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短編集105(過去作品)

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 五人で行けば誰かが必ず選ぶメニューだ。それに誰も反論を唱えない。美紀も従った。注文するのはいつも同じ女の子、気さくで人からの頼まれごとを嫌とは言えない性格の女性。
 よく言えば、皆の代表、悪く言えばただの便利屋のようである。
 それもメンバーの中では欠かせない役割だということは熟知している。彼女のことは気に入っているし、彼女だからこなせるのだと思う。
 しかし、美紀自身、自分にできることではなかった。メンバーが揃えば、皆それぞれに性格が違い立場をわきまえる、いわゆる適材適所とでもいうのか、美紀にはできそうもなかった。
 輪の中心にいる器ではない。代表のような役ができるわけではない。ただ、その他大勢の中に沈んでいる自分がいるだけだ。
 美紀はそれでもいいと思っていた。身分相応というのは、田舎から出てきたばかりの美紀にとって、超えられない何かがあることを自覚させていた。自分が田舎から出てきたからということではない。あくまでも都会の雰囲気にすぐに馴染めるかどうかということなのだ。
 美紀はそれほど順応性に長けているわけではない。
――郷に入っては郷に従え――
 という言葉を意識している。意識しているということは、自然にできることではないということだ。
 しかしできないわけではない、時間が掛かるのだ。自分の分別はついていると自覚している美紀である自分から表に出ることなどできるはずもなかった。
 コーヒーにしても最初は嫌々飲んでいた。口に含むと強烈な味に、すぐさまお冷を口に流し込みたくなる衝動に駆られる。
 小学生の頃牛乳が飲めなかった美紀は、給食で出された牛乳を飲むのに苦労した。おかずを先に口の中に流し込んで、味を消そうという涙ぐましい努力を重ねてきた。だから、美紀は嫌なものの味は、他のものを口に含んで消すやり方をずっと取ってきたのだった。
 だが、コーヒーの味は違っていた。最初あれほど嫌だったコーヒーが、そのうちに気持ちに余裕を持ちたい時など、香りに吸い寄せられるようになっていた。
 喫茶店という雰囲気も美紀には気持ちの余裕を感じさせられた。流れるBGMがクラシックやジャズの場所を好んだ。それだけに時間に幅が感じられ、大袈裟に言えば俗世間から離れられるように思えたからだ。
 クラシックは落ち着いたヨーロッパ中世の雰囲気、ジャズは中南米を思わせる。行ったことはないが、学校の図書館などで見た写真を思い浮かべながら漂うのが好きだったのだ。
 コーヒーの後口が忘れられなくなったのは、美紀が初めて男性と喫茶店に赴いた時だった。
 同じクラスの男性に誘われて寄った喫茶店、別に特別な感情を持っていた相手でもなく、偶然学校が終わって帰り道に声を掛けられただけだった。
「お茶でもしませんか?」
 彼が気さくな性格で、通学路だという気持ちが、美紀には抵抗感などさらさらなかった。
「ええ、少しだけなら……」
 それでも、警戒心を感じさせる言葉が勝手に口から出てきたのだ。元から本意ではない言葉だった。
 むしろ嬉しかったと言ってもいい。普段から目立たないところにいる美紀が男性から声を掛けられるなど想像もしていなかったからだ。
 BGMにはクラシックが流れていた。コーヒーの香りが普段よりも濃いものに感じられたのは気のせいだろうか。
 その時の彼と付き合うことにはならなかったのだが、喫茶店という場所に深さを感じたのはその時が初めてだった。
――一人で佇むにもいいわ――
 と思うようにもなっていた。
 喫茶店の雰囲気を感じるようになってから、馴染みの喫茶店が一時期増えたことがあった。だが、そのうちのほとんどは、一人で佇むだけ。誰とも話さない。遠い店にはなかなか近寄ることもなくなると、自然と馴染みの店ではなくなってくる。自分の中で、馴染みの店が厳選されてきた。
 その中で共通しているのが、店内に流れるBGMがクラシックだったり、白壁の似合う外観だったり、けやきや銀杏の木が規則的に並んでいる並木道だったりと、随所に美紀の好みが現われていた。
 その店にいる間、気がつけばいつもあっという間に時間が過ぎている。何かを考えている時の時間の経過というのは、気付かないところで早いものである。
 落ち着いた雰囲気の中、琥珀色のコーヒーに、一さじ掬ったスプーンおグラニュー糖を流し込む。美紀はグラニュー糖をスプーンで掬う瞬間が好きだった。
 ザクッという音とともに、心地よい感覚が指に伝わってくる。海にあまり馴染みのない美紀だったが、たまに親が連れて行ってくれた砂浜の砂を手で掬ったのを思い出していた。美紀の田舎は海からは程遠いところにあり、祖母と暮らした村も、海とは縁のないところだった。
 実にきめ細かい砂を見ていると、その中に必ず何か光るものを見つけようとしていたように思う。五本の指を少しずつ開いていくと、指の間から滑り落ちるように一直線になった一筋の砂が一点に集中して溜まっていく。さながら砂時計をひっくり返したような気分である。
 砂時計の色は青だったり赤だったり、実に鮮やかだ。真っ暗な部屋の中でも光る蛍光色の砂時計を持っていたこともあって、部屋を真っ暗にして砂時計を倒して見ることが多かった。
 部屋を暗くしても、必ず表の光を感じていた。田舎なので、夜になればまったくと言っていいほど光を発しない。それなのに感じる光がどこから来るのかいつも疑問だった。
 蛍がよく出る沢を思い出す。夏の時期になると、よく行ったものだが、蛍を見たという記憶があるだけで、まわりがどのようなところであったかあまり記憶にない。
 蛍の明かりがやたらと気になり、最初の一匹を見つけると、後は瞬く間に増えてくる。最初からたくさんいたに違いないが、一箇所に集中していると、却ってまわりが見えてくるものなのかも知れない。
――私の人生って何だったんだろう――
 と美紀は時々考える。
 いつもまわりを見渡すことを心がけていたが、一点を見つめてまわりが見えなくなることが怖かった。自分だけではなく、まわりの人も絶えず周囲を気にしているようだし、周囲を気にすることは慣習のように思われた。
――だけど違うんだ――
 蛍にしても砂時計にしても一点に集中してはいけないという考えを忘れさせられる。意識していないと言ってもいい。
 普段が必要以上に意識しているのだろう。意識過剰が全体を見渡しているようでも無意識に一点を気にするように仕向けるのだろう。
 暗すぎると、少しの明かりでも、まわりを激しく照らしているように見える。鮮やかな光ではない、どこか篭ったような光り方だ。
――光あるところに影がある――
 と言われる。対になっているものがあるから、世界が成り立っているのではないだろうか。真っ暗なつもりでもどこかに光がある。影があるということは、光りが存在する証拠である。
 都会に出てくると田舎を思い出すのはそのせいかも知れない。
――祖母と暮らした田舎――
 人口も多く、それほど田舎という感じではないのだが、地元の人しか知らないところの多くは、昔からの田舎風景が残っている。少しでも山に入れば自然の宝庫とでも言うべき意であろう。
作品名:短編集105(過去作品) 作家名:森本晃次