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短編集105(過去作品)

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 それは真希にとって頭の中で反芻を繰り返す思いだった。唇を重ねるくらいは不倫とは言わないという真希の考えは、きっと他の人には受け入れられないに違いない。
 だが、実際に不倫は横行している。そんな中で、
――私だけは、道を踏み外すことはないんだ――
 と思っていて、
――そこまでの覚悟があるんだから、唇を重ねるくらい不倫とは呼ばなくても、バチはあたらないわ――
 と自分勝手な思い込みをしていた。
 だが、卓にとって唇を重ねることは不倫の入り口だった。唇を重ねたことで、さらに接近を図ろうとする卓だったが、それが真希には悩みだった。
――優しかったはずの卓さんが、急変したわ。男って皆そうなのかしらね――
 と思うようになっていたが、愛情表現の第一歩であるが、一番相手の気持ちを感じるのが唇を重ねた時だという気持ちが強い真希に、強引なアプローチの卓をもはや避けることはできなくなっていた。
 男女の関係になるまでに、唇を重ねてからそれほど時間が掛からなかった。ハッキリと不倫をしているという意識が芽生えたのだが、その頃になると、不倫に対してそれまで抱いていた気持ちが薄れてくるのを感じていた。
 元々不倫をどうして毛嫌いしていたかということを思い出していた。
――罪悪感を感じてしまうからに違いないわ――
 最初から感じていたことのはずだった。だが、改めて考えないと結論が出てこないということは、それだけ卓とのことで悩んでいた証拠だろう。
――受け入れてしまった方が、気持ちにメリハリが利く――
 という思いと、
――最初の信念を貫かないと、自分ではなくなってしまう――
 という二つの思いが交互に頭の中で交錯していた。
 付き合ってみると、最初に考えていたよりも、卓ははるかに大人であることが分かった。
――私が彼を受け入れようという気持ちさえあれば、最初から分かったはずだわ――
 という思いも強く、強引な態度も今まで真希のまわりにいた男性にないものだっただけに、しかも不倫という言葉が頭を擡げていた真希にとっては、踏み入ってはいけない聖域を感じていたに違いない。
 卓は真希から見てかなり年下だった。まだ二十歳前半で、五つくらい下ではなかったか。三十歳をそろそろ意識し始める年齢になってきた真希にとって、五つ下の男性は、年齢以上に年の差を感じてしまう。
 それでも、心から慕うことのできる男性の出現を待ちわびていたのだろう。卓と男女の関係になってから、何をしていても、卓のことが頭から離れない。仕事をしていても同じだし、家にいても同じだった。すでに達男との夜の生活はなく、女としての気持ちは半分失せてしまっていた真希にとって、卓は頼れる男性であることに最初から分かっていたのではないかと思えるほどだった。
 仕事をしていても同じである。
 義弟である俊夫という人は、どこか油断のならないところがあって、少し警戒していた。特に夫と仲が悪くなってから男性に不信感を持ち始めて最初に見たのが俊夫だったからだ。
 まだ俊夫の会社に勤め始めた頃は夫ともそれほどハッキリと仲が悪いというわけではなかった。だから信頼して就職したのだったが、どこでどう間違えたのか、俊夫に卓との仲を感づかれてしまった。
「義姉さん、どうやら不倫をしているようだね」
 その日は仕事の量が普段よりも多く、皆が帰った後も残業しないとこなせないほどの量だった。真希が俯いたまま黙っていると、
「図星のようだね。そんなことではないかと思っていたよ。本当はこんなことはしたくなかったんだけど、そうでもしないと、義姉さんが僕のものにならないと思ったんだ」
「何を言っているの? 私はそんな女じゃありません」
 言い訳をしても仕方がないと思っていたが、黙っていると俊夫の口から何が飛び出すか分からないと思った。蔑まれて耐えていられるほどプライドを傷つけられることに慣れていない真希だった。
「義姉さんの怒った顔、その顔が僕は好きなんだ」
 ゾッとした。舌舐めずりをして睨みを利かせた表情には男らしさは感じない。
――本能むき出しの男性がこれほど醜いものだとは思わなかったわ――
 俊夫だけで、他の男性には当て嵌らないかも知れない。だが、真希に男性不信を抱かせるに十分であった。
――まだ夫の方がマシだわ――
 とも感じさせたが、後の祭りだった。
 その時の俊夫はそれ以上何も言わなかった。相手が誰であるかということも、どうしてそのことを知ったのかということも何も言わない。
 真希は一生懸命に考えた。
――きっと、自分の中にあるオーラから不倫という淫靡な匂いを嗅ぎ取ったのかも知れないわ――
 俊夫という男性を見ていれば、それくらいのことができそうだった。ある意味、それだけがとりえだと言えなくもなかった。
 次の日さっそく真希は、卓に相談した。
 義弟が感づいたのではないかということを話してみた。
「大丈夫ですよ。そんなのハッタリに決まってますよ」
 言葉に震えが入っていることを真希は見逃さなかった。真希自体も、卓に相談する時、声が裏返っていたように感じたからだ。
――彼にまで私の動揺が移ってしまったのかも知れないわ――
 何とか平常心にならなければならないと思っていた。
「あなたがそうおっしゃるなら、私も毅然とした態度を取ることにしますわ」
 相談を持ちかけたはずだったのに、会話としてはそれほど長いものではなかった。時間にして三十分ほど、それも沈黙の時間の方がはるかに長かった。
 その日も卓に抱かれたのだが、なぜかその日はお互いに燃えていた。淫靡な空気が包んでいたわけではない不思議な雰囲気だった。だが、時間にして普段よりも長く感じたことは事実で、最後の方は、
――早く終わってほしい――
 と思ったほどだ。
 彼に抱かれて初めて感じた感覚だった。それまでは、あまりにもあっという間に過ぎてしまう時間に、
――次回まで待てないわ――
 と、自分の中の淫靡な部分に恥ずかしさを感じるほどで、それが却って満足感にも繋がっていたものだった。それなのに、今回だけはあまりにも違った。
 同じ相手で同じ空間、時間が繰り返しているのではないかと思えるほどの違和感のなさが魅力だったのに、これほど違う感覚だと、時間の悪戯が恨めしくなってくる。真希にとって、初めて卓と一緒にいての苦痛を感じる時間であった。
 車で家の近くまで送ってもらうのもいつもと同じなのに、一切会話のない時間が苦痛だった。いつもは余韻に浸っていて、そこに言葉はいらなかったが、今回のような言葉のない世界が、これほどぎこちなさを生むなど考えたこともなかった。
――彼にとって、青天の霹靂だったのかしら――
 それにしては、リアクションが少なすぎる。大丈夫だと言ったその時の震えが最後まで止まっていないようだ。
「また連絡するよ」
 車を下りる時に、そう言われた。真希はハッとして、一瞬身体が凍りついたような気がした。
――今までそんなこと言われたこともなかったのに――
 というのも、連絡することは暗黙の了解だと思っていた。
作品名:短編集105(過去作品) 作家名:森本晃次