバイト、社会人とは立場がまるっきり違う。
 学生として大学三年生といえば、学生の立場としては最上級生、しかし就職すれば、ただの新入社員である。新入社員に甘えは許されない。逆に甘えた気持ちを早いうちから払拭させられようとする、中にはそれに耐えられないものもいるだろう。理不尽に感じてしまう人もいるが、それはあくまで筋違いであることに気付かないのだ。
 耐えられなくなると、やめていく連中もいる。
「まだ若いんだから、やり直しが利くさ」
 とでも言いたげである。
 だが、
「三日もてば、三ヶ月もつ。三ヶ月持てば、三年……」
 これは入社直後の研修で、総務課長の話していたことだった。今でもそれが頭から離れない。
 三という数字が意味するものは分からないが、数字で区切れば説得力もある。
 聡に限らず、誰だって区切りを意識しているはずだからである。一時間、一日、一週間、一ヶ月……、仕事をしていく上では避けて通れない時間の単位である。
 今聡は時間に対して特別な思いがある。今までに感じていたことには違いないが、意識まではしていなかったことだ。
 一日の就業時間が八時間、入社してすぐ、そして研修が終了して自分の仕事を与えられ、最初の頃は仕事が一日単位で一段落していた。しかし、次第に大きな仕事を与えられるにつれて、一仕事の単位が広がっていく。
 次第に単位が広がってくるのに、一日の八時間が短いと感じることはない。却って長く感じられるほどだ。
 意識していない時はあっという間だと思えるのだが、後から思い返すと長かったように思える。一日を最初から意識していると、時間がまるで固まったかのように過ぎてくれない。それは、絶えず時間を意識している証拠でもあるのだ。
 時間の経過は、年齢が多分に影響していると思っていた。仕事をしていると結構毎日が同じような作業の繰り返しだったりもして、
――こんなものだったのかな――
 学生時代に感じていた社会人の生活を思い返すと、自然とそう思えてくる。
 妻を亡くした時は、完全に抜け殻のようになっていた。
 子供はいなかったが、いつまでも新婚夫婦のような気持ちでいたいと思っていたし、妻も同じ気持ちだったに違いない。恥ずかしくて言葉にして確かめたことはないが、お互いに気持ちが通じ合っていると思っていたからこそ、余計な会話はなかった。
「夫婦間でも適度な会話は必要だよ。奥さんにお世辞の一言くらい言ってあげてもいいんじゃないか?」
 と同僚に言われたが、苦笑いを浮かべ、
「そんな必要はないさ。下手にお世辞なんて言ったら勘のいい女房だから、変な勘ぐりを起こしかねない」
 もちろん、心にもないことである。妻が自分を疑うなど考えられないとタカをくくっていた。
 実際はどうだったのか分からない。喧嘩をしたこともなかったし、妻の不満な顔を見たこともなかった。
「君は私にとって最高の妻だ。君がいたから私は今まで生きて来れたんだ」
 これは妻の霊前で手を合わせながら呟いた独り言だった。
 葬儀も終わり、それまでの慌ただしさから解放されて一人になると、妻の遺影を見ながら話しかけるしかなかった。
 葬儀が終わるまであっという間だっただけに、これから訪れる寂しさが半永久的に続くことを考えると、気が遠くなってしまう。
――それにしても、死んでから本音が素直に出てくるなんて皮肉なものだな――
 本人を目の前にして話していれば、どんな反応を示しただろう? 妻のことだから、きっと顔を真っ赤にして、まともに夫の顔を見れないに違いない。
――いや――
 意外と真剣な顔で話をすれば、彼女も自分に素直になっていたかも知れない。すれ違っているわけではないが、限りなく近いところでの平行線を歩んできたのかも知れない。それが夫婦というものではないだろうか。
 逆に平行線を描いているからうまく行っているのかも知れない。もし、どちらかの線が直線からはずれ、接触でもしてしまったら、相手はビックリして新たな事態にどう対処してよいか分からず、余計な思慮を与えることになりかねない。
――お互いに分かり合っているのが夫婦というものだ――
 暗黙の了解の下に成り立っている夫婦間は、絆が強そうで、一歩歯車が狂ってしまえば、まるで脆いものかも知れない。
「夫婦間なんて、お互いの常識をどこかはずれれば分かっていると思っていたことに不信感を感じるといった両刃の剣の上に成り立っているようなものさ」
作品名:短編集105(過去作品) 作家名:森本晃次